後編



 雨が上がった通りを俺はガキを抱えて走った。

 ともかくこの場から離れて駅に向かわなくては…何処かで車を手に入れよう。

 角を曲がった途端に向こうから若い女が悲鳴を上げながら走って来た。


「助けて!誰か助けて!」


 女の胸の辺りの服が引き裂かれて涙を流しながら後ろを何度も振り返り俺とガキの方に走って来た。


「お願いです!助けて下さい!追われているんです!」


 女は眼から涙を流しながら俺に向かって走って来た。


 (やれやれこんな状況でまた厄介なお荷物か…)


 俺は女の後ろに注意を向けた、彼女の姿をチェックしながら。


 そして、俺はCZを彼女に向けて撃った。

 女の履いているブーツが彼女の服装に全然似合わない、先程射殺した追手と同じものだったからだ。

 最後の追手はこいつだったんだ。


 しかし、何処かで迷いがあったのだろう、俺が放った弾丸は女に当たったがそれが致命傷にはならなかった。


 腹から血を流しながら女は鬼のような形相になり、手に持っていた小さな小瓶を振って、中の水を俺達に振りかけながら、腰の後ろに隠していたナイフを振りかざして襲ってきた。


「聖ミカエルの名のもとに!」


 そう叫ぶ女がナイフを振り上げた。

 俺は慎重に女の心臓を撃ち抜こうとピストルを発射したが、命中しなかった。


 何故かって?

 俺が抱えていたガキが女のかけた水を浴びて火が付いたように泣き叫んで暴れたからだ。

 俺が撃った銃弾をすれすれでかわした女が振り下ろしたナイフが俺の手首を深く切り裂いた。


 手首に激痛が走り、俺は暴れるガキを放した。

 ガキは道路に落ちて泣き叫んだ。


 女は手首を抑えて膝をついた俺に目もくれずにナイフをガキに振り下ろそうとした。


 くそ、気違いめ!


 俺は腰に隠し持っていたもう一丁のcz75を抜くと女の胴体に撃ち込んだ。

 女は横ざまに倒れた。


 落ちたCZを拾った俺は泣き叫ぶガキを起こそうとして固まっちまった。

 なんと、ガキの顔は女が振りかけた水の辺りからシュウシュウと煙が上がって焼けただれていた。


(しまった、何かの劇薬を掛けられたか?)


 俺は自分の顔を触った。

 俺自身の顔にもさっきの液体が掛かっているはずだ。

 だが、俺の顔には何の異常も無かった。


 そしてさらに驚いた事がある。

 街灯に照らされたガキの洋服には先程の奴が撃ったマシンガンの弾がいくつも穴を開けていた事だ。

 見間違い様が無い、弾丸が空けた穴は、確実にガキの命を奪うであろう部分に幾つも空いていた。


「これは一体…なぜこのガキは死なないんだ…なぜこのガキは水を掛けられて火傷をしているんだ…なぜだ!」


「お願い…」


 倒れている女が俺に弱々しく呟いた。


「早く…それを殺さないと…このナイフで…でないと世界は…破滅…」


 女は握りしめたナイフを震えながら俺に差し出してこと切れた。

 

 女のもう一方の手に握りしめられていたのは、教会で神父が使う聖水入りの小瓶だった。

 すると聖水を浴びてあのガキは…

 

 混乱した俺の目に映った女のナイフはさっきの奴が持っていたのと同じナイフだった。

 まがまがしい装飾が施された金色のナイフ。

 俺が泣き叫ぶガキをしりめにそのナイフを見つめた。

 俺は震える手でそのナイフを手に取ろうとした。


(俺は一体何をしようとしているのか…)


 しかし、俺の本能がガキを殺せと呟いている、いや、全力で叫んでいる。

 人間以外の何か、恐ろしく悪意がある存在…路上で泣き叫ぶガキを見て俺は感じた。


(そうだ、こいつは生きていてはならない存在なんだ)

 

 その時、午前0時を告げる鐘が人気の無い街に響き渡った。 

 

 俺は急いで女の手からナイフをもぎ取ってガキの方を向いた。

 俺の目の前に、あの、雇い主の男が立っていた。


「チッチッチッ、何をやろうとしているのかね?

 ミスター・エリ。

 どうも遅い物だからここまで迎えに来てしまったよ」


 男は笑顔で俺に言った。

 そして、鐘が鳴り終わった。

 

 日が変わり聖ミカエルの週が明けた。


 顔から煙を出して泣き叫んでいたガキが泣きやんで立ちあがると男のズボンを掴んで俺を見つめていた。

 ガキの顔の傷はみるみる小さくなり、消えた。

 俺は震える手に握りしめたナイフを放した。

 ナイフは乾いた音を立てて石畳の道路の上を転がった。


「そうそう、ミスター・エリ、それが賢明な選択だ。

 危うく変心しそうになったが君は見事に闇の王子を助け出してくれた。

 これは謝礼の残りだ」


 男はいつの間にか重そうなかばんを一つ、俺の足元に置いた。


「おっと、ほんのお礼に謝礼金に色を付けておいたよ。

 君が吹っ掛けた金額の3倍の金に更に匿名債権で同額が入っている。

 こちらは世界中のどの銀行でも身分証明書無しでいつでも現金化できるよ。

 まぁ、君なら知っていると思うがね。

 私の仕事が見事に進む手助けをしてくれたからね。

 ミスター・ルシフェルからミスター・エリに対してのささやかなお礼だよ」


 男はナイフを踏んづけて俺に近寄ると、俺の深く切り裂かれた手に高級なハンカチを巻いて止血してくれた。

 そして、手に着いた俺の血を旨そうに舐めた。

 男の舌の先は蛇の様に二股に分かれていた。


 男の目が赤く光って、これまた目を赤く光らせたガキを抱き上げた。

 聖水を浴びて焼けただれたガキの顔は見事に再生し、性悪な老婆のような邪悪な微笑みを浮かべている。

 聖ミカエルの週の間なら、きっととどめをさせたのだろうな、と俺はぼんやり考えた。


「聖ミカエルの週も終わった…手始めに、これからこの小癪な忌々しい町を破滅させるつもりだが、君が町を離れるまで少しだけ時間をやろう。

 出来るだけ遠くに行く事だな。

 私の手下どもは興奮すると見境なくなってしまうんだよ。

 目につく人間どもに手当たり次第に襲いかかって引きちぎり貪り食ってしまう…まぁ急ぐ事だ」


 男は見事な牙をむき出して笑った。


 聖ミカエルの週が明けた人気の無い深夜の街角で、空から何かまがまがしい、いびつな生き物が男の背後に何匹も降り立ち、道の端の下水溝からも同様な気が狂った画家が描いたような生き物が何匹も這い出して男の足元に集まって来た。


 俺は左手で鞄を拾うと、男に、自らを悪魔の親玉と名乗る男に背を向けて走った。

 駅に向かって走る俺の背後から、何やらこの世のものならぬ生き物の、虫唾が走るような吠え声が聞こえて来た。

 やがて、家々のドアを破る音、異形な奴らが家々に押し入る音、そして人々の悲鳴が…老若男女かまわずに生きたまま体を引き裂かれて貪り食われる、とても聞いていられない悲痛な悲鳴が聞こえて来た…




 

 


 あの晩、あの陰鬱な迷信深い街から逃げ出した俺は今、地球を半周してコスタリカの海岸に近い豪邸に住んでいる。

 驚いたことにあの晩すべての住人が食い殺された事は新聞にもテレビのニュースにも一切出なかった。

 どうなったのか気にはなるが、もう二度とあの町には行きたくない。


 そして今は、その豪邸に大金をはたいて改築してリゾート用のコンドミニアムを経営している。

 世界中の金持ち相手に目ん玉が飛び出るような金額を吹っ掛けて、結構繁盛しているぜ。

 しかし、中々裕福に楽隠居と言う訳にはいかない。

 オーナーである俺は、自分でも客の部屋の掃除をしたり料理を作ったり忙しいんだ。

 なにせ、余分な金が出来るたびに、悪魔を滅ぼすための武器を色々と買いつけているからな。

 異端の疑いでバチカンを追われた偏屈な神父を雇い(この神父と出会ったときのことを話すとまた長くなるんで止めておくが)世界中からせっせと「本物の悪魔を滅ぼす武器」を買い集めているんだ。

 これが又、馬鹿にならない金額でね。


 いつか奴らはこの平和で静かな町にもやって来るだろう。


 悪魔と人間の戦いはどう見ても人間が劣勢だからな。

 テレビや新聞やネットのニュースを見たら判るじゃないか。

 今、世界に悪意が吹き荒れている。

 喜んで悪魔に手を貸す連中が世界を牛耳っているから。

 俺の場合は知らず知らずに手を貸してしまったがな…


 これを読んでいる君達。

 いよいよやばいと思ったらコスタリカの俺の所に逃げて来いよ。

 太平洋側のプンタ・レナスという町の海沿いの豪邸だ。

 地元の連中に「要塞の家」はどこだと訊けばすぐに判るだろう。

 

 君達が使う分の武器もせっせと集めているからな。

 

 俺の今までの経験を役立てて巧妙に設計した「要塞の家」に立て籠もれば、何にも知らない奴らより少しは長く生き延びられるだろう。


 世界がミスター・ルシフェルとそのガキ、あいつらが率いる(俺達が確認しただけで)26もの悪魔の軍団の魔の手に落ちるまで、少しは反抗出来ると思う。

 悪魔を見ちまった奴らを、悪魔の企みを知ってしまった奴らを、それでも奴らと戦おうと思うガッツがある人間を俺は次々と迎え入れている。

 表向きはコンドミニアムの従業員と言う事でな。

 奴らにひと泡食わせる分は十分戦えるだろう。

 人数に余裕があれば世界のあちこちに派遣して奴らの企ての邪魔をしてやるんだが、残念ながら今のところその余裕は無い。

 

 だが、このまま手をこまねいてはいないぜ。

 今、着々と選りすぐりの『知ってしまった』戦士を集めている所だ。

 やがて世界を舞台に奴らに宣戦布告をするつもりだ。

 勝ち負けの計算をするような戦いとは訳が違う。

 捕虜を取らない、降伏しても命が助からない戦いほど厳しいものはない。

 奴らは降伏なんて受け入れるわけもないし、この世に逃げる所なんかどこにもないんでな。

 

 最終的にぼろカスに負けちまったとしても、奴らに魂を喰われる前に自分の頭を跡形もなく吹き飛ばす10ゲージのショットガンも用意してある。


 いざと言う時はあっという間にあの世まで逃げる最後の手段さ。


 やれやれ、世界の様子を見ていると、このままでは自分の頭をショットガンで吹き飛ばす事が最後の仕事になりそうだ。


 だが、奴らに魂を貪り喰われるよりはずっとましだ、この世には惨たらしく殺されるよりもずっとずっと酷いことも起きるんだ。


 君達、悪魔の企てをその目で見ちまったら、君に奴らと戦う勇気があれば。


 コスタリカ、プンタ・レナスの「要塞の家」だぜ。


 忘れないでくれよ。


 俺の名前はエリ・コーエンだ。


 いつでも君たちを受け入れるぜ。


 先週もジャポンからサムライソードのものすごい使い手がやってきて俺たちの仲間に加ったんだが・・・まだまだ全く人手が足りないんだ。








終り

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要塞の家 とみき ウィズ @tomiki

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