第21話
後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら、ラクスがガディル達の後を追って、作戦室の出口を潜る。
そうしてやっと、嵐が去ったかのように静かになった部屋の中に、オトラルドの溜息が落とされた。
「……あーあ。嫌がらせ面倒くさぁ。任務、どうするの?」
「行くけど?」
「俺行けないけど……大丈夫?」
「問題ないよ」
ベルルシアは黙って様子を見ていたが、どうやら任務は中止にならないらしい、という事は理解した。
ならば準備をしないといけない。
メンバーが半分に削られてしまったので、準備のほとんどはベルルシアがやるべき事のはずだ。
「……あ、あんたは今日は書類整理に予定変更。任務は俺一人で行く」
そう意気込んだ矢先、ユランに出端を挫かれる。
「えっ?」
ベルルシアが戸惑う間も無く、ユランは作戦室をさっさと出て行ってしまった。
バタン、とにべもなく閉められた作戦室の扉に、思わず伸ばしかけた手を下ろす。
「……えっと」
残されたオトラルドは物凄く気まずそうにしながら、ベルルシアの横顔を伺った。
「その、さ。今日のガルダランテって、土影式の罠みたいな魔術を使う魔獣なんだ。気をつけないと足を地面に挟まれる」
「……そうなんですね」
重たい首を動かして、なんとかベルルシアは相槌を返す。
「俺とラクスくんがいればどうって事ないんだけど……ユラン副官一人だとさ。クレヴァリーちゃんに怪我をさせるかもしれないし、魔獣を殺させる必要があるかもしれない」
だから一人で行ったんだよ、と続けるオトラルドに、今度は黙って頷いた。
様々な感情が喉に絡まってうまく言葉が出てこない。
「……じゃあ俺、行くね」
気遣わしげにオトラルドも去っていき、荒れた作戦室に一人残されたベルルシアは項垂れた。
◆
黙々と資料室を片付けて、言いつけ通りに書類整理をして一日を過ごす。
どうにもモヤモヤとした気持ちが落ち着かなくて、詳しい指示が出されなかったのをいい事に、後回しにされていた書棚の片付けに手を出した。
じっと座って書き物ができるような気がしなかったのだ。
終業の鐘が聞こえても、ベルルシアは作業の手を止められなかった。
「クレヴァリーさん、まだ残ってたのか。夕飯は?」
戻って来たラクスが作戦室に顔を出しても、どうにも作戦室から離れる気が起きない。
要らない、と首を横に振って微笑み、書棚の作業に戻る。
(そういえば、昼食も食べてないような……)
まあいいか、とベルルシアはその気付きを放り投げた。
空腹も疲れも感じない。ただ腹の底から絡まり続ける感情がちくちくと胸一杯に苛んで、ベルルシアを突き動かしている。
少しして、ベルルシアの様子を見かねたラクスが再び戻って来て、夕飯を置いて行った。
何種類か積まれたパンの包みは町通りの店のものだ。わざわざ買って来てくれたらしい、と気がついて、ベルルシアは息を深く吐いた。
(……私、どうしてここに居るのかしら)
さすがに一息入れようと休憩室に上がり、お湯を沸かしながら考えるのはそんな事だ。
気を遣われれている。
遣わせている、というのが正しい。ラクスにも、オトラルドにも、ユランにも。
彼らに余計な気を遣わせてしまっているのは、十中八九、ベルルシアが張った意地が原因だ。
事務官という肩書きなのだから、仕事はちゃんとしている筈だと、その意地は今もじくじくと喚いている。
だがここは翼竜師団だ。
肩書きなんて関係無いとエゼルが言って、誰もそれを否定しなかった。
(戦いたくない。怖いから――異世界に行く前の、平穏な暮らしを送る女官のベルルシアを手放すのが、怖いから)
けれどそれは、周りの人の優しさを貪ってまで突き通すような事だろうか。
ピーッと薬缶が音を立てる。
ベルルシアはどこまでも沈んでしまいそうな思考を打ち切った。
ユランが作戦室に帰って来たのは、月が一番高くに昇るような時間帯だった。
作戦室の明かりに照らし出された姿は酷い有様だった。頭からベッタリと血に塗れ、美少女然とした美しい顔は見る影もない。
疲れているのか、それとも怪我をしているのか。
どこかぼんやりとしていて、明かりの灯ったままの作戦室を虚ろな目でゆっくりと見回す。
「ユランさん!」
急いで立ち上がったベルルシアに、ユランはようやくその存在に気がついたようだった。
「……何してるの? こんな時間に」
「書棚の片付けに手をつけたら止まらなくなって。そんな事より、ユランさんのその血は」
「別に。大した怪我はしてない」
多少の怪我はしているのか、とベルルシアはゾッと血の気が下がる。
異世界では、魔人の血は毒性を帯びていた。
魄練術が武器というリーチを捨て、内部破壊に長けた拳闘に重きを置くのはそのためだ。
「はやく血を流しましょう。怪我があるなら手当もしないと」
大慌てで上階へと引っ張るベルルシアに、ユランはどうにも無抵抗だった。
不可思議なものでも見るかのように小首を傾げて何かを考えたまま、されるがままになっている。
「湯浴み、ご自身でできますか?」
休憩室の奥の浴室まで連れて行き、ベルルシアが念のためにそう確認すると、ユランは無言で上着のボタンを幾つか外した。
その僅かな動作だけで、乾いた表面の血がバリバリと音を立て、まだ乾いていない血が染み出して床へと垂れる。
真っ黒な武装に、どれだけ血を吸い込ませたというのだろうか。
重たく張り付く布地に、ユランは面倒そうに溜息を吐く。
「手伝います」
放っておくと朝までそのままにしそうだったので、気がつくとベルルシアはそう言ってしまっていた。
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