長期任務へ
第29話
「ベル、どう? さっきのお花は出来たかしら?」
「ま、まだです。花弁3枚がやっと縫い終わっただけです」
クレヴァリー夫人は娘の手元を遠慮なく覗き込む。
そうすると慌てた娘がグイグイと押し返そうとするのが可愛くて、昔からついついやってしまう。
およそ1ヶ月半ぶりの休暇を貰ったベルルシアは、家に戻っていた。
これまでも半日や1日だけの休みはあったのだが、両親の方が忙しそうにしており、なかなか帰る機会が無かったのだ。
「あら、綺麗な色ねぇ……」
「まだ男か女かも分からないのでしょう? どちらでも構わない色にしようと思って」
うっとりと刺した花弁に魅入ってくれる母に、ベルルシアは気恥ずかしくて早口になった。
「そうねえ。お腹の膨らみかたや魔力を見てもらえれば、ある程度は予測ができるけど……産まれてこないとはっきりはしないわね」
「お義姉さまが喜んでくれるといいのですが」
「喜ぶわよ。ほら、あちらは兄二人でしょう。あげるばかりで貰ったことは無いのですって」
両親がここ最近忙しかったのは、兄のところに子が出来たからだ。
初産となる兄嫁は
父もなにくれと様子を見に行っていたようで、家を留守にすることが多かった。
ベルルシアが刺繍を刺しているのは赤ん坊のお包みで、布の端処理を兼ねて蔓草と花を模した図柄をちくちくとやっている。
家族恋しさに家に帰ってきたのはいいが、特にやる事も無いので暇なのだ。
性根が真面目なので、手を動かさずにいると坐りが悪くなってしまう。ちょうどいいところにあった針仕事に精を出しているのはそういう訳だった。
「お休みのうちに終わるかしら」
「3日もありますから、大丈夫です」
ベルルシアはにこにこと微笑んで、楽しげな母の様子をじっと目に焼き付けた。
休暇明けには、ベルルシアはカラティオンを離れ、カイレルでの長期任務に帯同する。
(……大丈夫。長期といってもほんの二ヶ月ですもの。今回だって、一ヶ月半は会えなかったけれど、どうということも無かったのだし……)
当初はあれだけ嫌がった都市外への長期任務だが、ベルルシアはどうにか乗り切れそうだという気持ちになっていた。
不慣れな旅路の荷造りのため、という口実でユランが長めの休暇を与えてくれたのだから、その優しさに報いたいと思うのだ。
――残された書類の数からして、ベルルシアを抜けさせた作戦室には余裕が無い筈だ。もしかすると、ユランがまた休暇返上で仕事をしているかもしれない。
それを思うと、せっかく家に帰ってこられたというのに、何だか気持ちがソワソワした。
(……ちゃんとお茶、飲んでるでしょうか)
好みであるらしい甘いお茶の淹れ方をメモに書き起こして置いてきたが、どうにもユランが自分でその手順をやるとは思い難い。
(刺繍とか……持ってなさそうですよね……)
手元の色鮮やかな花の図案をじっと見つめて、ベルルシアは物思いに引き込まれていった。
あまり見たことのない表情ね、と、それを横目に眇めるクレヴァリー夫人が首を傾げている事にも気づかずに。
◆
港湾都市カイレルは、貴族の間では避暑地としても人気が高く、カラティオンと比肩するほど発展した大都市だ。
特に今年からは王族が王宮ごとカイレルへ居城を移しており、実質的には王都となっている。
夏の社交界もその影響を受け、ほぼ全てがカイレルでの開催となった。今回の長期任務はその社交界での情報収集が主となる。
休暇明け、ベルルシアが自分の荷物を抱えて集合場所に行くと、ユランとオトラルド、ラクスが既に揃っている。
「す、すみません! お待たせしました!」
真夏に外で待たせてしまった。
パタパタと小走りで駆け寄ると、オトラルドが荷物を受け取ってくれて、馬車の荷台に積む。
馬車は二頭立ての箱馬車が2台用意されている。
カイレルでは社交場への潜入もある。塗装をし直せば使えるものを選んだのだろう。
御者はベルルシアの知らない兵士達で、少し離れた日陰で休んでいる。ベルルシアと目が合うと、ペコリと会釈をされて、ベルルシアも慌てて礼を取った。
「じゃあ、揃ったし、早速出発しようか?」
オトラルドの声は暑い日でも快活だ。
ユランとオトラルドはそれぞれ別々の馬車にさっさと乗ってしまい、新人のラクスとベルルシアは少し戸惑って視線を交わす。
「クレヴァリーさん、こんなに暑いのに走って来て大丈夫か? 俺氷影式の魔術使えるから、同じ馬車乗るか」
「え? でも……」
馬車は2台で乗るのは4人だ。こう暑くては御者との交代もあるかもしれないし、同数で分かれるべきではないだろうか、とベルルシアは首を傾げる。
「上官は一人で馬車で寛ぐ人が多いし、副官は特に人嫌いだろ。3人で乗った方がいい。どうせ席はそんなに狭くないし」
なるほど、一理ある。師団内のことはラクスの方が詳しいので、そういう暗黙の了解があるのだろう。
ベルルシアは頷いて、なんとなくユランと同じ馬車に向けかけていた足を、ラクスに促されるままオトラルドと同じ馬車へと向けた。
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