第11話 恋をしている者 4

 少し距離を縮めたことが嬉しかったのだが、その翌日は関根さんが一枚の紙を手に持って物流の現場をあちこち動き回っている。誰も声を掛けようとしなかったので、僕は積極的に声を掛けた。

「どうしたんですか?」

「あの、この製品ってどこにあるのかなって……」

「ああ、それなら……」

 僕はその製品の場所まで案内した。

「ここにありますよ」

「ありがとうございます」

 また、彼女は嬉しそうに笑顔を見せた。

 あの時、僕が声を掛けていなければ、きっと一人でうろちょろしていたに違いない。

 何となく、僕は気分が良かった。


 それはそうと、あの手紙はどうしたんだと思われる方もいるかもしれないが、あの手紙はちゃんと僕が通勤に使っている黒いリュックサックの中に入ってある。

 僕は何となく、いつでも渡せる為に常備しておいた方がいいのではないかと思い立って、仕事中、時間が空いていた時に、男子更衣室に入って、自分のリュックサックから手紙を取り出した。

 ……何やってんだろうな俺。

 と、ふと手紙を手に取った時に、我に返ってしまう。

 ダメだ、ダメだ。僕は想いを伝えないと、この恋は進まない。

 そう思いながら、それを制服のジャケットのポケットにしまい込んだ。チャックを半分だけ閉めたら、落ちることもないし、すぐに取り出せる。

 もしこれで何らかの拍子で落ちてしまい、無くしてしまったら、僕は一生恥ずかしい想いをしなくてはいけない。

 いや、それだけではない。昨今はセクハラという言葉も存在する。

 関根さんが僕の味方をするつもりはないと思うし、僕の勝手な独りよがりになり、異動させられるに違いない。

 このやきもきした気持ちを早く脱出したい。でも、渡すのは怖いし、渡せる時が来るのだろうか。

 僕は彼女が大体出勤してくる時間を読んでいた。

 彼女はこの会社から自転車で十分ほどに自宅がある。その情報は風の噂で聞いた。一人暮らしだと思う。多分。

 とにかく、出勤時間は九時の時もあれば、十一時の時もある。

 昼十二時を回ってからくる時もある。多分、時間が七時間労働なので、その時は帰るのが九時くらいになることもしばしばだ。

 若い女性なのに、怖くないのかなと心配になる。

 まあ、それはそうと、帰るときにもちろん服は着替える。ということは更衣室の方に足を運ぶ。この女性更衣室のドアを出たら、そこには休憩室がある。みんなが昼食を取る場所だ。そこは昼間や出勤時間には大勢の人がいるが、それ以外はほとんどいない状態だ。

 僕はその時を渡せればいいと考えていた。

 しかし、予想外のことが起きた。

 僕が夜八時の時に、誰もいない外に出していたフォークリフトを倉庫内に入れようとした所に、彼女が私服姿で僕に向かって、「お疲れ様です」と、声を掛けたのだ。

 僕は慌てて、当たりを見渡す。そこには誰もいない。ここでしかない!

「関根さん!」

 そういって、僕はリフトを止めて運転から降りた。

 彼女は何かを感じていたように立ち止まる。

「あの、これ読んでくれませんか?」

 僕はジャケットのポケットのチャックを開けて、手紙を差し出した。

受け取った関根さんは「んー?」

 と、驚いた様子もせずに、まるで何かを楽しんでいるように、その開封されていない手紙を街頭に照らして中を見ようとした。

「分かりました。ありがとうございます」と、関根さん。

「ありがとうございます。お疲れ様です」

 そういい残して、僕はまたフォークリフトに乗って、倉庫内に運転した。


 これで本当に良かったのだろうか。僕はその日の夜、電車に乗るときに思った。

 そういえば、彼女は彼氏がいるのかも分からないのだ。彼氏がいたら、そこで無意味どころか、何勘違いしてんだこのオッサン……。とは、思わないか。

 僕はその日の夜。あまり眠れずに、翌日を迎えた。

 この日は日曜日だった。僕は出勤だったのだが、彼女も出勤で、その姿を見た時に、何となく顔を合わせたくはなかった。

 だけど、二時になり、僕が倉庫内で休憩していると、彼女は一枚の紙を持ってやってきた。

「三島さん、この製品なんですけど、これって、まだ物流に保管されてますか?」

「あ、まだありますよ」

「ありがとうございます。それと」と、ここで彼女は声を潜めていった。「昨日の件なんですけど……。ごめんなさい。あたし彼氏がいるんで……」

 そういわれて、僕は思わず「はい」と、頷いた。いや、本当は目を閉じたかった。

 彼女がそれだけをいって、また元の事務所の方に帰っていった。

 ……まあ、そうだよな。彼氏いるっていってたような気がしたんだ。

 というのも、去年の夏くらいに何となく、彼女の口から彼氏の話が出たことを、軽く聞いていた。その時は、僕もときめいた状態ではなかったので、みんな幸せになっていくんだと、軽く流していた。

 その記憶がいつまでもあったので、占い師陽菜先生の言葉を鵜呑みするんじゃなかったと僕は悔やんだ。

 まあ、告白したのが、物わかりがいい子で良かった。これが、未熟な若い女性だったら、これからも仕事のやり取りしづらくなってしまう。

 でも、関根さんは優しいから、その辺は大目に見てくれるだろう。僕はとにかく仕事を失いたくない気持ちが奥底にあったので、もちろん振られたことに対してもショックだったが、そこはやっぱりなという納得感で覆いかぶせて、無理やり蓋をした。

 まあ、これで、僕も占いに行かなくて済む。やっぱり僕には女性と恋愛なんて向いていないんだ。

 思えば、学生時代から女子にはからかわれた。僕はその時から女性に苦手意識があった。しかし、その話を親しかった人に話すと、それは僕に対して好意の気持ちだということを知った。

 でも、その時に、僕が男を出して、ぎらついた感じで異性として見ていたとしよう。その時はきっとその女子も去って逃げたのかもしれない。

 実際、その女子は親の都合で転校していった。その時の僕は、もうあいつに嫌がらせされることはないなとホッとしていたのだが。

 まあ、そんな記憶はあるが、恋愛なんてしたことが無い三十四の僕にとって、半ばあきらめている。

 これから関根さんとは、良い同僚として接していきたい、そう決断しての翌日、彼女はまた僕に対して、色々と気を配ってくれるのだから、どうも引っかかってしまう。

 きっと、昨日、彼氏がいる(多分、本当なのだと思う)といったことで、僕のことを思ったら心が痛んだのか。それとも、彼氏がいるのにも関わらず、僕のことが気になっているのだろうか。

 どちらにしても、終わったことだ。終わったことなのに、彼女は昨日いったことを後悔しているのか、僕が仕事から帰ろうとした時も、心配している表情をしている。

 そんなことまで心配していると、また好きになっちゃうじゃないか。

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