第10話
(やっぱり、怖い人なんでしょうか……?)
ピクルスと腸詰が挟まれたパンをありがたく頂きながら、ベルルシアは資料室を確認するユランを横目に眺める。
床には兵士が二人、魔術の拘束により転がったままだ。
口も塞がれているらしく、モゴモゴと呻きながらユランとベルルシアを恨みがましい目で睨みつけてくる。
(何も魔術まで使わなくても……敵意はともかく、悪意は無いでしょうし)
一応、訪ねてきた当初の二人はかなり
シモンの友人と名乗った二人は、まず彼の昨日の非礼を代わりに詫びた。それからラクス、セダートとそれぞれ名乗った上で、シモンとの再戦をベルルシアに願った。
激昂させてしまったのは、あの負け試合はシモンの名誉に関わると再三頭を下げる2人に対し、ベルルシアが
(でも、こんな朝から2人で詰め寄ってくるなんて、怖過ぎて……)
ベルルシアにとって、昨日の恐怖はまだ記憶に新しい。
とにかく寄るな触るな資料室には踏み込むなという一種の恐慌状態に陥り、ラクスを怒らせてしまった。
早朝から若い女性と二人きりはまずいのではないかという、ごく常識的な観点からセダートを付き添いに連れてきたラクスの配慮は、残念ながらベルルシアには微塵も伝わっていない。
シモンの度を超して下卑た言動により引き起こされた、不幸な断絶であった。
「……ふーん。なるほどね」
仕事の見分が終わったのか、ユランが書類の山から振り返った。
手に持った書類をヒラヒラさせながら、意外にも「悪くないんじゃない?」と認めるような事を言う。
(――良かった。意図は伝わったみたい)
ベルルシアはほっと胸を撫で下ろした。
書類の山を残した時点で能力不足と断じられないか、気が気でなかったのだ。
本や資料はともかく、調査報告や任務に関わる事務的な書類などは、そのまま束にして書棚に入れるという訳にもいかない。
探す時に大変な思いをするような片付けなどとても整理と呼べるものではない。
大まかな分類だけを行ない、ベルルシアは書類の大半を机の上にそのまま残した。
そうしなければ、徹夜になってしまっていただろうから。
「休息は?」
「とりました。朝食がすぐに食べられるくらい、きちんと」
空になった紙包を畳み、ご馳走様でしたと礼をする。
できる範囲で、と言われていたし、毛布も用意して貰った上、今日の予定も知らされていない。
そこから夜通しの作業をしない事が前提だと読んだベルルシアは、仕事の範囲をしっかり調整して仕事に取り組んでいた。
「わかった。できるだけ事務作業に使ってあげるよ」
ユランの答えはあっさりとしたものだったが、仕事の出来は十分認められたと分かる言い方だった。
異世界から戻ってしばらく、自分の仕事にずっと不安を抱えていたベルルシアは、その一言だけで舞い上がりそうになる。
「……ありがとうございます!」
「効率のいい使い道がそうってだけ。ああ、そうだ――」
思い出したかのように、ユランは床の2人へと視線を落とした。
「そういう事で、コレは事務官運用になったから。戦闘能力の比較なんて無駄な時間、しばらくは使わせるつもりは無いから、諦めたら?」
面倒そうであり淡々としたそれは、二人の望むシモンとの再戦に対する断りだろう。
(庇われている……訳ではないのでしょうね)
まだほんの1日の付き合いだが、ベルルシアにも少しだけ分かってきた。
ユランはおそらく、言動のイメージほど酷薄ではない。
かといって、親切なわけでもない。
ただ、仕事には基本的に真面目なのだろう。
そしてそれ以外のことは、ほとんど興味は無さそうに見える。
(でも、わりといい人ではあるのでしょうか?)
食べ終えた朝食の包みを見ながら、少しだけ考えなおす。
昨日ユランは時間の無駄を厭わず、ベルルシアが泣き止むまで待っていてくれた。
悪い人ではない。彼なりの優しさは、多分ある。
「……あの、ユラン、さん」
おそるおそるベルルシアが呼び掛けると、やはり彼は無感動ながらも「何」とこちらに顔を向けてくれる。
「実は、今朝は私の方が失礼な態度を取って、お二人を怒らせてしまったのです」
「……それで?」
「昨日の方との再戦はしたくありませんが……師団での名誉に関わる事らしくて。何か他に、やり方は無いのでしょうか?」
ユランは小首を傾げ、スッと目を細めた。
「何のために?」
冷ややかな声ではある。だが、切り捨てられた訳ではない。
そう自分に言い聞かせて、ベルルシアは素直に答える。
「この先一緒に仕事をする団員の方と、険悪なままでいたくありませんので」
二人に向けて視線を落とすと、ラクスが黙ってこちらをジッと見ていた。
(戦った本人でもないですし、この方々といがみ合いたい訳ではありませんし……)
「あっそう。なら……こいつ叩きのめせば」
僅かに肩を竦め、あっさりとそう断じたユランは、ベルルシアが「えっ」と声を上げるのにも構わずラクス達の魔術を解いた。
「格下は自力で躾けよって話だよ。グズグズ言う奴が気に入らないなら、全員黙るまであんたが自分で躾けて回ればいい」
「あの、私、戦うのは……」
「当然。昨日まではともかく、あんたの事は事務官として正式に運用するって決めたしね」
言われている意味がよく分からず、ベルルシアは首を傾げる。
起き上がったラクス達も同様で、困惑したまま会話の行末を待っている。
「……あんたは事務官で、挑まれてる側なんだから、自分の仕事で模擬戦を受ければいいって話だよ」
察しが悪いな、と皮肉たっぷりに結論を述べたユランに対し、ベルルシアはパッと顔を輝かせた。
つまり、この資料室の模擬戦のような事務仕事での能力比べをしろという事だ。
それならば怖い思いはしなくて済む。
「やってくださいますか?」
「ソイツがやるならね」
ユランはほんの微かに笑った。
少々悪どいそれは、竜翼師団の団員ならば誰でも知っている、ロクでもない思いつきをした時の表情だった。
蛇を前にした鼠のような本能的な危機感を覚え、ラクスの額に脂汗が浮かぶ。
「おいラクス、そこまでする必要あるか?」
成り行きを見ていたセダートが止めに入るが、ラクスはそれを押し除けた。
「やってやる。俺が勝ったら、団員の前でシモンと剣で再戦してもらう!」
友のためと勇んで乗り込んでおいて、のこのこと引き下がる訳にもいかない。
威勢よく答えたラクスだったが、彼はこの時の迂闊さをしばらく悔やむことになる。
模擬戦は午後の鐘から作戦室で、と手早く話を纏めたユランにより、その場は一旦お開きとなった。
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