鏡の中にあいつが居る

卯月

本文

「ああもうこんな時間、また親に怒られちゃう」


 私は最終電車に乗ってようやく家の最寄り駅に帰ってきた。

 もうすっかり深夜。

 駅前ですら人の姿はまばらで、同じ電車に乗ってきた人たちが足早あしばやに去っていく。


 都内の大学に通いはじめてからまだ数か月。

 子供のころからずっと埼玉の地元で育った私にとって、わざわざ東京まで行くっていうのはなにか用事を済ますためにする事だったんだ。

 だから、っていうと言いわけっぽいけど、まっすぐ家に帰るのがもったいないような気がしてつい寄り道しちゃうんだよね。

 

 今日は新しくできた友達の家にお呼ばれして、いっしょに晩ご飯作っちゃったりしてゆっくりしているうちについダラダラと……。

 で、こんな時間になってしまったというわけ。

 きっと親はカンカンに怒っているにちがいない。


「やっばいなあ」


 慣れ親しんだ「柳瀬川駅」の改札を抜けて私は左へ。

 こっちにはけっこう大きな団地が広がっている。

 この団地が私の住む街、私の故郷ふるさとだ。

 小学校から高校までぜ~んぶ団地のすぐそばにある学校に通ってきた。

 だからこの辺だったら目をつぶっていたって歩けるんじゃないかなって思う。やらないけど。


「あ~あ、どうしよう」


 親になんて言いわけしようかと考えながら重い足を引きずるように歩く。

 すぐ近くを流れる柳瀬川の土手どてをランニングしていたっていう事にしようか?

 いやいや無理があるな。

 桜が満開の季節ならともかく、こんな季節に何時間も川をながめているわけがない。

 どうしよう……?


 ゴロゴロゴロ……。


 その時、私の腹が鳴った。

 うっ、まずい、トイレに行きたい。

 こんなことなら駅のトイレに寄っていくんだった。

 家まではちょっと距離があって厳しい。ピンチだ。

 こんなピンチの時は、あの場所しかない。

 駅からすぐの所にある「ぺあも~る」というショッピングモールに行こう。


「あそこ夜は怖いからイヤなんだけどね~」


 誰が聞いているわけでもないのにつぶやきながら、私はお腹をおさえて歩きだした。

 だって、怖くて不安だったんだもん。

 夜一人で行くにはちょっと怖すぎる場所だったから。


        


 およそ徒歩一分。

 ほぼ駅前といっていい場所にこの「ぺあも~る」がある。

 昼間は人がいっぱいいて良い場所なんだけど深夜は……。


「や、ヤバい。マジでやばいでしょこれ。前からこんなだったっけ?」


 すべての店はすでに閉まり、街灯も消えている。

 誰もいない。そして物音ひとつしない。

 まるでホラーゲームの中にいるみたいだった。

 よくあるじゃん? 女の子一人だけで暗い場所を移動してアイテムとか探すタイプのゲーム。

 まさにあれな感じ。絶対ヤバイ。

 でも行かないと別の意味でヤバイ。


 グルルルル……!


 また私のお腹が嫌な音を立てる。

 もはや一刻の猶予ゆうよもない。

 ここは都内とちがって夜中でもトイレが使えるんだ。地元バンザイ。

 でもマジで怖いから個人的には緊急事態限定だけど。

 今がまさにその緊急事態。

 私は勇気をだして恐怖の暗闇の中に入っていった。


「ヒイイイ……!」


 暗い。怖い。

 まったく何も見えないっていうほどではないけど、だからって怖くないって話にはならない。

 じっとりとからみつくような暗闇の中をトボトボと歩く。

 キーンと耳鳴りがするほど静まりかえった闇夜。

 自分の足音だけが夜道に響く。


(早く終われ、早く終われ、早く終われ……!)


 私はこの暗闇の道が早く終わってくれるよう心の中でねんじつづけた。

 声には出さなかった。

 目に見えない『何か』に聞かれたらまずい、なんて漠然ばくぜんとした不安に襲われていたのだ。

 もちろん何も見えないし何も聞こえない。

 だけどそれでも『何か』が暗がりにひそんでいたらどうしよう。

 そう思わずにはいられない。


(早く、早く、早く……!)


 私は隠れるように身を縮め、早足で歩きつづけた。

 ほんの数分で通りぬけられるはずのショッピングモールなのに、まるで永遠に抜けられない暗闇の中を歩いてるかのような気分だった。

 後ろから『何か』が音もなくついてきているような気がする。

 物陰ものかげに隠れて待ちかまえているような気もする。

 もしかして前も後ろも囲まれていて、襲いかかるタイミングを狙っているんじゃないか……!

 私は半分パニックになりかけていた。

 でも声を出せない。

 声を出したらその時こそ終わりだという気がした。


 そうして歩きつづけて中央よりちょっと奥側までたどり着く。

 そこに文明の光があった。

 戸締りもせず解放されたままのトイレ!

 節電意識もなく電気つけっぱなしの明るい空間!

 私は命を救われたような気分で女子トイレに駆け込んだ。


「ハアッ、ハアッ、ハアッ」


 鏡にひどい顔の自分がうつっている。

 息を切らし、冷汗を浮かべ、顔色は真っ青。


「バカみたい」


 私はひどい姿で、でもちょっとだけ笑った。

 明るい場所にいるっていう、たったそれだけのことでいつもの自分に戻れたみたい。


「ふーっ怖かった」


 なんてことを言いながら鏡の前で汗をふいて、トイレの個室に向かう。

 その時だ。

 奇妙なことが起こった。

 私はトイレにむかってるのに、鏡にうつる私の姿は動かずそこに立っている。


「えっ?」


 個室のドアを開けながらふり返って鏡を見る。

 気のせいでしょ、そう自分に言い聞かせながら見た鏡には、まだ私の姿がうつっていた。

 ――そして顔をこちらに向けると、本物のわたしをジロリとにらんだ!


「イヤアッ!?」


 バン!


 個室のドアを強く閉めてカギをかける。

 なにあれ。

 あんなのありえない。

 ありえないありえないありえない!


 気のせいだ。絶対に気のせいだ、そうに決まってる。

 鏡って横から見たらグチャグチャっとした景色になるじゃん。

 そういう事だよ、絶対そうだよ。

 私はとりあえずトイレで用を足した。

 普通にしていないと心が何かに負けてしまいそうな気がしたから。


 ホラー映画みたいに上とか下から何かされるかもと思ったが、特にそういうことは無かった。

 ほらね、やっぱり何でもないんだよ。

 気のせい気のせい。

 気のせい気のせい気のせい気のせい気のせい……!

 絶対気のせい! 絶対!

 

 ザザーッ。


 水を流し終えて、身支度をすませて、さあ出ないといけないんだけど。

 出なきゃ、帰れないんだけど。

 ここから出口まで数メートル。かならず鏡の前を通らないといけない。

 私は自分に言い聞かせた。


(大丈夫大丈夫、さっきのは気のせい。絶対なにもない平気平気)


 出来るだけ静かにカギをあけて、そっと外の様子を見る。

 なんてことない。いつも通りの場所だ。誰もいない。


(よし行くぞ、行くぞ私)


 心の中でそう言い聞かせて個室から出る。

 絶対なにもない。絶対大丈夫に決まってる。

 でもなるべく鏡から離れて歩こう。

 ゆっくり、ゆっくり鏡の前まで来てしまう。

 鏡にうつる私は背中を丸めて怖がっている、間違いなく自分自身だった。

 

「……なあんだやっぱり何でもないじゃん」


 安心した私は丸めていた背中を普通にして、鏡にむかってホッと一息つく。

 だけど次の瞬間、鏡の中の私は勝手にポーズを変えた。

 無表情でググーっと顔を近づけてくる。


 そして、悪魔のような表情でニヤリと笑った。


「ギャーッ!」


 私は絶叫しながらトイレを飛び出した。

 外は真っ暗闇。

 何かが追いかけてくるような気がして私は必死に逃げた。

 無我夢中で家まで走って、走って、親がなにか言うのも無視して朝まで布団をかぶって一睡いっすいもできなかった。


 それ以上のことは今までなにも起こっていない。

 だけどあれから私は怖くて夜に鏡を見れなくなった。

 鏡の中の「あいつ」にまた出会ってしまった時、その時こそもう助からないような気がしてならない。

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鏡の中にあいつが居る 卯月 @hirouzu3889

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