3・事務官の模擬戦

第9話

 一人分の食事と水、毛布と魔光ランタンを調達し終えるなり、ユランは荒れ切った資料室にベルルシアを案内した。


「ここは……」


 小部屋と呼べる規模だが、部屋中に資料と思しき本や紙類が散乱し、あるいは積み上がり、はたまた壁沿いに並ぶ書棚に適当に詰め込まれている。


「第五資料室。エトルネ森林に関する資料置き場だよ」

「どうして森林の資料が特殊作戦部に?」

「特殊な魔獣の群生地だから、竜翼師団が管理と監視を担わされてるらしいよ」


 明日の朝までに、この資料室をできるだけ整える事。

 それがユランが与えた事務官としての、模擬戦のルールだ。


「起床ラッパがなって一刻後に朝の鐘が鳴る。王師の始業はその鐘だから、それが終了時刻ね」

「分かりました。あの、資料の分類方法に何か決まりはありますか?」

「特に無い……この部屋は特にね。好きにやっていいよ。机の引き出しに紙とかペンとかが入ってると思うから、それも使って構わない」

「ありがとうございます」


 頭を下げたベルルシアに、ユランは無言で頷くと、そのまますたすたと去っていってしまった。

 大して期待もされていないらしい。


 埃をかぶる前に食事を取って、その間、ベルルシアは辺りを見ながら作業手順を考える。

 とりあえず本を片付ければ、書類を整理する空間が開くだろうか。


 この作業は元々誰かがやる予定だったのか、部屋の隅には掃除用具があり、いくつか空の状態に片づけられた書棚もある。

 という事は、床に積み上げられている本は書棚の片付けのために出されたものだろう。


(うーん……種類ごとに抜き出してきちんと積んでおけば、戻すのも楽なのですが……)


 とりあえず出しました、と言わんばかりの乱雑な本の山に、ベルルシアは首を傾げる。

 スープを飲み下しながら本の山と書棚を交互に眺めていると、ある事に気がついた。


(あ。書棚、修理されていますね。本は急いで出す必要があったのかも)


 棚板が新しくなっている。よく見れば空の書棚はどれも同じように、棚板を替えたり補強したりされているようだ。


「……頑張りましょう、私」


 誰かが部屋を直そうとした跡は、見放された訳じゃない、とベルルシアにも思わせてくれる。

 これはユランがくれた、力を示すための機会なのだ。 



 街通りを模した建物群にある店は、区画から出る暇も無い兵士向けに、実際に商売をしているものも多くある。


 竜翼師団の団員の身内が営んでいるパン屋や食堂などもそのうちの一つで、ユランはいつもどおりに適当な店に寄り、朝食を買う。


「おはようございます! 今日は腸詰めがありますよ。パンと一緒にどうぞ」

「それ一つ……いや、二つ包んでくれる?」

「お二つですね。かしこまりました」


 注文中にふと、資料室へと置き去りにしてきたベルルシアの事を思い出して、その分も買う事にした。

 昨日のうちに寮の移動をさせる筈が、随分と予定が狂ったものだ。


 わざわざ店を利用せずとも、専用区画を出れば第一師団の食堂を利用できる。

 だがユランは一度も利用した事は無いし、ベルルシアに案内してやれるのは早くても今日の昼以降だ。

 

 事務官だとユラン相手に啖呵を切ったベルルシアは、たった一晩であの惨状の資料室にどう向き合っただろうか。

 それなりに片付けて寝ているのか、それとも、夜通しで必死になって整理しているのか。


(少しは使い物になればいいけど)


 元々は体術の方を見込んで目をつけた相手だ。

 事務仕事は勤務態度不良で謹慎になっていたという情報もあり、最低限以上の期待はしない。


 ユランが師団長副官の地位について、そろそろ半年が経つ。

 師団全体で実地任務の後回しにされ続けている書類仕事は、互いに押し付け合うような貧乏くじだった筈だが、ユランが統括権限を持った途端に邪魔まで入るようになった。


 昨日の乱闘騒ぎはその延長だ。

 気まぐれに資料整理を任せてみる事にしたのは、巻き添えを食う形になったベルルシアに、流石に少しは譲歩すべきだと思ったためだった。


 ――そういう経緯があったので、第五資料室の入り口で兵士二人とベルルシアが睨み合っている場に出くわしたユランの機嫌は一気に下がる事になった。


「始業前から、何の騒ぎなわけ?」


 声をかけると、二人の兵士のうち一人は舌打ちと共に、引き下がる素振りを見せる。


「おいラクス、もう行くぞ」

「一人で行けよ。あいつが来たから何だっていうんだ」


 お構いなしにベルルシアに掴み掛かろうとしてる方は、確か昨日の模擬戦で負けたシモンとよくつるんでいる若手の兵士の一人だ。


「もう一回だ。シモンが女に負けたなんて冗談じゃない!」

「そういう事か……実力差は明らかだったけど。負けた雑魚の取り巻きにはそれが分からない?」

「黙れ! お前に用は無い!!」


 師団長副官を相手にお前だの黙れだのと、ずいぶんと威勢のいい事だ。

 鬱陶うっとうしくなったユランは右手を前に翳し、手のひらの先に魔力を流し込んだ。


――」


 咄嗟に動いたのは、こちらをそれほど気にする様子もなかったベルルシアだった。


 ぎょっとした顔で兵士二人の襟首を掴んだかと思えば、力任せに資料室へと引き摺り込んで、当人もドアの陰から声を張り上げる。


「魔術を使うのは、どう考えてもやりすぎです!!」

「ただの拘束魔術だよ」


 部屋の入り口を陣取る障害物が無くなりさえすればなんでもいい。 

 一瞬前まで魔術を放とうとしていた事など無かったかのように、ユランはゆるりと資料室へと踏み込んだ。


 机が窓際の壁に移動させられ、そこに書類が積み上げられている事を除けば、資料室は綺麗に片付けられている。 

 とりあえず、仕事は真面目に熟したようだ。出来の方は後で見るとして――


 ベルルシアに朝食の袋を押し付けるように渡し、ユランは床へと転がる二人の兵士を見下ろした。


「それで、何の用だって?」

「……このっ、」


 屈辱に満ちた表情の2人が激昂して立ち上がる、その直前に、を発動させる。

 黒い蛇を模した魔術の鎖がぐるぐると巻き付いて、兵士達は再度、無様に床を転がる羽目になった。

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