第23話

 本当にユランには大した怪我が無かった。

 背中や二の腕の擦り傷に軟膏を塗ってやりながら、ベルルシアは感心を通り越して呆れるような気持ちを覚える。


 多数の魔獣を一人で相手してこの程度で済むというのは、ベルルシアも人の事はあまり言えた身では無いが、常識はずれの強さと言える。

 特例入団で最年少での副官任命ともなる訳だ。


 傷は腫れたり膿んだりもしておらず、懸念していた毒性も無いようだった。


(ただ疲れてるだけなんですね……あ、多分食事も取ってないのでは?)


 使った医療キットを仕舞いながら、ベルルシアはラクスが買ってきてくれた食事の事を思い出す。


 せっかくだからとユランと分けて食べる事にした。

 その頃にはベルルシアの身体も疲れを思い出したようで、大した会話も出来ずにどうにか食事を平らげる。


「どうせ明日もラクスとオトラルドは来ないし、仮眠室に泊まっていけば? 寮に送るの面倒……」


 ユランがそう言い出した頃には、ベルルシアは既に半分寝ているような状態で、よく分からずに頷いていた。




「兵士の基礎訓練?」

「はい。参加できますか?」


 翌朝、ベルルシアは起き抜けに竜翼師団の基礎訓練に参加したいと言い出して、ユランを困惑させていた。


 基礎訓練とは午後に訓練場で行われるもので、体力や筋力を鍛え、身体づくりを目的とする訓練だ。

 小規模任務による出入りが激しいため参加は必須では無いが、竜翼師団の多くが毎日集まっている。


「……雑魚を思う存分叩きのめしてみたくなったの?」

「いえ、そうではなくて。身体をちゃんと鍛えたいなと思いまして」

「昨日言ってたやつか。ふぅん……」


 ベルルシアはこくりと頷いた。 

 自分が怖気付く前に、はやく手段を定めてしまいたかったのだ。

 半ば諦めるようにして戦いを受け入れる事に決めたので、いつまた気持ちが揺らいでしまうか、ベルルシアは気が気でなかった。


「なら、午前の訓練でやれば? あんた魔力量ゴミすぎて魔術訓練やる事ほとんど無いし。基礎訓練の内容流用すればいいんでしょ?」

「できますか? その、場所とか」


 ユランとの戦闘訓練や魔術訓練は、作戦室の建物の裏手にあるちょっとした空き地のような場所で行われている。

 少し組み手をする程度なら問題無いが、走れるほどの広さは無い。


「訓練場は使えないけど、代替手段は色々あるよ」


 それならばとベルルシアは頷く。別に好き好んであの悪意混じりの兵士達の輪に参加したいわけではない。


「ではそれでお願いします。それと、一度寮に戻ってよろしいですか?」

「今から戻ったら遅刻でしょ。俺は朝食買ってくるから、そのうちに浴室使えば。着替えはどうせ持ってるだろ?」


 確かに持っているが、なぜそんな事を知っているのかとベルルシアが眉根を寄せると、ユランはふんと鼻で笑った。


「昨日は任務予定で、あんたは任務で服が汚れてもいいように替えを用意してる筈だ。最初の任務が午前のうちに終わって、午後からそのまま事務仕事だったからね」


 なんでも無いような調子で、思考の流れが完璧に読まれている。


「……分かりました。浴室お借りしますね」

「別に。俺のじゃないし」


 そう思っているのはユランだけだが、賢明にもベルルシアは何も言わずにその場をやり過ごした。

 


 数日後。

 ベルルシアはユランの用意したに、声にならない悲鳴を上げていた。


「ほら、もっと早く走って。叩き落とすよ」


 後ろから嗜虐的な声がして、ベルルシアは必死に飛んだ。


 屋根の上から上へ。

 訓練場での持久走の代わりとされたのは、足を滑らせたら地上へ真っ逆さまの、街通りの建物を使った恐怖の鬼ごっこである。


(次! 次どこへ飛ぶか、考えないと‼︎)


 永遠に逃げる側のベルルシアは、建物の切れ目に落ちないよう、絶えず逃げる先を考え続けなければならない。


 地面に降りてはいけない決まりなので、屋根を走れないときは必然的に壁面を走る事になる。

 また猛烈な勢いで走っているので、高低差が激しい建物間では次の着地点が見えない時すらある。


 体力的にも精神的にも追い詰められて、魄気があっても消耗が激しい。


 対して、追う方のユランは安全なルートを辿るだけでいいので、余裕を持って付かず離れずベルルシアに追走してくる。

 即時破壊が必要な蛇影式の拘束魔術と、避けねばならない氷の放弾魔術も容赦なく飛んでくるので、一瞬たりとも気が抜けない。


(身体、鍛えたいって、言ったのは私、ですけどぉ………!)


 こんなに怖い訓練を課されるなんて聞いてない。

 しかし言い出したのは自分なので、泣き言も言えない。


 この訓練が始まってから数日経つが、ユランは慣れを許さなかった。

 常にユラン本人が安全な道筋を潰し、厳しい道へ道へと魔術の誘導で追い込まれ続けるのだ。


 結局この日も、ベルルシアは昼の鐘までに六回ほど捕まった。

 だくだくと吹き出す汗をどうにかしろと、作戦室の上階の浴室へと叩き込まれるのも毎日のことだ。


(うう〜……)


 唇をへの字に結んだ真っ赤な顔のまま、ベルルシアは手早く汗を流した。

 あくまで作戦室の設備だと分かってはいる。

 だが何度借りてもユランの浴室を借りているような気がして、酷く落ち着かないのだ。


 ここに叩き込まれたくなければ、あの恐怖の鬼ごっこを汗もかかずに軽く熟せという事なのか。


(……はやく、そうなるように頑張らないと)


 身体を鍛えれば、魔力を無駄にせず魄気を練れるようになる。

 そうなれば、魄気をより多く満たして身体強化をすることも出来るし、逆に魔力を残すことも可能となるのだ。


 『役立ちそうにない』というユランの小さな呟きは、ベルルシアの心に思い切り刺さる棘へと化していた。

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