第15話

「あーあ、言われちまったなぁ」


 ぬ、と大きな手が伸びて、猫の子のようにシモンの襟首を持ち上げ、飛び出した勢いを殺す。


 夜闇から魔光の小さな明かりに姿を現したのは、渋面を浮かべたエゼル。その後ろから、師団長のローアンが静かに進み出た。


「え、エゼルさん、師団長……!?」


 その二人が出てきたとなれば、いくらなんでもシモンの茹だった頭も冷える。


「魔術を使って襲撃して、それでこの精神状態に持ち込まれるとは、どうにもならんほど無様だな……シモン」


 大したことでもないように、幼い子供を叱る大人のように、ローアンは苦笑と共にそうシモンへと声を掛けた。


 まるで軽口のような調子だが、初日と同じくどこか無情な響きが混じっている事に、ベルルシアは気がついた。

 ――目が笑っていない。


「ベルルシア・クレヴァリー、何があった?」

「…………拘束するような魔術を使われました。それ以外には、大した事は、何も」


 骨も内臓も折れていないし、痛みはすでに消えている。

 一発蹴られた程度のことは、腹立たしいが大したことではない。


 それから、ベルルシアは土に汚れ、小枝と葉にまみれた服をパタパタと叩いて、「魔術のせいで服が汚れてしまいました」と付け加えた。


 土汚れの殆どは、体力の尽きたベルルシアが恥も外聞も無く地面に寝転んだせいだ。

 しかしこのくらいの事は言いつけておかないと、逆に不審がられる気がした。


「シモンの給金から弁済させる。……クレヴァリー、非番の者が終業後に無断で訓練場をうろつくのは、禁止する決まりはないがあまり褒められた事でもない。今後は控えるように」

「はい、分かりました」


 ベルルシアにもローアンから一言あって、それでこの場は決着する――筈だった。


 訓練場を出て程なくして、街通りとの境の建物――作戦室の入り口に、ユランが立っているのを見かけたシモンが再度怒りを口にするまでは、全員がそう思っていた。


「……お前、そこに居たのかよ!」


 ユランの姿を認めるなり、シモンの口から飛び出した急な詰問に、ベルルシアは小さく息を吐く。


 つい先程までこちらに向けて怒り狂っていたというのに、ユランを見かけた途端、シモンの注意が全てそちらに向けられたのがはっきりと分かったからだ。


 やはり、八つ当たりなのだ。

 ユランを目の前にすれば、こちらなど一切興味も無いと言わんばかりの感情の発露は、そうとしか言いようがない。


 突っかかられたユランの方はと言えば、それに動じる様子も無く、ローアン、エゼル、ベルルシアへと視線を流し、最後にやっと面倒そうにシモンを見た。


「居たけど、何」


 至極どうでもよさげな、ともすれば投げやりな応じ方だった。


「お前、僕の魔術が発動したの、気が付いてただろう!!」

「……だから何? 止めてくれれば師団長達に怒られずに済んだのにって言いたいわけ?」

「――お前が部下にもそんなだから……ッ」


 ユランは小さく首を傾げる。心底不思議、というような白々しいそれは、恐ろしく皮肉めいていた。


 魔術の発動を感知していたことは、否定するつもりも無いらしい。


「ユラン、やめろ」

「何を」

「シモンのことは放っておけ。何を言っても挑発になるなら喋らん方がマシだ」


 ローアンに嗜められ、ユランは黙って肩を竦める。


「……おい、行くぞ」


 エゼルが再びシモンの首根っこを掴んだ。

 これ以上の騒ぎは沢山だ、とブツブツ言いながら、魔光灯が遠ざかっていく。


 それが一定距離を離れると、ユランの目がベルルシアへと向いた。


「あんたも今日はさっさと帰れば? ああ、明日の朝は始業前に来ること。今夜の始末書、書いてもらうから」

「……はい」


 ローアンはその場に残るようだった。

 ユランに無言で突き出された魔光灯を借りて、寮への帰路につく。


 しばらく歩いて、ベルルシアはそっと背後を振り返った。

 魄気を集中させた目には、月明かりに微かに照らされ、作戦室の中にも入らず話をしている二人が見えた。


 外壁に寄りかかるユランは、思い切り眉根を寄せた、不快そうな顔をしている。


 それほどはっきりとした表情を浮かべる姿を見るのは初めてだった。

 ベルルシアはほんの少しだけ驚きつつ、帰路を急ぐため前を向く。


(……エゼルさんと師団長を呼んでくれたのは、彼なのでしょうね)


 関心を示さない様子にシモンはカッとなっていたが、ベルルシアは合流直後のユランのピリピリした不機嫌さに気が付いていた。

 彼がほんの僅かに肩の力を抜いて、シモンの罵倒に応じだしたのは、ベルルシアの姿を確認した後の事だ。


 それは、ような無関心とは、真逆の心理のように思えた。


 入ったばかりのベルルシアにも分かるほど、竜翼師団にはユランを取り巻くしがらみが多い。

 毎日黙々と作戦室に篭って仕事をし、或いは一人任務に出ていくユランの無感動な一挙一動は、つけ込まれる隙を作らないためのものなのかもしれない。


 ベルルシアはユランから借りた魔光灯に目を落とした。

 どうやってるのかは知らないが、そこから微かに漂ってくる回復魔術は、確かにユランのものだった。


 魄気によって魔力に聡くなる感覚が無ければ、気がつかないほど些細なものだったが……。


「……ふふ」


 ベルルシアは少しだけ笑って、それをユランの『優しさ』だと信じてみる事にした。

 助けられる距離にいて、駆けつけて貰えなかったかもしれない事より、そちらの方がよっぽど重要な事に思えた。

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