第6話

 竜翼師団の専用区画は、都の店通りのようだった。

 ベルルシアが一瞬カラティオンの城下に降りたかと錯覚するほど、街並みの再現度は高い。


 だが普通の街にはありえない、おかしな光景がいくつかあって、ここが兵営の中なのだと思い起こさせてくれる。


 まず、命綱をつけて建物を素手でよじ登る、訓練中の兵士の一団が見える事。

 次に建物の地階に並ぶ店の種類。普通の食堂や雑貨店のようなのも混じっているが、一見して何の店だか分からないものが多い。

 それに道ゆく人々……当たり前だが、その全てが武官服や武装を身に纏った男性だ。


(やっぱりどう考えても竜翼師団って、普通の部隊じゃないのでは……?)


 ベルルシアは今すぐここから逃げ出したくなった――異世界から死ぬ物狂いで戻ってきて、やっと平穏な生活を取り戻せたと思ったのに、こんなところに放り込まれるなんて。


 通りはそれほど長くはなく、すぐに広場を模した訓練場へと拓ける。

 そこが、ユランによる案内の終着点のようだった。


「師団長、連れてきたよ」


 ベルルシアが落ち着く間も無く、訓練場中にユランの声が通る。

 周囲の視線がこちらに向かって一気に突き刺さり、ベルルシアは身を竦ませた。


 友好的な視線ではなかった。

 値踏みするようなものはまだいい方で、悪意の篭もるものや、嫌悪感もあらわなものがかなりある。


 うなじがチリチリするような嫌な雰囲気の中、訓練場の一団から、黒髪を刈り込んだ男がこちらへと進み出た。

 体格の良い兵士たちの中でも、ひときわ精悍な身体付きの男だ。


「ご苦労、ユラン。思ったより早かったな」

「道は覚えたらしいんでね」

「そうか。期待の新人だな」


 爛々らんらんと輝く猛禽のような赤茶の目が、厳しい感情を湛えてベルルシアを見据える。


「俺はローアン・トラヴィス、ここの師団長だ」

「……ベルルシア・クレヴァリーです。事務官としてこちらに配属と伺いました」 

「ああ、申請したのは俺だ」


 つまり、ベルルシアをここに呼び付けた張本人という事だ。その割に、歓迎しているようには全く見えない態度なのは――


(あの酔っ払い貴族を撃退した事で、何かの嫌疑が掛けられているけれど、捜査に踏み切る決定打が無い……監視と調査のために引き込んだ、というところでしょうか?)


 だとすれば、自分の迂闊うかつな行動のせいで、国を守る王師に迷惑をかけてしまっているという事になる。


(悪いことは何もしてませんが……身の潔白も証明できません。一生懸命働いて、信じてもらうしかないみたいですね)


 家族から離れる期間があるのは辛いが、自分の行動の結果を受け入れるしかない。


「さて、ベルルシア・クレヴァリー。到着早々で悪いが、最初の仕事だ。お前には模擬戦をしてもらう」


 だが、それとこれとは別の話ではないだろうか。


「えっ、模擬戦?」


 聞き間違いかと思って聞き返したが、ローアンは「そうだ」と無情にも頷く。


 ベルルシアはようやく、周囲からの値踏みの視線の理由に思い至った。

 あの視線は新参者を物珍しそうに眺めているわけではなく、ベルルシアをどうやって潰そうかという冷酷な目算を含むものだったのだ。


「そ……そんなの、無理です……」


 消え入りそうな声が出る。

 目の前が真っ白になりそうだった。ざっと頭から血の気が引いていき、ベルルシアは弱々しく頭を振る。


「私……事務官だと言われてついてきたんです。戦いに参加しなきゃならないなんて、聞いてません……」


 部隊遠征に帯同する、までは理解の範疇はんちゅうだが、戦闘に関われと言われるのはいくらなんでもその範疇を超えている。


「ごちゃごちゃ言ってんな。お前の肩書きなんざ、ここでは関係ねえんだよ」


 ローアンの後ろから吐き捨てるような荒い言葉が飛んできて、気圧されたベルルシアはびくりと口を閉じた。


「エゼル、俺が話している」

「黙って聞いてりゃ、まだるっこしいんだよ団長。女だからか何だか知らねえが、口答えなんざさせやがって……おい新入り、ここの決まりを教えてやる」


 エゼルと呼ばれた男は、後ろに一人若い兵士を連れてこちらへやってくると、ユランを押し除けベルルシアの前へと割り込んだ。


「竜翼師団は徹底した実力主義。格上は尊重せよ、格下は自力で躾けよが絶対のルールだ。お前が女だろうが、事務官だろうが関係ねえ。ものを言いたきゃ力を示せ。話はそれからだ」

 

 無茶苦茶だ、とベルルシアは思った。

 助け舟を求めてさまよった視線は、黙って成り行きを見守るローアンと、無関心にこちらを眺めるユランを認めると、力無く足元の地面へと落ちる。


 孤立無援だ。誰も何も言わないという事は、エゼルの言葉はここでは正しい事なのだろう。


 だが、ベルルシアはここを去る事もできない。

 自分の迂闊な行動の結果を受け入れると、心に決めたばかりだった。


「……わ、かり、ました」


 震える声を絞り出す。


「でも、剣を使うのは本当に無理です。ローアン師団長、模擬戦は体術でもいいですか?」

「ああ、構わない。初日だからな……エゼル、どうせお前はシモンに相手をさせたいんだろう」


 エゼルは頷くと、連れてきた若い兵士を押し出した。


 ベルルシアより少し年上くらいだろうか。大人しくやりとりを眺めてはいたが、にやにやと薄笑いを浮かべ、ベルルシアを見下し切った表情をしている。


「こいつもまだここに来てからの日は浅い。新入りの実力を示すならフェアな相手だ」

「しっかり躾けてやりますよ。なあに、素人の女相手にハンデも無しじゃ可哀想ですからね。僕は蹴りも殴りも無し。相手を地面にひっくり返したほうが勝ちって事で良いですか?」


 シモンの嫌な視線が、ベルルシアの胸元へと不躾に落ちる。

 躾、というのが辱めるという意味だと気がついて、ベルルシアはかっと頬が熱くなるのを感じた。


「……構わない。すぐに始めるぞ」

「すぐにって、団長。この女の服はそのままか?」


 流石に、と驚いた様子でエゼルが口を挟む。

 ベルルシアは侍女官に相応しい、控えめなデイドレスを着たままの姿だ。到底戦えるような服ではない。


 ローアンはちらりとベルルシアの服装を見て、それからユランを見た。ユランは何も反応しない。


「……事務官の規定の服装と何が違う?」


 非情な声が答えだった。

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