第31話

 ラクスにエスコートをされて、ベルルシアは久々の社交場へと足を踏み入れる。

 星見会と銘打たれたそれは海辺のオーベルジュを貸し切ったもので、参加者達は思い思いに屋内とテラスを行き来しながら供される小料理や酒に舌鼓を打つ。


 その中で、目立つ赤毛となったベルルシアはうまいこと誘蛾灯のような役割を果たしていた。

 珍しい容姿の新顔だと興味を惹いた者達と顔を繋ぎ、情報の聞き出しはラクスへと譲る。


 会話を誰かに譲ることと、その場からそっと離れることは、ベルルシアにとっては慣れたものだ。

 引き立て役と揶揄されたのは全くの的外れというわけでもない。火のないところに煙は立たないという通り、社交界でのベルルシアの振る舞い方は紛うことなく誰かの引き立て役だった事ばかりだ。


「ソフィア、その方は? 私にも紹介してくれないか」

「ウィリアム、戻ってきましたのね。こちらはエバートリ卿ですわ。初めて見る顔だとお声を掛けてくださいましたの」

「ああ、主催の方の弟君の。妻に親切にして頂いてありがとうございます。私はウィリアム・テレンスと申します」


 狙い定めていた相手がようやく掛かった緊張から、ややぶっきらぼうな喋り方となったラクスの背を、ベルルシアはエバートリ卿からは見えないようにそっと撫でる。


 2人は今夜、外国から旅行で来た貴族の夫婦、ウィリアムとソフィアという仮面を被っている。

 潜入捜査で別人を装って他人と会話をする事は、やはり大きな不安が付き纏う。

 貴族的な振る舞いに慣れていないラクスは尚更だった。


「テレンスさん、そう堅くならず。奥方と共に今夜の星見会は楽しんでいってください。見る場所が違えば見える星々も異なりますので。なんでも、外国からカイレルに最近いらしたばかりだとか?」

「ええそうです、ザルカドニアから旅行で」

「あぁザルカドニア! いい国とお伺いしておりますよ。なんでも、ずいぶんと市場が活発な都市が多いとか?」

「商業ギルドがうまくやってくれているようです。我が国では従僕に算盤を弾かせる貴族もおります故、付き合いが深いのです」


 エバートリ卿は貴族には珍しく、貿易商として身を立てている人物だ。

 近隣国の中でも商業的に存在感のあるザルカドニアという国の話題を出せば彼の興味を引けることは分かっている。


「カイレルには長く滞在を?」

「一月ほどを目安に。美しい都市なのでもう少し伸びるやもしれません……すっかり妻が魅了されてしまっていてね。ダルビヨン公国やサガリスではこれほど楽しそうな様子ではなかったのですが」

「なんとも素晴らしい旅程だ。サガリスは花の盛りをご覧になりましたか」

「ええ、それを目当てに。それと、いくらかレースの買付も。糸の質と模様の美しさで少し話題になっておりまして……」


 相変わらず緊張した様子ではあるが、それでもラクスはザルカドニア貴族のウィリアム・テレンスをどうにか演じて、事前に頭に叩き込んでおいた周辺国の貿易状況の情報をうまく会話に載せた。

 その話題の誘導の巧みさは、流石は先輩だとベルルシアも素直に感心する。


 ここ十数年、大陸ではほとんど大きな戦は起こらず、国家間の交流と交易は活発になる一方だ。そうなると羽振りのよい者も増えてきて、そういう者達は遠い土地の名産品へと興味を募らせる。

 貿易商を営むエバートリ卿も当然、その需要の高まりは掴んでいる。


 会話を進めるほどに彼の目が爛々と輝くさまを傍から冷静に見極めていたベルルシアは、相手が完全にのめり込んだのを見計らい、そっとラクスの袖を摘んだ。

 そろそろ潮時だ。ここでエバートリ卿が知りたいだけ話をしてしまっては、こちらの探りたい情報を引き出す機会がなくなってしまう。


「……おっと。少々酒を飲みすぎてしまったようです」


 話に一段落つけ、ラクスは手元の空になったグラスを軽く振ってみせた。

 ダルビヨン公国の美食の話が盛り上がりかけたところだったので、エバートリ卿があからさまにがっかりとした表情をする。


 今夜の星見会の主催は彼の兄夫婦ではあるが、実際に会を取り仕切っているのはエバートリ卿だ。

 供されている食事と酒を見れば、彼がどれだけそれに拘りをもっているかは一目瞭然だった。


「ソフィア、エバートリ卿のせっかくのおすすめだ、バルコニーに出てみようか?」

「ぜひ星の違いを確かめたいわ。ではエバートリ卿、また後で」

「はい、またいつでもお声掛け下さい。私もザルカドニアのお話をお伺いしたいですから」


 未練たっぷりといった様子のエバートリ卿が離れていってから、ベルルシアはラクスのエスコートに手を預けた。


 星見の会ということもあり、2階のバルコニーは3階と比べて人気がない。

 念のため物陰からは距離を取って、2人は外へ出る。


「うまくいっただろうか……」


 ラクスの零した溜息のような小声に、ベルルシアは肩を竦めた。


「エバートリ卿の興味は十分に惹けたと思いますし、話し好きの貴族という印象も十分に与えられたかと思いますが……先程の会話だけでコルテ伯爵に繋がるかどうかは」


 情報収集の本命はエバートリ卿ではなく、その兄であるコルテ伯爵夫妻の方だ。

 だが、流石に初対面ではおいそれと近づける相手ではなく、その弟であるエバートリ卿の攻略から始める作戦となっている。

 今夜の目的は彼と顔見知りになる事で、それ自体は達成できた。次の会話に繋げやすい話の展開もうまく行ったとベルルシアもラクスも考えている。


「とりあえず、この後は分かれての行動だな。俺はカードルームに入ろうと思う。その間、クレヴァリーさんはティールームで待機していてくれ」

「はい。ボロを出さないように気をつけます」


 マノンシア邸での調査と違って、今回の任務は人を相手にした情報収集だ。

 状況を掌握する話術や相手の心理状況の読み取りなど、ベルルシアにはやり方の検討すらつかない技術が必要とされるそれに、「下手に手を出すなよ」とユランからも釘を刺されている。


 ベルルシアの役割はあくまでラクスの補佐だ。

 作り込んだ容姿をうまく使って他人の目を集めることと、ラクスに足りない貴族的な雰囲気を補うこと。


「……うまく演れていると思うけどな」


 余計なことを話さないことと、貴族としての外面を取り繕うことは、引き立て役以前に貴族令嬢の嗜みだ。


「そうだといいのですが」


 大した事はできていないと考えているベルルシアは、にこりと微笑んで軽くラクスの言葉を流した。

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