第30話
休暇の間、カイレルまでの移動時間にどんなことを話したり訊ねたりしようか、ほんの少しだけ胸を膨らませて考えていた筈だった。
けれど実際馬車に乗り、オトラルドから任務内容の詳細を聞いてからは、そんな気持ちも萎えてしまった。
ベルルシアは男性2人の会話の聞き役へとなんとなく回り、話そうと思っていた内容も、水を向けられた時に掻い摘んで話す程度だ。
別に話しづらい雰囲気という訳ではないが、自分から話題を出すのに気乗りがしない。
「お、カイレルが見えたぞー」
出発からおよそ半日。
昼時を少し過ぎた頃、御者の兵士の声が聞こえて、気詰まりしていたベルルシアはこれ幸いと窓から顔を出した。
真っ白な城壁と、鮮やかな橙色の屋根の美しさは、まさしく港湾都市カイレルの特徴だ。
「カイレル、久しぶりだなぁ〜」
「来たことあるんですか?」
「小さい頃はこっちに住んでたんだよ。そういうクレヴァリーちゃんは?」
「5年くらい前に、家族で旅行に訪れました」
確か、女学院に入学する前年だ。異世界の記憶の分、実際よりももっと昔に感じて、美しく活気のある都市だということしか覚えていない。
「任務中にも半日とかの非番はあるからね。お土産とか買えるよ」
「いいのですか? 守秘義務……」
「任務が終わった後ならね」
家族にお土産を買えるとなると、ベルルシアもカイレルでの任務が少し楽しみになってきた。
休みの日にどこを見ようか、何を買おうか、ワクワクと思考を膨らませていると、向かいに座るラクスが小さく咳払いをする。
「クレヴァリーさん、良ければ案内するぞ。実家の伝手でカイレルの店の事なら少しは知ってるんだ」
「そうなんですね。任務のこともありますし、機会があればよろしくお願いします」
親切なラクスの申し出にぺこ、と頭を下げながら、ベルルシアはますます気詰まりを感じた。
今回の任務は社交界での情報収集だ。
ベルルシアはラクスのパートナーを装って社交場へと潜り込む事になっている。
否やと言うつもりは無いが、考えるほど気が重い。
変装して全くの別人として振る舞う予定ではあるのだが、マノンシア侯爵邸とは違い、カイレルの社交界には知り合いが居る可能性が高いのだ。
女学院時代の知り合いで、女官などの職につかずデビュタントとして社交界に出た者達は、王宮と共にこちらへ移っていると聞く。
社交場で彼女達と顔を合わせるのは気が重い。
◆
カイレルでの拠点に到着早々、ベルルシアの顔に化粧を施しながら、オトラルドはちょっとした空気の重さを感じ取っていた。
ユラン、ベルルシア、ラクスの全員が、どこかしらピリピリとした緊張感を放っているのだ。
(……あー、う〜ん、なぁにこれぇ)
今朝の集合時にはごく和やかな雰囲気だった。
新人2人は竜翼師団では珍しいほどに癖のない穏やかな性格をしていて、ユランに無駄に突っかかる事もない。
そのせいで余計にうるさくなった連中もいるが、作戦室の中は至って平和で、ユランの機嫌もかなり良い。
だというのに、である。
満を持しての長期任務に出た途端にこれだ。
ユランに関しては馬車が異なったので全く理由不明だが、問題は目の前でどんどん緊張感を増していったラクスとベルルシアの方だ。
ベルルシアに関しては、任務の事を思って不安に陥っているのだろうということは分かるが、ラクスの方はそうではない。
表面上は上手く取り繕ってはいるが、彼はベルルシアの気分の下降に釣られるようにして、機嫌を悪くしていった。
(えー……絶対ろくでもない。ほんとろくでもないよ〜このタイミングでそれは)
女の素っ気ない態度にやきもきするなど、明らかに色恋沙汰の面倒の気配だ。
(せっかく使いやすい新人なのに〜……)
ただでさえ人間関係に煩わされる毎日である。
素直で真面目な新人に癒されていたオトラルドとしては、なるべくあって欲しくない可能性だった。
「……髪の色って、こんなに簡単に変わるのですねぇ」
不穏になりつつある身の回りに嘆きつつ、手を動かし続けるオトラルドに対し、ベルルシアは暢気なものだ。
木の幹のようなくすんだ茶色から、深い赤色に染まった髪をつまんで、しげしげと眺めている。
「持続性はないから、何度か洗ううちに落ちて元の色に戻るよ〜。任務のうちにもう何度か染めるかも」
「はい。よろしくお願いします」
ベルルシアが任務の何に対して不安を感じていたのか、オトラルドにはおよその見当がついている。
彼女は歴とした貴族令嬢で、女学院にも通っていた経歴を持つ。
知り合いが多い場で、別人を装うことが気が重いのだろう。
そう考えて、思い切って髪色から大きく見た目を変えてやれば、目に見えてベルルシアの状態は良くなった。
今回の任務は情報収集が目的だ。
注目を集めて話が出来る方が都合が良いため、ベルルシアの装いを艶やかに盛る。
特徴は無いが整った顔立ちをしているベルルシアの顔は化粧によって印象を変えやすい。
ユランの変装を手伝っていた頃とは違って、別人のように化けさせる事が可能なので、オトラルドは楽しくなってきた。
出来上がった姿を改めて見てみると、理想的なまでに華やかな容姿の美少女が構築されている。
「ちょいちょい、クレヴァリーちゃん鏡見て鏡」
「……わぁ、凄い。別人ですね……」
己の手腕に興奮気味のオトラルドとは温度差の激しい事に、ベルルシアは妙にしげしげと感心するだけだった。
表情が動き出すと、作り物の美しさに生気が篭って魅力へと変わる。
(あー……これまずいかも。ちょっと俺気合い入れすぎたかも)
オトラルドは頭を掻きながら嫌な予感に苦く笑う。
弟妹の多い彼にとって、若者達の感情表現は手に取るように分かりやすい。その人間関係を一歩引いたところから眺めているから余計にだ。
支度を終えたラクスと、彼に社交界への潜入での注意点を説明していたユランが合流した瞬間、予感は確信となった。
ラクスは呆然とベルルシアに見惚れ、ユランは僅かに顔を顰めた。
「え、変ですか?」
「……いや、別に」
そして、ベルルシアが反応したのはユランの表情だった。
(うわー……泥沼はやめてくれ〜……)
オトラルドは胃が痛くなってきて、鳩尾を抑えた。
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