第2話
洗濯と掃除を終わらせてしまうと、あとは自由時間なので、パートがない日は一日中パソコンに向かっている。見るのはもっぱら『発言小町』という悩み掲示板だ。ここなら容姿は関係ない。なんなら、容姿に悩む相談者にも、みんなが親身になってくれる。回答者は自分のような暇な主婦なので、専門的見地からの回答はない。でもそれでいい。解決より大事なのは、他人に悩みを打ち明け、寄り添ってもらうことだ。
妙子はこのサイトで、特別な才能がなくても人の役に立てることを知った。親切にすれば感謝され、快感となった。
妙子は検索窓に「カラスに餌」と打ち込んだ。自分と同じ悩みを見つけたかった。
「近所の人がカラスに餌やりをしています。鳴き声がうるさくて困ってます」
妙子は自然と頬が緩んだ。いくつかレスがついている。どれも近所住人を非難するもので、相談者に同情する内容だ。そうだそうだ。これが世論だ。
「野鳥への餌やりは環境破壊です。野鳥の生態系を変えてしまいます。餌やりは人間のエゴです。市役所に相談し、無責任な行為を注意してもらいましょう」
市役所に相談、その手があったか。妙子は膝を打った。それなら諍いになることもない。ここには四十坪の建売住宅が密集しているのだ。誰が通報者かなど分かりやしない。
「環境破壊」という単語にも勇気をもらった。人間だけでなく、野鳥にとっても迷惑ということだ。万が一、川島と対峙するようなことがあったら、これを持ち出そう。
妙子も回答することにした。自分も同じ境遇であることを打ち明け、励ました。妙子のマイルールは、説教くさいことは言わないことと、先輩風を吹かさないことと、必ず敬語を使うことである。
夕方、玲奈が帰ってきた。さっさと二階へ上がってしまう。学校の出来事を、玲奈は話したがらない。思春期の娘というのはそういうものなのだろうか。記憶を辿るが、自分はもう少し親とコミュニケーションをとっていたような気がする。もっとも嫌なことがあった日は例外で、親との会話を極力避けた。あの頃、自分は何が嫌だっただろう。妙子は無意識のうちに頬に手を当てていた。顔だ。
学校行事の写真に、自分が全然写ってなかった。
友達と行った夏祭りで、自分だけかき氷のシロップが少なかった。
席替えで自分の隣になった男の子が、仲間に慰められていた。
直接の攻撃ではない。人間は、無意識のうちにブスを差別してしまう生き物なのだ。
まさか、我が娘はいじめられているのだろうか。親の欲目にも、美少女とは言えない娘である。しかしブスではない。多少エラは張っているが、ホームベースとあだ名がつくほどではないし、エラは長い目で見たらメリットだ。妙子はエラのおかげで頬のたるみが少なく済み、実年齢よりも若く見られる。シジミ目も老化と無縁である。妙子には目尻の皺も、クマもない。
エンジン音が聞こえ、外をのぞいた。裏の家に住む安藤梢が、見慣れない車から降りてくる。安藤は玲奈と同級生だが、学校には通っていない。長い黒髪を下ろし、制服の上にグレーのパーカーを羽織っている。スカートは超ミニだ。視界から消える。うちの玄関に向かっているのだ。
妙子はソワソワした。今日こそ、言ってやろうか。うちを、自分の家みたいに使わないで。わかってるんだからね。あなた、援助交際してるんでしょう。援交相手に自宅を知られたくないから、うちの前に車を止めさせるんでしょう。
果たして同じことを本人を前に言えるだろうか。言えないな。妙子はため息をついた。不登校とは言え、玲奈の同級生である。彼女を怒らせたら、玲奈が何をされるかわからない。男友達を使ってレイプというのも考えられる。
砂利を踏む音。妙子は急いで台所へ向かった。カーテン越しに外を見る。安藤がうちの敷地を、颯爽と通り抜けていく。激情が込み上げた。娘と同い年の子供でも、むかつくものはむかつくのである。落とし穴でも作ろうか。
いや、さすがに幼稚すぎる。せめて防犯ブザーだ。でも音が鳴ったところで、あの小娘は気にしない気がする。それより隣人が反応しそうだ。隣に住む老夫婦は、自然の音には寛容だが、町内放送やバイク音には異常なまでの怒りを示す。
妙子は発言小町に戻った。「近所の子がうちの敷地に勝手に入ってきます」
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