第8話


「それ、持っていって」


 事務室に入ると、店長がぞんざいに顎をしゃくった。妙子はこの中年男が嫌いだった。夫とショッピングモールで買い物をしていた時、ばったり会い、舐め回すように夫を観察しからである。ブスを嫁に選んだ亭主への興味がありありと伝わってきて、不愉快だった。


「なんですか、これ」


 十月のカレンダーだった。


「シフト希望。これからはそれに希望書いて出して」


 今まで、休みの希望があれば連絡帳に書いていた。シフトは固定なので、それで事足りるのである。なぜ、と思ったが、おとなしくカバンに突っ込んだ。


「はい、わかりました」


「おはよーございまーす」


 そこへ、谷口美優が現れた。まだ二十歳の専門学生で、髪を明るい茶髪に染めている。以前、妙子のがま口財布を褒めてくれたので、妙子は彼女のことが好きだった。


「谷口さん、それ、シフト希望。赤堀さんが作ってくれたから、これからはそれを提出してくれる?」


 店長が声色を変えた。そして情報も多い。赤堀が作ったのか。妙子はムッとした。入ったばかりの分際で。


「えー、別にいらなくないですかあ?」


 谷口がはすっぱな声で言う。そうだそうだ。妙子は壁を向いてエプロンをつける。


「ってか、サッカー台の前に置いてあるアレ、なんなんですか。アレがオッケーなら、私のネイルチップだって置いてくれても良いじゃないですか」

「アハ、さすがに売り場の提供はできないよ」


 店長の返しに谷口は「もう」と唇を突き出した。


「萩尾さん、どう思います?」谷口が妙子に聞く。「赤堀さん、勝手に募金箱を設置したんですよ」


「募金箱?」


「おはようございます」


 本人が現れ、谷口は口をつぐんだ。


「あ、これ、みなさん貰ってくれた? シフト管理がしやすくなると思ったんだけど、負担になるようだったらやめるから、言ってね」


 何が言ってね、だ。お前もただのパートだろう。妙子はますますこの女が嫌いになった。子供を私立中学に通わせているというのも気に入らない。なんならベリーショートにも腹がたつ。この女は自分に自信があるのだ。妙子は眉毛の形にすらコンプレックスを持っている。


「ああそれと」赤堀はカバンから立方体の小箱を取り出した。「谷口さんにはこの前渡したんだけど。谷口さん、使ってくれた?」


 聞かれた谷口が頬を引き攣らせた。店長をチラと見る。


「あ、まだきてないんで」


「そう。試すだけでも使ってみてね」


 何やら鐘を逆さまにしたようなイラストが描かれている。赤堀は「月経カップ」と言った。


 谷口はエプロンをつけてそそくさと出ていく。


「月経カップ?」


「そう。生理の時に、これを直接お股に挿入するの」


 妙子は耳を疑った。


「みんな最初は嫌がるのよ。でも、一度使えばきっと虜になるわ。ドロっと落下する不快感もないし、何より経済的だし」


 妙子が返答に困っていると、赤堀は慌て出した。


「あ、違うの! 萩尾さん、中学生の娘さんがいるって聞いたから、娘さんにどうかと思って……」


 カッと顔が熱くなった。店長がククッと肩を揺らして笑う。


「これがあれば、水泳の授業も休まなくていいし、シミの心配もしなくていいの」


 シミ? 一瞬、それは妙子の目の横にあるシミを指しているのかと思った。しかし話の流れからして、経血が衣類に及ぼすシミに決まっている。いずれにせよ気分を害した。赤堀の視線は妙子のシミに注がれているのだ。


「うちは必要ないです」


 キッパリと断った。事務室を出る。月経カップ? そんなものパート仲間に配るか? だいいち男のいる前でする話じゃないだろう。


 もっとも怒りとは別に興味も湧いた。以前、玲奈はハーフパンツを汚したことがあった。「昼間の多い日用」のナプキンでも、受け止められなかったのだ。月経カップを使えばそういうこともなくなるのだろうか。玲奈には、なるべく恥ずかしい思いはさせたくない。


 あれこれ考えながらレジに入る。客が袋詰めするサッカー台に、透明な募金箱が置いてあった。あれか。妙子は目を凝らした。「STOP、殺処分」と書いてあった。


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