第18話
(動きやすい……)
5人目の捕縛対象を引き倒した頃には、ベルルシアはそう感じていた。
異世界でずっと一緒に戦ってきた仲間との連携と同じか、もしかするとそれ以上に、戦闘に動きやすさを感じる。
魔術師とは物理的な間合いが被らずに済むという事もある。
だがそれ以上に、魔術の発動するタイミングや、左右の仕掛けの分担など……細かいところを挙げるとキリがないほど、ここだと思った所にその通りの戦闘支援が来るのだ。
「地階制圧完了〜」
「鍵を見つけたが、施錠されている部屋は?」
オトラルドとラクスも地階の制圧を終え、ゆったりと階段を上がってきた。施錠された部屋の鍵も見つけている。
バージェス商会の不正の証拠品を押収するらしく、ユランがオトラルドに指示をしている間、ベルルシアは少々ぼうっとなっていた。
久しぶりの戦闘が面白いほどスムーズで、昂った精神がうまく戻ってこられずにいるのだ。
戦闘行為に対して覚えていたはずの恐怖や嫌悪感は、その昂揚感で全て忘れられていた。
「クレヴァリーさん、大丈夫か?」
ラクスに肩を揺さぶられて、ベルルシアはぱちりと瞬きをする。
「はい、怪我とかは全然」
「いやそうじゃなくて。なんかフワフワしてるな……」
「飴でも舐めさせておいた方がいいよ。日常的な感覚と同じ刺激があれば、そのうち戻ってこれるから」
言うが早いか、オトラルドは携行品のポーチから取り出した飴をベルルシアの口に放り込む。
無抵抗にカラコロとそれを口内で転がし出すベルルシアに、ラクスは「重症だ……」と頭を抱えた。
初任務でおかしくなってしまう人間は多い。
特に竜翼師団は、犯罪捜査などの対人任務を主に担う部隊だ。
嫌悪を催す犯罪手口と常軌を逸した悪人に相対し、人に向けて暴力を振るう重圧が常に付き纏うため、その価値観は必ずどこか歪みを抱える事になる。
「まあ、今回は捕縛だし、大丈夫でしょ」
「うーん……」
「ほらラクスくん仕事仕事。施錠部屋確認しに行くよ」
とはいえ、今は任務中で、様子のおかしいベルルシアをいつまでも構う訳にもいかない。
オトラルドはラクスを連れて、上階の捜査をするべくその場を離れていった。
「……精神魔術も隠蔽すると耐性がないんだね。暗示程度の軽いやつで、思った以上に動いてくれたけど」
静かになった廊下に落とされた、呆れたようなユランの声は、聞こえた筈のベルルシアの記憶には残らない。
◆
ベルルシアは作戦室で、バージェス商会の倉庫で見つけた不法輸入品の報告書を整えている。
「……?」
その最中、唐突に覚えた奇妙な感覚に、ベルルシアははっと顔を上げた。
起きているのに、まるで夢から覚めたような気分だった。
(集中力が切れたのかしら……?)
その日のうちに仕上げてしまいたい書類だったので、自覚なくのめり込んでいたのかもしれない。
ベルルシアは頭をゆるく振って、少し休憩を挟むことにした。
窓から差し込む日が傾いて、赤みを増していた。
もうひと頑張りしたら終業だと、お茶を淹れながら自分に言い聞かせる。
多分――疲れているのだ。初めての任務帯同だったから。
ベルルシアはそう、自分に起こったことを結論付けた。
「休憩?」
「あ、ユランさん」
仮眠室から這い出したユランが声を掛けてくる。
彼は気だるそうにミニキッチンへとやってきて、無言でベルルシアに自分のカップを寄越した。
お茶汲みを押し付けられているという訳ではない。
ユランも自分で飲み物くらいは用意するのだが、その飲んでいるものがとんでもないものだったので、ベルルシアが自主的に引き受けているのだ。
(うぅ、今思い出しても苦い)
恐ろしく苦くて不味い、その上ものすごい臭いのするユランお手製のブレンドティーの事を思い出し、ベルルシアは顔を顰める。
魄練の影響で、ベルルシアの嗅覚と味覚は以前よりずっと鋭くなっている。
あんなものを傍で飲まれるくらいなら、お茶などいくらでも注いでやるくらい構わない。
(別に、味覚がヘンな訳ではなさそうなんですよね……)
片膝を立てて行儀悪くテーブルにつき、出したお茶を黙って飲むユランを横目に伺う。
クリームと糖蜜を入れたまろやかで甘いお茶を出した時には、ユランの冷たい無表情がほんの少しだけ和らぐ事に、ベルルシアは気がついている。
「…………何」
「あ、いえ」
しまった見過ぎた、とベルルシアは視線を逸らした。
だが黙りこくっているのもなんだか息が詰まる気がして、結局、話題を探って話しかける。
「あの、戦闘訓練は明日以降も同じように?」
「明日からは魔術訓練。あんたの護身術については大体分かったから」
「魔術……」
「魔術行使じゃなくて、防御の方だよ。魔術抵抗が低すぎると、大抵の任務は連れていけないからね」
それは、ベルルシアにとっては逆に都合がいい気がする。
その考えはお見通しだったのか、ユランは皮肉たっぷりに鼻で笑った。
「言っておくけど、俺の長期任務についてこられない時は事務仕事なんて無いと思えよ」
「う……」
物凄い説得力に、ベルルシアは何も言えない。
作戦室には、毎日膨大な量の書類が届けられる。
そこで3日も働けば、翼竜師団のほとんどの書類仕事が舞い込んできているという事くらい、察するのはそう難しいことではない。
それを全て捌いているのがユランだ。
おそらくユランが長期任務に出る際は、王宮が城を移すように、その仕事ごと移動するのも分かりきったことだった。
「だいたい、あんたはそもそもの魔術抵抗が低すぎる。またあのシモンみたいな面倒事を起こされるのは御免なんだよ」
「ありがとうございます」
「…………そこでそういう言葉が出てくるの、アタマ能天気すぎじゃない?」
頭を下げるベルルシアを、ユランは馬鹿にしきったように嗤った。
捻くれている。
だが、その優しさを信じてみると、ベルルシアはもう決めたのだ。
「いいえ。だってそれは、心配して身を守る術を教えてくれるということでしょう?」
いつかと同じ挑戦的な微笑みで言い切るベルルシアに、ユランは呆かえって黙り込んだ。
反論はいくらでもあったが、結果としてやる事は同じなのだ。どう受け止められていてもどうでもいい事だ。
――甘いお茶のせいで自分が随分饒舌になっていた事に、ユランもまた、自覚が無いままだった。
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