第4話

「クレヴァリー卿より事情は伺いました。それを考慮したとしても、残念ですが……あなたを今の配属に留めておく事は不可能です」


 謹慎明け、侍女官長の執務室を訪ねたベルルシアは、予想していた言葉に黙って頷いた。


「半年遅れで任官した新人女官を、同期の者として扱うように、と通達する事が、どれだけ組織を混乱させるか、理解は出来ますね?」

「はい、侍女官長」

「侍女は宮廷の高貴な方々に関わり、そのお側の些事を任される仕事。侍女同士、足並みを揃える事、他の者との連帯が何より大事だという事は覚えていますか?」

 

 言われた事が痛くて、ベルルシアは一瞬、視線を伏せる。


 侍女官長は口にしなかったが、元々、ベルルシアは新人女官の中では浮いていた。女学院時代に買った反感が、そのまま宮廷にも持ち込まれてしまったのだ。


 『引き立て役』と嘲笑する囁き声を、ベルルシアはこれまでずっと、聞こえないふりでやり過ごしてきた。

 そのツケをここで払う羽目になったのは自分の落ち度でしかない。


(……仕方ありません。予想は出来ていた筈です)


 冷静を保つためにそう自分に言い聞かせ、ベルルシアは再び「はい」と頷く。


「よろしい。ではまず――」


 侍女官長が何かを言いかけた矢先に、ガツガツと執務室のノッカーを叩く音が響いた。

 ノックにしてはずいぶんと性急な叩き方の直後、侍女官長の返事を待たずにドアが開く。


 驚いたベルルシアが、思わず振り返る。

 そうして、入室してきた人物と思い切り視線が合った。


 濃い碧髪の合間から覗く、冷たい光を灯した金色の瞳がベルルシアに対してツっと細められ、通り過ぎていく。


(び、美少女――?)


「遅い。いつまでかかるわけ?」

 

 美少女の口からは、声変わりの終わった青年の声が不機嫌そうに飛び出した。

 侍女官長に対していくらなんでも不躾過ぎる態度に、ベルルシアは思わず絶句する。


「ああ、お待たせしました、今すぐに。……ベルルシア・クレヴァリー、そちらの武官からお話があります。私は席を外しますので」

「えっ?」


 何が何だかわからないうちに、侍女官長はさっさと部屋を出ていってしまった。


(えっ、なんですか話って……私に? この人が?)


 残されたベルルシアは、戸惑いながらも武官を伺うしかない。


「ベルルシア・クレヴァリー?」


 確認のように名を呼ばれ、ベルルシアは「はい」と頷く。侍女官長との短いやり取りから、目の前の青年が相当高い地位にあることはなんとなく察している。


 改めて相対してみると、彼の背はベルルシアよりも頭ひとつ分近く高い事に気がついた。


 日に焼けていない薄い身体つきは、それでもどこからどうみても男性のそれだ。骨ばった肩から伸びる白い首には、喉仏がしっかりある。


 背がもう少し低かったら、少女だと思ったかもしれない。

 或いは、深い湖の底のような碧髪がもう少し長ければ、やはり女性に見紛えたかもしれない。

 それほど、彼の面差しは『美少女』めいていた。美女ではない。美少女としか形容のしようがない。


「あんた、今日から王師おうし付き事務官に異動ね」


 見れば見るほど混乱しそうな顔立ちの持ち主は、ぴらりと何かの書類をベルルシアの眼前に突きつけると、何やら命令口調でそう言った。


「…………、…………えっ?」


 言われた事の意味が理解できず、たっぷり一呼吸分、ベルルシアは凍りつく。

 目の前の書類は確かに異動辞令と題があり、ベルルシアの名前があり、最後に侍女官長と王師元帥のサインがされている。


「ええと……。女官に異動は…………ありませんよね?」

「前例が無いだけで、官僚と書類上の扱いは同じ筈だけど?」


 皮肉げな青年武官の物言いはこちらを小馬鹿にしているようで、ベルルシアは内心むっとする。


「各省への異動はあるとは思いますが、王師に?」


 王師とは、王の軍の事である。登用試験の募集とは全く別に人材確保を行う組織だったはずだ、と反論を試みるベルルシアに、青年武官は鼻で笑うだけだった。


「王師元帥は軍務卿だよ。そんなにお望みなら、軍務省に異動と言い換えてあげようか」

「…………そうですか。」


 ベルルシアが何を言ったところで、話は覆らない。

 言外に告げられた意味を正確に理解してしまい、ベルルシアは渋々承諾しかけたが、ふと疑問が沸いた。


(ちょっと待って、王師って……)


「――あの。王師付き事務官、というのは、例えば遠征などにも同行するのですか?」

「するよ。当然ね」


 国内外の軍事行動を担う王師は、数ヶ月単位の任務を請け負う事も珍しくない。

 王師付きの事務官とやらがどんな仕事をさせられるかは分からないが、任務先に同行するのは青年いわく当然の事らしい。


「では、私は女官を退官し、出仕を辞します。このお話は無かったことに」


 どうしても、そこだけは譲れなかった。

 異世界から必死の思いでようやく家族の元へ帰って来られたのだ。

 カラティオンを出て、その日のうちに家族と会えなくなるような生活になるのは、どうしても嫌だった。


 戸惑うような表情を浮かべながらも、ハッキリと言い切ったベルルシアを、青年武官は無感動に見下す。


 そうして、事も無げに言った。

 

「それなら取り調べって形にする? 謹慎前にあんたが殴り飛ばした貴族について、とかさ」


 これが最後通牒だと言わんばかりの、冷酷な声だった。


「それ、は…………」


 頭から冷水でも被ったかのように、ざっと血の気が引く。

 見られていた、という事に、ベルルシアの心臓は早鐘を打った。


 問い詰められても、答えられない事をした自覚がある。

 目の前の青年がどこまで掴んでいるのか、ベルルシアには分からない。


 けれど――不審がられているのは確かだった。

 どうにも言い逃れができなかった時、あの異世界の話を、こちらの世界で誰に信じてもらえるだろうか?


 ベルルシアが黙り込むと、青年武官は話は終わりだと言わんばかりに異動辞令書を押し付ける。


「じゃあ、兵営に案内するから。それが終わったら、今日のうちに王師の兵舎に寮を移ってもらうからよろしく」


 一方的な宣言に、ベルルシアは黙って彼の背を追うしか無かった。

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