潜入捜査

第25話

 ベルルシアに新しい任務が申し渡されたその翌日、作戦室にオトラルドが戻ってきた。


「オトラルド・ミスラー、ただいま戻りました〜」


 明るく和やかな挨拶が響いて、ここ数日寂しい雰囲気のあった作戦室が急に明るく活気付いて見える。ユランが朝から不在だったので尚更だ。


「お帰りなさい、オトラルドさん」

「ん! おつかれクレヴァリーちゃん。大丈夫? 副官にいじめられてなかったかい」

「えっと、それは大丈夫です」


 ふふ、とベルルシアは微笑んだ。


 訓練としてとんでもない鬼ごっこはさせられているが、自分から頼んだ事だし、あれは虐めではない筈だ。

 それに、その効果は覿面だった。

 始めてからほんの数日しか経っていないが、終わり際に少しずつ体力の余裕を感じられるようになっている。


「それで、潜入調査任務だって? 詳細は聞いた?」

「伺いました。私、メイドさんに変装してお屋敷に入るみたいです」

「そうそう。俺、その準備の手伝い任されてるんだ。屋敷の中まではついていけないけど、外から少し手助けするね」


 よろしくお願いします、とベルルシアは頭を下げる。

 潜入調査なんてものは物語の中でしか知らない話で、何をどうすればいいのかベルルシアにはさっぱり分からないのだ。


 調査対象のマノンシア侯爵は、数日前から王宮のある避暑地カイレルに滞在している。

 明後日には戻る予定だが、お付きの使用人が何人か先に戻されるらしい。


 ベルルシアはその到着に合わせ、メイドとして紛れ込む事になっている。


「じゃ、早めに身支度しちゃおうか。使用人さん達の到着は夕方らしいけど、早まるかもしれないしね」


 促されるまま、ベルルシアは渡された服に上階で着替えた。

 シンプルな紺色のワンピースと飾り気のない白いエプロンは、貴族の家に奉公に出ている平民の娘がよく着ているような格好だ。


 姿見に写してみると、地味な顔立ちにはなんとなく、ドレスより似合うような気がした。


(うーん……でも、何か変なような……?)


 その割にはなぜか違和感もあるように思えて、首を傾げながら地階へと降りる。


「着替えてきました」

「……あ〜、クレヴァリーちゃん、髪とか少し弄っていい? あとお化粧も少し変えるね」


 ベルルシアの姿をざっと上から下まで確認すると、オトラルドは壁際の書棚の下から何やら一抱えほどの箱を取り出した。 

 覗き見えた箱の中には、大量の化粧品が収められている。


「これねぇ、変装道具」

「作戦室に女性のメンバーがいらっしゃるんですか?」

「残念ながら居ないね。クレヴァリーちゃんが唯一の女の子。メイクは顔の印象も操作できるから、俺とかも使ってるよ。去年までは副官もね」


 確かにあのどこから見ても美少女にしか見えない顔はかなり目立つ。

 とてもじゃないが、そのままでは潜入調査などできないだろうとベルルシアは納得する。


「面白い事教えてあげるとね〜、副官はより目立たせる方の変装が多かったんだよ。女装ね」


 ベルルシアの二つ結いの髪を解きながら、悪戯っぽくオトラルドは笑った。


「えっ、そうなんですか」

「そうなんだよ。去年まではまだクレヴァリーちゃんより少し大きいくらいの身長で、声変わりもまだだったから、どう見ても美少女でね。女装させる方が楽だし、調査にも都合がよかったんだよね〜……はい、髪できた」


 え、もう? とベルルシアは驚いた。

 ひっつめ髪にされただけだが、それにしても手際がいい。


「次は化粧ね。白粉おしろいいったん落とすよ〜。働きに出てる平民はあんまり余裕がないから、こんなにちゃんとお化粧してる人はほとんどいないんだよ。してても口紅ぐらいかな〜」


 話をしながらオトラルドの手は澱みなく動き、どんどんベルルシアの顔を塗り替えていく。


「あ、目元は印象付けのためにちょっと弄るね。偽の特徴を一つ作っておくと、かなり変わって見えるよ。…………はい、お化粧も完成。鏡見てみて」


 差し出された鏡の中には、ちょっと目つきの悪い、眠たげな顔の女が居た。

 先程感じた違和感は全く無くなって、その代わりベルルシアとは全く別の人間のようだった。


「わあ……、凄いですね」

「俺、下の兄弟多くてね〜。妹が3人、弟が2人いるんだけど、妹によくこういうのやらされててさ。気がついたら仕事でもこんな感じだよ……」


 たはは、とオトラルドは緩く笑い、ベルルシアもそれにつられて笑う。

 おかげで潜入調査への不安や緊張をそれほど感じないまま、任務へと赴く時間が訪れた。



 マノンシア侯爵邸は、貴族街の一等地に立つ三階建ての小城だ。広大な敷地には家畜小屋や鍛冶場なども有しており、領地貴族のマナーハウスを模している事が伺える。


 ベルルシアは勝手に早まりそうになる息をどうにか抑えながら、使用人の一団に紛れて裏門を潜った。


(2階の北側の書斎と、3階にある寝室……掃除していてもおかしくない時間を考えると、まず寝室からでしょうか)


 一体どういう手立てで調べたのか、竜翼師団はマノンシア侯爵邸の内部構造と部屋割りの詳細な情報を所持している。

 昨日のうちに頭に叩き込んだそれを思い出しながら、掃除用具を手にして足早に向かう。


 邸宅内の使用人達は、入れ替わりの激しい平民のメイドの動向など視界にも入らないような態度で、誰もベルルシアを気にしない。


(私が何か失敗しない限りは、バレるような事はなさそうですね……)


 その予想通り、ベルルシアはすんなりと目的の寝室まで辿り着くことに成功した。

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