5・優しさと思惑と
第16話
おはようございます、と声がして、ユランは僅かに書類から視線を上げた。
言われた通りに始業前に作戦室へとやってきたベルルシアは、少し青白い顔をしているものの、怪我などはなさそうな自然な動きをしている。
気まぐれに仕込んでおいた回復魔術が効いたのか、それとも元々も大した怪我は負わなかったのか。
ユランとしては、どちらでも構わない。
「……先にお茶でも淹れてきてくれる」
「はい」
適当な指示を出すと、ベルルシアは軽やかに上階へと消えていく。
(そういえば、昨日はかなり跳ね回ってたな)
昨晩の彼女が何度も繰り返していた動作を思い出して、ユランは気怠く頬杖を突く。
当然ながら、異動後もベルルシアは入念な監視下にある。
碌な情報も出ないまま、得体の知れない強さと、何らかの武術と思しき型のある動きを見せたのだ。
異動前よりむしろ監視は厳しくなった。
真っ暗な訓練場に駆け込んで様子が見えなくなった途端、監視役が慌ててユランを呼びにきた程だ。
切羽詰まった監視役にせっつかれ、何をしてるのかと暗視魔術を使って見てみれば、ベルルシアは素手での形稽古のようなものに励んでいた。
ユランもベルルシアと同様、体術を扱う人間だ。
魔術師の弱点を補うためのものではあるが、竜翼師団のほとんどを簡単に投げ飛ばせるには
ベルルシアの見せた形稽古は、ユランの知るどの武術とも特徴が一致しなかった。
「どうぞ」
――――机にお茶が置かれ、ユランは入り込んでいた思考の淵から即座に意識を浮上させる。
目の前にいるベルルシア・クレヴァリーは、今日も監視に気づく様子は無い。
ユランの視線に対して令嬢らしく品のよい微笑みを返し、「すっきり目のハーブティーにしました」などと宣う
とりあえず椅子に座らせ、ユランはさっさと用件を片付ける事にした。
手始めにシモンに半年間の寮内謹慎処分と、1年間の減給処分が降ったことを伝える。
「えっ、そんなにですか?」
それがベルルシアの反応だった。
目を見開いた表情に不自然なところはなく、ただ罰則期間の長さに驚いているようだった。
(毎回毎回、返す速度といい、素としか思えない……)
ユランがベルルシアと相対して何かを話す時は、ある種の尋問を兼ねている。
与えた情報に対しどんな反応を返すのか。
経歴や監視下の行動からは何も出てこないので、そういう所から不審な点を探るしかない。
――シモンの襲撃をある程度放っておいたのも、そういう理由だ。
「少ない方だよ。魔術を人に向けて不正行使したんだから」
「ええと……そうですか」
ベルルシアは何か物言いたげにユランを見た。
ラクス達に使った拘束魔術の件が気になったのだろう。
ユランには役職に応じた懲罰権があるので、何も問題は無い。
「で、あんたには始末書出すのに早く来てもらったけど、師団長が事情聴取でいいってさ。昨日は訓練場で何してたの?」
「少し身体を動かしたくて……護身術の演武を」
「演武」
「はい」
あの形稽古のような動きは演武であったらしい。
どうりでやたらに飛んだり跳ねたりするわけだ。
「事前に訓練場の使用について確かめられないほど、急に運動したくなったわけ?」
「その、ちょっと苛々していて」
「……ラクスと食事に行ったんじゃなかった?」
「はい、それは楽しかったのですが、シモンさんが来て。ラクスさん達にまで嫌な事を言い出したので……」
話の流れは順当だった。
食堂で起こった一連の事も、監視を通して把握している。
ベルルシアの話はそこから逸脱しておらず、暗視で見えた演武にしては荒々しい動きも、苛ついていたという供述には矛盾しない。
(これを詰めるのは無駄だな)
見切りをつけたユランは、「分かった」と事情聴取を打ち切った。
結局、不審な点は見つからない――あの得体の知れない護身術とやらと、ベルルシアの異様な身体能力に関わる点以外は。
調査を始めて一月を過ぎて尚、状況はそこから動いていない。
(そろそろ別のやり方で探りを入れる必要があるか……)
手早く考えを纏めて、ユランは幾つか考えておいた筋道から、ベルルシアに揺さぶりを掛ける内容を選んだ。
「……少し話は変わるけど。今日からあんたには、午前を戦闘訓練に当ててもらう」
どんな反応を返すか。
異動を突きつけた時と同じように、必死になってどうにか逃げようとするだろうか。
予想に反して、ベルルシアは静かなままだった。
少し顔を青褪めさせたものの、「戦闘訓練……」と何かを考える素振りをみせる。
それからちらりとユランを見たかと思うと、「分かりました」と頷いた。
「随分聞き分けがいいね」
「ええと……任務への帯同が近いのかなと思いまして」
物分かりは悪くは無いらしい。
消極的ではあるが、配属された師団の仕事も熟す意思はあるようだった。
従順な手駒であるならば、手間がかからない分、都合はいい。
「3日後、城下の南地区での任務に同行してもらう」
ユランが切り出したのは大した任務ではなく、単にベルルシアがどれだけ動けるかを見るためのものだ。
その目的を伏せるべく調査書の作成を題目とし、任務の背景と作戦内容を簡単に説明する。
聞き終えたベルルシアはほとんど困惑する様子もなく、ただ「分かりました」とお決まりに頷いた。
――よっぽど理解力があるのか、それとも分かったような顔をしているだけなのかは、3日後には明らかになるだろう。
話に区切りがついたところで、ちょうど作戦室の呼び鈴が鳴る。
ベルルシアが出て行き、朝食の乗ったトレーを抱えて戻ってきた。
二段重なったうちの一つそこから受け取ると、「あの?」とベルルシアか、怪訝そうな声が上がった。
「そっちはあんたの分。食べてきたなら昼食にでも回せば」
ベルルシアが作戦室に入ったのは、食堂も町通りの店もまだ開いていない時間帯だ。
ユランは普段から頻繁に朝食の配達をさせているので、どうせ何も食べてないだろうとついでに注文したに過ぎない。
「ありがとうございます。頂きます」
「お腹すいたって訴えられても面倒だからね」
昨日の事を
(……こんなに分かりやすいくせに、こんなに分からない事ってある?)
納得がいかなくて、どうにも座りが悪い。ユランはそれきり、ベルルシアの存在を無視するように食事に取り掛かる。
当然視界の端のベルルシアには気づかれないよう意識を払い続けてはいたが――戸惑ったように食事を始めたベルルシアは、なぜかユランの様子を伺うような素振りを見せた。
ユランが完全無視のままでいると、なにやら嬉しそうな顔をして自分の食事にやっと集中し始める。
(意味の分からない点が増えた……)
無駄に振り回されているような感覚がして、ユランは少しだけ、げんなりするような気分を覚えた。
武術関係、食事、戦闘を怖がる……ベルルシアが変わった反応を示したそれらの関係性は、全く分かりそうにない。
ひょっとして関係などないのではないか、と馬鹿馬鹿しくさえ思えてくる。
もう一つ。気配に聡いわりに、簡単な隠蔽魔術にも気付かない。
ごく小さく溜め息を吐いて、ユランはベルルシアの席の背後に仕掛けておいた魔術陣から魔力を外した。
隠蔽魔術が効くことがはっきりしただけ、収穫があったと考えるしかなかった。
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