第5話

 俺と言う人間を一言で表すのであれば『早い』だ。

 勉強で言えば、数式を覚えるのが早い、物語に登場する人物の心情を読み取るのが早い、昔誰がどこで何をやったか覚えるのが早い、リスニングテストの理解力が早い、生物の構造を理解するのが早い。


 スポーツで言えば、ルールを理解するのが早い、体の使い方を覚えるのが早い、野球も、バスケも、サッカーも、テニスも、卓球も、バドミントンも。

 人より上達するのが早かった。


 昔から期待されるより、失望されることの方が多かった。

 お前はやればできる、これができるんだからこれもできるはず、なんでこれができてこれができないのか。

 さんざん言われたし、失望もされてきた。


『どうして人の気持ちを理解できないの』


 そう言われたことがあった、小学生の頃の他愛もないありふれた喧嘩が原因だ。


 なんで相手が怒っているのか、わかる。

 なんで自分が今怒られているのか、わかる。

 なんで相手が泣いているのか、わかる。


 分かって行動した、その人のために行動して正解じゃなくても最善を尽くすようにした。

 けれど上手くはいかなかった。


 中学の頃、ヤンキーの同級生に絡まれて大変な思いをしているクラスメイトがいた。担任に言われソイツとヤンキーの同級生を引き離した。

 今回は上手くいった。


 小学生の頃と、中学生の頃で何が違うのか自分なりに考えてみた。

 そしたら違いは簡単だったのだ。


 誰かを助けたいのなら自分の幸せを念頭に置いて考えるべきではないと。

 みんな自分が大事で、自分の利益を考えて行動し、人を助ける偽善者だ。

 それが駄目だとは言わない。


 勿論俺の考え方に嫌悪する人もいれば賛同する人も探せばいるのだろう、まあ、嫌悪する人の方が今まで多かったし、否定もされてきた。

 特に過去の恋人達からは否定され続けていた。

 理解してくれる人なんていなかった。


 今ならわかる、俺と言う人間はきっとただ無条件に愛されたかったのだろう。




 ************




「ほんと最低だよ」


 サキさんの部屋でサキさんが泣いていた、ワンワン泣くというよりも何かをこらえる様に押し殺しながら泣いていた。

 やはり俺が予想していた通り、ばれていたのだ、きっとリカがサキさんに全てを話したのだろう、いずれそうなるとはわかっていたのだが俺が想像するよりもずっと早かった。


「・・・・・ごめん、黙ってて」

「ん-ん、最低なのは私、ほんとはね、全部わかってた」

「最初から俺がリカの元カレだってわかってたの?」

「リカからは誰と付き合ってるとかそういのは聞いてない、それは私も同じでさ」


 それからサキさんはぽつぽつと話し始める。

 俺と初めて寝たときの違和感、そしてリカから聞いていた彼氏の惚気話、簡単に言えば俺のセックスの仕方がリカから聞いてた様子と似ていたとの事らしい。

 俺からすればそんなことで分かるものなのかとも思うが女性と言うのはそういうのに敏感らしい、だが決定的だったのは、今日リカから一樹と関係を持ってしまったこと、そしてそれを解消したという報告と、最近別れた元カレというのが実は俺だったという事。


「正直ね、もう今いろんな感情でぐちゃぐちゃなんだけどさ、多分今後も私と関係を続けるのは難しいと思う」

「そうだね、難しいかもね」


 不思議とサキさんから関係をやめたいといわれても何も思えなかった。

 今思うのはどうすればサキさんを極力傷つけずに済むか、それだけだった。


「リカがね、まだ好きなんだって、どうしても忘れられないって。私リカと友達だし応援したい気持ちあるんだけど、でもさ・・・・・・渡したくないって気持ちもあるの」


泣きながらサキさんはそう言った。


「サキさん、俺の事好きなの?」


 聞かなくてもわかる、いくら鈍感でも流石にわかる。

 サキさんが俺のことを好いてくれていると言うこと、俺はサキさんが俺に対し好意を持っていてくれていることに甘えていたのだ。


「好きだよ、でもリカの事も大事なの」


 サキさんが言っていることは間違っている、でも気持ちがわからないわけでもない。

 もし本当にリカのことが大事なのであれば俺との関係を正直に話すべきだろう、只それをしていないのはまだサキさん自身がどっちをとるか決め切れていないからなのだろう。

 正直俺の中では結論が出ている、きっとサキさんもそれを察しているのだろうし、同じ考えなのだろう。


 だが、今のサキさんは答えを出すことを渋っているように見えた。


「サキさん、俺はね。サキさんといると楽だし安心するよ」

「それは私だって……」

「ただね」


 サキさんの言葉を遮る、それ以上言わせないように。


「俺はサキさんの事、恋愛的な意味で好きだと思った事ないよ」


 それを言った途端、また長い沈黙が始まる。

 今度の沈黙は先ほどとは違う、まるで停止魔法を掛けられたが如く、息をするのも苦しくなるほどの重い沈黙だった。

 先ほどから自分の心臓が痛い、何を訴えているのかわからない。きっと今この空間が重苦しくて仕方がなくてそれに耐えきれず心臓が悲鳴を上げているのだろう。


「……ごめんね、好きになっちゃって」


 サキさんはそう言った、今にも崩れてしまいそうな顔で。

 その一言が返事なのだろう、あとは俺が去ればいい、それでいいのだ。

 俺のことなどすぐに忘れるだろう、思い出してもそれはきっと最悪な思い出でそういえばあの時こんなクズな男がいたなと、喉にしつこく絡まった痰のように吐き出して忘れる。それでいい、それがお互いのためだ。


「多分忘れ物はないと思うけどあったら捨ててくれていいよ」


 俺の言葉への返答はなかった、返答はないがサキさんはずっと俺を見ている。

 まるでまだ何かを期待しているかのように、やめて欲しい、そんな目で俺を見ないで欲しい。

 一刻も早くサキさんの部屋から飛び出したくて歩き出す、その途中にあるキッチン、換気扇の下でよくタバコを吸っていた。

 ふと灰皿を見る、俺もサキさんもヘビースモーカーだから灰皿はすぐにぱんぱんになってしまっていたっけ。


 前は俺の吸うたばことサキさんの吸うたばこ、二種類の吸い殻で埋め尽くされていた灰皿は今一種類だけになっていた、吸い殻で分かるタバコの銘柄は俺の吸っているタバコだった。


 逃げ出した、外に出てすぐにポケットからタバコを取り出して火をつける。

 いつもより味がしない、こんな味だったっけ。


 サキさんの家から俺の家まで帰る道、何度も通っていたこの道。

 帰り道の俺はいつも満ち足りた気分で帰っていた気がする、でも今はその逆でどうしようもないほどの虚無感だけが俺の中にある。


 きっと寂しいのだろう、今までは寂しくなったらサキさんが俺の寂しさを埋めてくれていて今はその相手がいないからこんな気持ちになっているだけなのだ。

 決して俺がサキさんの事を好きだったとかそういうわけではない、そうだ。


 そもそも好きとか言うのであれば俺はサキさんのどこが好きだったのか、考えてみる、考えてみてもあまり思いつかない。

 楽だとか、安心するだとか。それが好きと言う感情であるはずがない。


 面倒くさい、好きと言う感情にしっかりとしたラインがあればいいのに、そうすればこんなことで悩む必要がなかった。

 異性に対してこう思い、こうしたいと思うことがあればそれが好きと言うことだ、と言う基準があれば俺が今サキさんの事を実は好きだったんじゃないかと頭を悩ませる必要がなかったのに。


「あぁー、しあわせになりてぇ……」


 周りには誰もいない、俺の言葉など誰も聞いていないだろう。

 ふとスマホの連絡先を見る、サキさんとの直近のやり取りがそこには記されていて他愛もない会話をしていたり、少しエロい会話をしていたり、恋人のような甘い会話をしていたり。

 知らない人から見ればその会話の内容はまさしくカップルそのもののようだ。


 サキさんが言った言葉を思い出す。

 結局は俺も大事だけど同じくらいリカの事も大事だということなのだろう。

 ふと気になった、これでもしも俺とリカがヨリを戻すことになったとして、それでもサキさんはリカの応援を心の底からできるのだろうかと。


 下種の考えだ、最低極まりない。


 どれくらい歩いただろう、気が付けば俺の家の近くにある自動販売機が見えた。呆然と歩いているうちにここまで来たのだろう。

 自動販売機を通り過ぎて俺の住むアパートの部屋へと向かう、俺の部屋は二階にあり当然階段を上らなくてはいけない。


 今時刻は深夜四時、もはや朝と言ってもいい、階段を上りきったところで俺の視界に飛び込んできたのは、


「ごめん、きちゃった」


 寒そうに、だが無理して笑顔を作るリカだった。


「……とりあえず入りなよ」


ここで突き放すことができていたのならば、俺はもっと立派な人間になれていたのだろう。

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