第28話

 それからしばらくの間、ユランとオトラルドは任務に忙しく、作戦室に殆ど戻ってこなかった。

 戻ってくる時は、「これやっておいて」とベルルシアに報告書や調査書などの書類を投げにくる時だ。


 通常業務に加え、作戦室メンバーによる令嬢連続失踪事件の書類も加わると、ベルルシアの方も目が回るような忙しさとなった。


 あまりに仕事が終わらないので、ユランが居ないのをいい事に、上階の仮眠室を借りて泊まり込むことも何度もあった。


 そういう孤軍奮闘が何日も続いたので、ガヴィルの隊に貸し出されていたラクスが作戦室へと戻って来た日、ベルルシアは半分寝た頭でラクスに抱きついた。


「ラクスさんお帰りなさい! 戻ってくるのを待ってたんです!!」


 がば、と腰のあたりに腕を回して飛びついたベルルシアに、ラクスはギョッとして「クレヴァリーさん⁉︎ ちょっ、近い! やめてくれ‼︎」と顔を赤くして叫ぶ。


 どうにかベルルシアの腕から抜け出そうともがいているが、石のような堅さの拘束は全く剥がれる様子はない。


「えっ、ビクともしない……!」

「ふふふ、最近鍛え直してるんです」


 地獄のような鬼ごっこを経て、ユランが不在でも自己鍛錬を続けているベルルシアの筋力は、魄気の増加も相まって爆発的に強度を増している。


「元からあれだけ強いのにか⁈ ていうか、本当にちょっと……離れてくれ! あんた貴族の御令嬢だろ⁉︎」


 ラクスの声が本気で切羽詰まってきたのが分かり、ベルルシアは多少我に帰ってラクスから離れた。

 シワの寄ったスカートを払い、ベルルシアはコホンと咳払いをする。


「すみませんでした。最近ずっと一人勤務で忙しかったので、ラクスさんが戻って来てくれて凄く嬉しくなってしまって」

「ああ……なかなか戻れなくて悪かったな」

「向こうで何か嫌なこと、言われたりされたりしませんでしたか?」

「いや。多少は稽古だと言って絡まれたりしたが、怪我をさせられたりするほどじゃなかった。クレヴァリーさんの方はどうだった?」

「作戦室には誰も来ませんから、大丈夫です」


 誰もこないどころか、ユランが居ない日は作戦室を覗き込むような人間さえ居ない。


 粘つくような悪意の視線は時折感じるが、それらは大抵、ユランに向いた感情だ。

 今のところ、ベルルシアに直接何かをする気は無いらしく、扱いとしては存在ごと無視されているような感覚がある。


「いや、そうじゃなくて……まあ、それもそうなんだけど。何も無いならいいんだ」


 なんだか煮え切らない事を言ったラクスは頭を振ると、ベルルシアの机に積まれた書類の山を自分の机へと移し始めた。


「仕事は俺が引き継ぐから、やってもらいたい事がある。作戦室に戻り次第、クレヴァリーさんに教えろってオトラルドさんから言われてた事があって」

「え? なんですか?」 

「通信魔術具の扱い方だ」


 通信魔術具。聞き慣れない単語にベルルシアはぱちりと瞬きをする。


「竜翼師団には遠隔でやりとりをするための魔術具があるんだ。仕組み自体はそんなに難しくないが、やり取りの仕方が特殊でな」


 机の上のものをどかし終えると、ラクスはベルトから懐中時計のようなものを外した。


 銀色のつるりとした単純な形をしていて、丸い表面には何やら複雑な紋様が刻まれている。


「中に魔石が入ってる。消費魔力は少ないから、ほぼ半永久的に動くらしい。使い方は蓋に刻まれた魔術陣を叩くだけ」

「叩くだけですか?」

「一定のリズムでな。魔石についての知識は?」


 ベルルシアは首を横に振った。


 普段の生活の中で見かける魔石は魔光灯の軸となっている石くらいのもので、それ以外はほとんど馴染みがない。

 せいぜいが魔力を溜め込んだ魔獣の体の一部らしい、という事を知っているくらいだ。


 それをラクスに伝えると、「元々一つだった魔石を砕くと、魔力の動きが同調するんだ」と言って、今度は耳からカフピアスを外した。


 白色の石と青色の石が銀の台座に嵌め込まれただけのそれは、言ってしまえば無骨なデザインで、何の装飾性もない。

 懐中時計型の方もその雰囲気は同様で、装身具ではあるがアクセサリーとは異なるのものだという事が分かる。


「これは通信の自己確認用で、軸にある魔術陣の働きで微かに音が鳴るようになってる。耳に寄せてみてくれ」


 促されるままにカフピアスを耳に近づけると、ラクスが懐中時計型の方を手のひらで叩いた。

 同時に、チリ、と耳元で高い音が鳴る。


「聞こえました」

「よし。通信の仕組みは分かったか?」

「たぶん……大丈夫です」


 魔道具の仕組みは全く分からないが、とにかく、懐中時計型の模様を叩けばピアスが音を立てるのだということは頭に入った。


「なら、肝心の通信の方なんだが。叩き方の組み合わせによって意味が変わるんだ。二回続けて叩くと『了解』や『準備完了』、三回続けて叩くと『出来ない』とか『止まれ』とか」


 狼煙や角笛の改良版なんだな、とベルルシアはその説明を理解した。

 異世界では魔人と戦うためにあちこちに城砦があり、その間では緊急的に角笛の音や薪の煙を使ってやりとりをすることもあった。


 それらは敵側にも見えたり聞こえたりするので、身構えたり発信元を攻撃される危険があったが、この魔術具にはそれがない。

 味方とだけやり取りができ、即時での意思疎通も可能となる。


「凄いですね、これ……」


 ベルルシアの経験した纑夥ロカの戦場にもしこれが存在したなら、結果は大きく変わっていた筈だ。

 勿論戦場だけの事でなく、潜入調査などの竜翼師団が担う任務であっても、その恩恵は変わらない。


 相手の出方を見てから、仲間と連携が取れることの優位性の高さを、ベルルシアは知っている。


「画期的だよな。この魔術具を開発したことで、ユラン副官は最年少で副官に任命されたんだ」

「ユランさんが?」


 ラクスは無言で首肯だけを返した。

 褒めるような言葉とは裏腹に、声色に少しだけ険しいものが混じっていた。


(……ああ、シモンさんがああいう人になってしまった原因がこれなんですね)


 ひいては今の竜翼師団の現状を作り出したのが、この魔術具ということでもある。


 ベルルシアはラクスをもう一度横目に伺い、大変そうだな、と少し同情的な気持ちになった。


 ラクスは、あまりユランには好意的ではない。

 それなのに文句も言わずユランの支配下にある作戦室での仕事を行い、不慣れなベルルシアの面倒もよく見てくれる。

 シモンの沙汰にも沈黙を貫いており、ガヴィルに無理矢理駆り出された事にも、不満を露わにした事は無い。


 全員に対してできる限り誠実に接しようとしているのだと、付き合いの短いベルルシアでも分かる。


 それは素晴らしい人徳だ。

 だが現状の歪みを抱える竜翼師団では、その性格は辛い思いをする一方なように思えた。

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