第26話

 マノンシア侯爵家には、公爵家の嫡男と婚約している14歳の令嬢がいる。


 連続失踪事件に絡む婚約破棄騒動は、大抵の場合が失踪する側の令嬢を発端として騒ぎが起こり、最終的には婚約の撤回に至る。

 どの事件にもそういう力関係の三家が絡むとすれば、まず怪しいのは高位の貴族の方である。

 という事で、今回の調査対象に選ばれたそうだ。


 二階の寝室は、その令嬢が使っている部屋だ。


 ベルルシアは静かに部屋へと滑り込んで、ほぅ、と息を吐いた。

 

 中央に天蓋付きの寝台が置かれた部屋は、磨き上げられた桃花心木製の家具とセルドリス産のファブリックで揃えられた上品な設えをしており、一目で侯爵家の財力が見て取れる。


 怪しまれないようにある程度掃除をするべきか考えていたベルルシアは、即座にその考えを変えた。

 素人が下手に手を出して、万が一傷でもつけたら大変なことだ。


 探る箇所と何を見ればいいかはオトラルドから教わってきた。


 ライティングビューロを開けて、手紙を探る。

 人脈を財産のひとつに数える侯爵家の令嬢ともなれば、その交友関係は膨大なまでに広がるようで、どの引き出しからも束になった手紙が大量に現れる。


(……こういう場合、優先するのはおそらく同性の友人からの手紙かしら)


 私的な用途向けのデザインが多く、束ねられた枚数も多いところから手紙をいくつか広げた。

 他愛もない文通の内容を読んで要約するという作業は侍女勤めの際にはよくやったことで、やっていると少しずつコツを思い出してきた。


「あ、これ……」


 その中のいくつかに婚約者との関係の悪化を懸念する相談事の文章を見つけて、手紙を拾い上げる。

 差出人はベルルシアもよく知る名家の令嬢たちばかりで、差出人をまとめていくと思ったより数が多い。


 ベルルシアは己の勘に従い、手紙の束からさらに数枚を抜き出した。

 ちょうど見つけたものの前後関係になるような手紙には、思った通り補足になりそうな情報が含まれている。


 それらの情報を手早くメモにまとめると、ベルルシアは慎重に手紙を元あったように戻して、寝室を後にした。


 ベルルシアに命じられたのは詳細な情報を集めることではなく、今後の長期的な潜入調査時の取っ掛かりとなる情報を幅広く手に入れることだ。

 どちらかといえば調査の本命は次の部屋、マノンシア侯爵の書斎の方である。


 日が落ちてから屋敷の中を出歩くのは流石に不審が過ぎるので、時間は限られている。




(今年と去年の帳簿におかしなところはありませんでした。手紙もごく普通の内容……何も情報が無いですね……)


 マノンシア侯爵の書斎からは、探れる範囲では気になる書類は見つけられなかった。


 廊下の魔光灯を点けるメイドに紛れ、その仕事を手伝いながらジリジリと玄関の方へと向かいながら、ベルルシアは少々気落ちしていた。


 思ったほど成果は上げられなかった。

 上司であるユランの立場を考えると、あまりいいことでは無い。


(……本当に、なんとも思ってなさそうでした)


 魔術で水を被せられ、濡れたまま作戦室に戻ってきた姿を思い出す。――その前も、一人で魔獣狩りに行って、血塗れになって帰ってきた。


 任務の妨害や、嫌がらせが横行している。

 魔術の不正行使は厳罰の筈なのに、誰かが新しく謹慎になったという話をラクスは聞いていないという。


 オトラルドの口振りでは、ただでさえ少ない部下も理由をつけて全員長期の任務に駆り出されてしまっているようだ。


 ――仲間なら助け合うべきだ。そうでないなら、きっとそれは敵だ。


「ねえちょっと。あなた新入り?」


 トントン、と肩を叩かれて、ベルルシアは思考をやめて振り返った。

 興味深そうな表情でこちらを見ているのは年若く、身なりの良い女性だった。服装からして侯爵令嬢の侍女だろうと見当をつける。


「はい。カイレルで雇われて、短期の手伝いです」


 なるべくぶっきらぼうな調子を心掛けながら、ベルルシアは澱みなくそう答えた。

 もしも屋敷の中で誰何されたらどう答えるべきか、というところも、オトラルドが事前に考えてくれた通りの振る舞いだ。


「あら、そうなの。ごめんなさいね急に。最近屋敷の人の入れ替わりがずいぶん激しくて……誰が誰だか分からないものだから。知らない顔を見たら声を掛けるようにしているのよ」

「そうなんですか」


 随分と軽快に喋る人だ、とベルルシアは気を引き締めた。つられて口を滑らすわけにはいかない。


「あなたは? いつまでいらっしゃるの?」

「今日までです。荷運びの手伝いなので」

「本当に短いのねえ。せっかく話しかけたのに残念だわ。年が若いから、お嬢様の部屋付きあたりでもと思ったのだけれど」


 頬に手を当てながら、侍女は困ったように言う。

 人の出入りが激しいというのは事実なのだろう。でなければ、わざわざカイレルから先に使用人を戻させたりしない筈だ。


「いえ……お屋敷での勤めは今回が初めてで。私のような不慣れなものではとても勤まりません」

「そうかしら。手際が良さそうに見えたけど」


 侍女はちらりと魔光灯に視線を移した。


 一度は忘れた作業だったが、この一ヶ月で作戦室の魔光灯の世話をしていたので、魔光灯の世話は既に手慣れたものだ。

 ほんの二、三個点灯させただけでそれを見抜かれるとは思っていなかった。


 観察眼の鋭さにヒヤリとしたものを感じたベルルシアは、表情を見られないように「すみません」と頭を下げる。


「宿の時間がありまして。今日はそろそろお暇させて頂きます」

「そうだったの。引き止めて申し訳ないわね」


 名残惜しそうな声ではあったが、侍女は来た時同様、するりとその場を離れて行く。

 その後ろ姿を眺めながら、ベルルシアは少しばかり考え込んだ。


 マノンシア侯爵家ほどの名家で、部屋付きのメイドが居なくなるほどの人の入れ替えというのは、あまり聞かない話ではないか。


 少しの逡巡の後、ベルルシアは玄関ではなく、書斎への道へと引き返した。

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