要塞の家

とみき ウィズ

前編

要塞の家( La casa de un Fortaleza)



                とみき ウィズ







 やれやれ、厄介な物を抱えて逃げる事は大変な事だ。

 厄介な物を抱えて逃げる事は非常に非常に大変な事だ。

 厄介な所に忍び込んで厄介な足手まといな物を抱えて、これまた厄介な追手を振り切りながら逃げる。

 非常に骨が折れる、ため息が出るほどに大変な事だ。

 

 こんな仕事を引き受けちまった俺もとうとうヤキが廻っちまったと思い知らされたのは、上手い事教会の地下に忍び込んで、金の鎖!に繋がれたガキを救い出し、逃げる途中で追手から車のタイヤを撃ち抜かれて車(長年愛用のマスタング!プレミア価格!)を捨て、じとじとと纏わりつく雨に濡れながら、厄介な物(ガキの事なんだが)を抱えて路地に逃げ込んだ時だった。


「こんな厄介な仕事を引き受けちまったらおしまいだぜ。

 命がいくつあったも足りないぞ」


 かつて仕事の手ほどきを受けた先輩の顔が浮かんだ。

 生粋のプロの彼は俺に向かって冷笑を浮かべ、人差し指を立てた手をチッチと左右に振った。


(畜生、判ってるさ。でも俺が思い切り吹っ掛けた金額の3倍の金をちらつかせられたらどうしようもないじゃないか)


 俺の名前はエリ・コーエン、始末屋、掃除屋、仕事屋と呼ばれる俺の仕事にも嫌気が差してきた今日この頃だ。


 おっと、理不尽な殺しと誘拐の仕事だけは引き受けたことはないけどな。

 諸君、勘違いはしないでくれよ。

 一応俺は俺なりの正義の基準で仕事を選んでいるんだぜ。


 俺は厄介な物を小脇に抱えて、さえない建物が立ち並ぶ路地裏の、あるビルの地下室の窓を蹴破り、埃だらけで暗い、カビの匂いが充満する薄汚い地下室に潜り込んだ。


 じとじとと纏わりつくような深夜の雨にすっかり濡れちまった俺はくたびれたコートに包んだ厄介な物を開いた。


「坊主、生きてるか?」


 コートに包まれた4歳のガキが顔を出した。

 あまり他人の外見にはこだわらない俺だが、知的障害者なのか、しまりが無い、中年の手癖が悪い男のような(俺が時々仕事を頼む、けちなスリのジジイそっくりだ)顔をした不愉快な感じのガキだった。


「パパは?」


 ガキは汚い地下室を見回して一言呟いた。

 なんてこった、声まで「一かけらも」可愛げが無い。

 何と言うか、下卑た娼婦の様な感じだ。

 安酒とタバコで喉を焼いた下卑た娼婦の声。


「しっ、黙ってろ。

 もう少ししたらパパに会わせてやるよ」


 俺は小声でガキに言ってから、通りに耳をそばだてて手に握ったCZ-75のマガジンを新しく入れ替えた。


 これで、親愛なる相棒の中にはチェンバーの1発を加えて15発の9ミリシルバーチップホローポイント弾が収まった。

 取り換えたマガジンに弾は7発残っていた。

 ショルダーホルスターのマガジンポウチに残っている満タンのマガジンが3つ。

 俺は7発弾が残っているマガジンを尻のポケットに押し込んだ。


 まだまだ十分に死を振りまけるぜ。

 CZ-75、チェコスロバキアの採算なんてどこの国の話だ?と考える会社の頑固な職人が鋼鉄から削り出した拳銃の逸品。

 多少デリケートで9ミリプラスなどの強化弾は撃てず、埃や汚れに神経質なガンだが、俺とCZ-75の共同作業ならば、瞬時に30メートル先の人間の目を撃ち抜ける。

 瞳のど真ん中をな。


 耳を澄ませて外の様子を窺っていたが、追手の奴らはまだここを見つけていない様だ。


 パトカーのサイレンも聞こえてこないので、俺はほっとした。 

 この町の人間はめったに夜に外に出ないし自分の家以外での事には驚くほど無関心で冷淡なんだ。

 あれだけの大騒ぎ、(銃を乱射しながらのカーチェイスの末に俺のマスタングはタイヤを撃ち抜かれ街灯に激突した。もっとも追手の車も、俺の必殺の銃撃で運転手の胸を撃ち抜かれコントロールを失ってガードレールに張り付いたが)にもかかわらず、町の奴らは警察に通報をしていないらしい。

 迷信深い陰鬱な町の奴らのカビが生えた様な表情が俺の脳裏をかすめた。


(この仕事を済ませば、この陰気な迷信深い町ともおさらばだ)


 俺は今までこなした仕事で稼いで貯めた金と、この仕事で頂く金を合わせたら充分に楽隠居できる金額を手に入れる事になる。


(そしたら中米の海沿いの町に引っ越してゆっくりと釣りでもして暮らすさ)


 俺はその事を思って頬をほころばせた。

 追手をかたずけて、町のはずれにある駅までこのいけすかないガキを無事に連れ出せば俺の仕事は終わりだ。


 後はあの、年に似合わない長い黒髪とまるで鷹の様に伸ばした爪の気味の悪いこいつのパパがこのガキを連れて逃げだす算段を整えているだろう。


 今から3日前、けちな仕事しか持ちかけない俺のさえないエージェントの紹介であの男に会った時の事を思い出した。


 あの男は町一番のホテルのカフェで俺を待っていた。

 男は上等な仕立てのダブルのスーツ、お上品に小指を立ててカプチーノのカップを持ち上げてすすった。

 そしてごつい指輪をはめた手にハンカチをつまんで口を拭いたのさ。

 嫌みたっぷりにお上品な奴だった。

 人を泣かせた金で贅沢をしている奴特有の、魂が腐ったような臭いを振りまいている。


「ミスター・エリ、ある対立する組織の者達が私の子供をさらって、よりによって教会に閉じ込められているのだ」


 あの男は上等なハバナ葉巻に火を点けながら、辺りに聞こえないギリギリの声で言った。


「子供の誘拐ならば警察に…」


 俺が言うと男は巨大な肉食獣のような不機嫌な唸り声を上げた。


「私達は密入国者なんだよ!官憲にばれてはまずいのだ!それにこの国の警察の仕事のお粗末さは君も充分にご存じだろう?」


 男は苦々しげに小声で言った。

 どこの国から来たのか訊いたら、とても発音できそうにない、聞いた事も無い国の名前を言った。


「なるほど、しかし、あなたの羽振りの良さそうな様子を見ているとあなたの部下などで解決できないんですか?

 優秀な荒っぽい事を平気でこなす部下が沢山いるのでは?」


 俺は一目でこの男の素性を見抜いたつもりだった。

 おそらく海外から進出してきたマフィア、それも羽振りが良いマフィアの親玉だろう。

 男の目がぎらりと光って俺を見たが、すぐに悲しそうな表情を浮かべた。


「私には信頼に足る充分に凶暴で残忍な部下が大勢いるが今の時期はまずいのだ。

 聖ミカエルの週だからな、この週は荒っぽい事が出来んのだ」


「ずいぶん信心深いのですね。

 でも、週が明けたら…」


「それでは間に合わんのだよ君!

 週が明けるまで待っていたらあの子は…」


 男は両目から涙を溢れさせた。

 そして気味の悪い猛禽類の様な鋭い爪をはやした手で顔を覆った。


「ともかく今週中に、遅くとも土曜日の夜の間にあの子を助け出して欲しいのだ。

 日曜日の午前0時になったら遅いのだ。

 日曜日の午前0時になってもあの子が戻らなかったら…私の一族は終わりなんだ!終わってしまう!」


 男は涙に震える声で言った。


 そして、どさりと机に鞄を置いた。

 中にはぎっしりと前金の札束が入っていた。

 俺が思い切り吹っ掛けた金額の3倍の半分。


「判りました引き受けましょう。

 他に何か条件はありますか?」


 俺は鞄の中に手を入れて札束を数えながら聞いた。


「君一人の手でやって欲しい、誰か他の人間を関わらせるな。

 君は一匹狼で優秀なんだろう?

 あの組織が育てた1人編成の軍隊コース出身。

 今は優秀な始末屋で掃除屋だ。

 元ジャーナリスト、元国連爆弾処理班、元傭兵、元マフィアの凄腕ガンマンの君なんだろ?

 そしてごく平和な東洋の国の男。」


 男はそう言うとまた、ハバナ葉巻を吹かした。

 呆れたな、俺の秘密にしてある経歴をどういうつてで調べたのか全てお見通しのようだ。


「ええ、私は非常に優秀ですよ。

 あなたの思っている通りに、いや、それ以上に優秀です」


 俺は札束でずっしりと重い鞄を手に立ち上がりながら言った。


「ミスター・エリ、よろしく頼む」


 俺は男の差し出した手を握り、ぞっとした。

 冷たくざらざらとした肌。

 まるで死人と塹壕で死んでから1週間は経っているような不気味な手触りの手と握手した気分だった。


 さて回想シーンは終わり、俺は銃を構えて慎重に地下室のドアを開け、周りを窺うとガキの手を握り廊下に出た。

 ガキの手の爪もあの男の様に猛禽類の様に爪を伸ばしていた。

 親子そろって変な宗教でもしているんだろうな。

 

 まぁ、俺には関係無い事だ、こんな可愛げが無いガキでも金の鎖に繋がれて危害を加えられるのは許されないことだ。


 俺は銃を構えて慎重に廊下を進み、長く暗い廊下を抜けると地上に出る階段にたどり着いた。

 俺はガキにじっとしている様に言うとゆっくり階段を上がって行った。


 腹ばいになってドアを少し開け、胸のポケットから歯ブラシの先に付けた小さい鏡を通りに突き出して回転させて様子を窺った。


 追手の1人が小型のマシンピストルを構えて通りの反対側の今は電球が切れた街灯の下で蹲っていた。


 そして、その男のカバーをするようにもう1人、通りの車の陰にしゃがんで周りを窺っているのが見えた。


 チキショウ、奴らはプロ中のプロだ。


 やみくもに辺りを走り回らないで俺が姿を消したあたりに網を張っている。


 奴らの身のこなしも並みじゃない。


 奴らの統一された武器(P-90なんてマシンガンはそうそう拝めない代物だ)、お互いに仲間をカバーする配置、マシンガンを構えて低く構える姿勢を見て俺は背筋が寒くなった。


 俺が特殊部隊でしごかれた時に教官から口を酸っぱくなるほど言われたとおりに低く構えてる。


「いいか!運など関係無い!生き残った奴らは低くコンパクトに銃を構えて戦った奴らなんだ!薄汚いダンゴムシの様に低くコンパクトに構えろ!その、お猿さん並みの脳味噌を吹き飛ばされたくなかったらな!泥の中でも糞の中でも低く低くそしてコンパクトに構えるんだ!

 ぼけっと突っ立ってマシンガンを乱射するなんざテレビや映画のお惚け脚本家が考えた馬鹿げたファンタジーだと言うことをそのお粗末な脳味噌に叩き込め!」


 今でもあのゴリラの様な教官の、オカマの象が吠えている様な声が耳にこびり付いているぜ。 


 奴らが陣取った場所も、下手な跳弾に当たらないように壁から1メートルは身を放して、銃弾を通さない遮蔽物から半身を出している。


 プロ同士の撃ち合いは低い所で起こる事を良く知っている心憎い奴らだ。


 しばらく町のチンピラやランボー気取りのマフィアの阿呆達とばかり撃ち合って来た俺にとっては久々に緊張する場面だ。


 とても正面から撃ち合って勝てる奴らでは無い。


 さっき追ってきた奴らのうちの1人は片付けたはずだ。


 残りは3人。


 今通りに見えているのは2人、あと1人がどこかに息を潜めているだろう。


 おそらく、あの2人をカバーするために、何処か高い所にいるかもしれない。


 さてどうするか?


 その時に階段をあのガキがどたどたと上がって来た。


「パパァ!」


 ガキは階段にはいつくばっている俺を踏み越えて通りに飛び出した。


「あ!よせ!戻れ!このくそがき!」


 たちまち泣きながら走るガキの足元を着弾の煙が追った。


「畜生!」


 俺はガキに向けてマシンガンを撃つ野郎を撃った。


 2発撃った所で車の陰の奴が倒れた。


 何?瞬時に30メートル先の目玉を撃ち抜くんじゃなかったのかって?

 

 奴は32メートル先にいたんだよ!

 

 街灯の下の奴も俺の存在を知った様だが、なんと、奴は俺を無視して!

 

 P-90を撃ちながら、走り続けるガキの後を追った。


 奴は弾を撃ち尽くしたP-90を捨てて、懐から何やらナイフの様な物を抜いて、通りに転んだガキの元に走って行った。


 もう一人、じっと俺達を窺っている奴がいるはずだが、そんな事を気にしている暇が無かった。

 大事な大事な金蔓だからな。


 俺は立ち上がり、ガキに向かって走る奴の注意を引こうと大声で叫びながら通りを走った。


 俺は走りながら、後ろから奴の肩甲骨の間に2発撃ちこんだ。

 俺が放った弾丸が後ろから奴の背骨を砕きながら奴の骨の破片をお供に心臓に深く食い込み、奴は胸から下の体の制御を失い、派手に通りに倒れた。


 俺が放った9ミリのシルバーチップ弾は上手いこと奴の脊髄も破壊したようだ。

 しかし驚いた事に奴は後ろから撃った俺に頓着せずに腕を使って動かなくなった胴体を引きずりながら必死にガキに這い寄って行った。


 俺は男に走り寄り至近距離から改めて胸に2発そして後頭部に1発撃ち込んだ。

 典型的なモザンビークスタイル。

 これで即死しない人間は居ない。

 石畳に派手に血と脳味噌を振りまいて男の動きが止まった。


 俺は通りを見回し、建物の2階3階を見回しながらガキに近寄った。

 もう一人潜んでいるとすれば、セオリー通りならそいつはどこか高い所にいるはずだ。


 俺が撃ち殺した男は何やら大仰な装飾が付けられた、古風なナイフを握りしめていた。

 しとしと降る雨に打たれ、所々灯っている街灯の光を反射して鈍く光るナイフの刃を見て俺は顔をしかめた。

 実用的でない、凶悪な刃。

 およそ気に入らないガキだが、こんなおっかないナイフで子供の命を奪おうなんて…対立する組織とはカルト教団かも知れない。

 それもかなり逝っちまっているキチガイ、いやいや精神に不自由をしてる連中だ。



 俺は倒れているガキを抱き起した。

 幸い弾は当たっていなかったようでどこも痛がっていないし出血した様子もない。

 俺は一安心しながらガキを抱えて通りを走りだした。


 窓から町の奴らが数人、俺達を見下ろしたが、奴らは、俺達を見て十字を切り、人差し指と中指を絡める地元独特の魔除けのしぐさをしてカーテンを閉めた。

 

 雨はいつの間にか止んでいた。

 俺は腕時計を見た。

 午後11時50分。

 もう時間に余裕が無いぜ。

 俺は足を速めて駅に向かった。





続く


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