第6話


 カウンセリング室に通される。壁付けのテーブルには施術一覧表があった。十万単位の料金に妙子は目を見張る。


「目と鼻の相談ですね」


 日焼けした男が現れた。遊び人風で、白衣からは香水の匂いがした。


「はい。二重にして、鼻を細くしたいです」


 安藤は堂々としたものだった。顎を上げ、顔面を見せつける。


「うーん、そうだなあ。瞼が分厚いから、脂肪取りが必要かな。通常よりダウンタイムが長引くけど、その方が綺麗に仕上がるから、脂肪を取って、三点留めにしようか」


 浅黒い手が安藤の顔をベタベタと触る。


「私、全切開が良いです」


「最初は埋没が良いと思うよ。埋没なら取ることもできるから」


 料金表には、埋没は両側十万、全切開は両側二十八万と書いてある。やたら高い施術を勧められるわけではないようだ。もっとも、母親の手前、良心的な風を装っているだけかもしれない。妙子は医者という生き物を信用していない。この男の場合、医師免許があるかも怪しい。


「全切開はもう少しお顔が出来上がってからにしよう。今回は埋没法。それじゃあ鼻は」


 男は安藤のにんにく鼻をつまんだ。


「うーん。鼻尖縮小したら垢抜けるだろうけど、まだ十五歳でしょ?」男はカルテに視線を落とした。「もう少し大人になってからでもいいんじゃない?」


「高校生になる前に可愛くなりたいんです」


 可愛くなりたい、というあどけない言葉が悲しかった。ここまで捻くれた少女に「可愛い」と言っても、厭味になるだけだろう。


「梢、二重にしたら、あんたは十分可愛くなるよ」


 細い肩に手を添え、我が子のように言った。玲奈に同じことが言えるかは、わからない。


 安藤はヒクヒクと泣き出した。


「梢、あんたは可愛くなれる。二重だけしよう。ね?」


 妙子も涙があふれた。二人で身を寄せ合う。阿吽の呼吸ができあがった。

 同意書を書いた。不登校の安藤は、長期休みに合わせる必要がない。施術は一週間後、なんでもない平日の昼間になった。帰り掛け、シワ取りのキャンペーン広告が目に止まった。ケンジの値段でシミが消せるらしい。妙子の目の横には大きなシミがある。興味が湧く。


 おばさんが綺麗になってどうするの。妙子は心の中でツッコんだ。自分は美醜のサークルから離脱したのだ。テレビに映る女優に(太ったなあ)とか、(老けたなあ)とか、無責任になれるのは、同じ次元にいないからだ。これが、自分も見た目を気にするようになったら、もうアウトである。


 妙子は広告から目を背けた。同じように、自分の顔からも目を背ければいい。


「おばさん、ありがとうね」


 安藤はすっかり妙子に懐いた。帰りの新幹線では、携帯を弄ることなく、自分のことをよく喋った。


「去年の冬にインフルエンザが流行ったでしょ。マスク着用が義務化されて、二週間マスクをつけて登校しなきゃいけなくなった。それで私、学校行くのやめたんだ。だって、みんなマスクをつけた私の顔に慣れちゃったんだもん。取るの怖いじゃん」


「でも、その前はつけてなかったんだから」


「あれ、そんな顔してたっけ?」


「そう言われたの?」


「うん、玲奈ちゃんがね」


 玲奈が? 妙子は言葉を失った。


「でもおばさん、誰かに言われたかどうかなんて、関係ないんだよ。誰に言われなくても、自分が一番分かってるんだから。それに自分で、もっと酷いパターンを用意しておくの。『そんなブスだったっけ?』とか、『誰かに殴られた?』とか」


 妙子は膝の上で拳を握りしめた。玲奈も、そんな惨めな方法で、自分を守っているのだろうか。


「今日、玲奈が学校を休んだの」妙子は弱々しく打ち明けた。「小学校は皆勤だったの」


「仮病ってこと?」


「何か学校で嫌なことでもあったのかしら」


「玲奈ちゃんの担任は顔面差別が酷いからね」


 安藤がまたとんでもないことを言う。差別される側が言うのだから、そうなのだろう。妙子も学生時代、若い男の教師に差別され、辛い思いをした。玲奈の担任も若い男である。


「学校に抗議しようかしら」


「やめなよ。それが原因って決まったわけじゃないんだし」


「でも、差別するような男なんでしょう」


「教師だって人間だもん。仕方ないよ。ブスが変わらなきゃ」


 やはり安藤は玲奈に悪影響である。二人の接触は食い止めなければ。


「安藤さんは、学校に通ってた時は玲奈と仲良くしてくれてたの?」


 質問の意図を見透かしたのか、安藤は卑屈に笑った。


「全然。私は仲良くしたかったけど、玲奈ちゃんは違うみたいだったから」


「そうなの?」


 思い当たる節があり、妙子はどきりとした。自分も遠い学生時代、ブスとの交流を避けていた。毛嫌いしていたと言ってもいい。教室の隅でブス同士が和気藹々わきあいあいと集まっているのを見ると、殺意を覚えた。妙子は美人に媚びへつらい、パシリやピエロになってでも、いわゆる一軍と呼ばれるグループにしがみついた。それが愚かなことだと気づいたのは、成人式で再会した時である。妙子と写真を撮りたがる友達は一人もいなかった。声を掛けられたと思ったら、カメラマンの依頼だった。屈辱だった。


 かつて毛嫌いしていたブスグループは楽しそうだった。そして、言うほどブスでもなかった。垢抜け、見違えるほど美しくなった者もいた。羨ましかった。


「うん。玲奈ちゃん、イケてるグループがいいみたい」


 妙子は小さくため息をついた。そうか、玲奈も自分と同じなのか。同じ轍を踏まぬよう、助言してやろうか。ブス同士仲良くしなさい、と。


 ダメに決まっている。母親に言われた言葉は一生モノだ。一生消えない心の傷を負うことになる。それに玲奈はブスじゃない。可愛くないだけだ。最近ブレイクした女芸人に若干似ている気がするが、玲奈はその女芸人のネタにケラケラと笑っていたから、きっと自覚していない。


「玲奈は、その子たちとは仲良くやれてるの?」


「さあ。学校行ってないからわかんない」


 二重に整形したら登校するのだろうか。ふとそんな疑問が湧いた。


「あんなとこ、二度と行かない。近寄りたくもない」


 聞くまでもなく、安藤は言った。よほど嫌な思いをしたのか、腫れぼったい目が血走っていた。

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