第4話


 今日も川島はカラスに餌をやっていた。まさか、役所が職務を怠ったのか。妙子は役所に電話したが、注意勧告は行ったという。ならば、川島がそれを無視したということである。一体どういう神経をしているのか。理解に苦しむ。


「またやってるんです。どうにかやめさせてください。鳴き声がうるさくて眠れないんです」


「あのう、失礼ですが、他の住民のみなさんはなんとおっしゃっていますか」


 カッと頭に血が上った。他の住民から苦情がなければそれで良いのか。


「みんな迷惑だって言ってますよっ! うちだけじゃないんですからねっ!」


「はあ。地区長には相談されましたか? 一度、地域住民のみなさんで話し合ってみてはどうでしょう」


 ますます頭に来た。面倒事を回避したいというのが見え見えだ。もっともそれは妙子も同じで、川島に直接言いたくないからこうして役人を頼っているのである。


「川島さんはなんて言ったんですか」


「ええ……そういうことはちょっと」


「いいから教えてください。どういうつもりなんですか、あの人は。うちへの嫌がらせですか」


「いえ、そういうわけではないと思います。いい人でしたよ」


 耳を疑った。カラスに餌をやる女がいい人なわけないだろう。


 結局、担当者は「地区長に相談してください」の一点張りで、話にならなかった。


 そろそろ良いだろう。妙子はオーブンからアルミに包んださつまいもを取り出した。二つに割り、かけらを千切ってケンジにやる。「猫にさつまいもをあげても良いですか?」というトピに、「さつまいもは猫ちゃんの大好物ですよ」という回答があったのに、ケンジは匂いを嗅いだら行ってしまった。


「かわいくない猫」


 ふと、危ない好奇心が胸に湧いた。カラスは、食べるだろうか。


 何を馬鹿なことを。妙子はさつまいもにかじり付いた。美味くない。余計に心が揺らいだ。いや、一度でもやったら川島と同類だ。妙子は冷蔵庫を開けた。マーガリンをつければなんだって美味くなる。だが、マーガリンはなかった。


 妙子はケンジを探した。ケンジは玲奈の部屋のベッドにいた。パリパリバー柄の背中を丸め、毛布をふみふみしている。


「ケンジ!」


 妙子はケンジの正面に回ると、平たい顔にさつまいもを突き付けた。ケンジは前足を休めることなく、プイッとそっぽを向く。


「本当にいらないのね?」


 ケンジは無心でふみふみを続ける。


「ああ、そう。あんたはシーバがいいものね」


 妙子は立ち上がった。自分と目が合った。壁に大きな鏡が掛けてある。思わず近づく。


 いつの間に玲奈はこんなものを買ったんだろう。指紋がいっぱいついていた。


 勉強机を見た。丸い卓上鏡が目に入り、胸がキュッと締め付けられた。玲奈は顔ばかり見ているのだ。


 妙子は逃げるように部屋を出た。強く握りしめられたさつまいもは変形している。


 夫婦の寝室へ行き、ベランダに出る。誰もいないことを確認したが、川島のように堂々と放り投げる勇気はなかった。なるべく小さな動作で済ませたい。妙子は小さく千切ったさつまいもを手すりに並べ、速やかに部屋に戻った。ぼうっと窓を眺めていると、どこからともなく一羽のカラスがやってきた。胸が弾んだ。


 カラスは羽を納め、テクテクと手すりを歩く。さつまいもをくちばしに溜め込み、その場では食べず、帰っていった。妙子は窓に飛びつき、小さくなっていくカラスをじっと眺めた。あれはオスだろうか、メスだろうか、そんな疑問が湧いた。

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