第9話 恋をしている者 2
それから、半月も経たなかった頃だろうか、関根さんから、「智さんと一緒にいるとホッとする」といわれたのは。
それを二回ほどいわれた記憶がある。
一回目は多分、僕と関根さんしかいない場所でいわれて、もう一回は、また別の女性(イニシャルМとしよう)その人と一緒にいた時に、関根さんからいわれた記憶がある。
「三島さんは本当に癒される」
その時も、僕は何をいっているんだこの子は……。と、不思議に思っていた。
後で知ったことなのだが、もしかすると、その時に事務所内で一番のリーダー的な存在の女性に怒られたのではないのかと推測する。なので、深く沈んでいた関根さんだったのだが、その時に、僕と話をしたときにふと思ったことををいったのではないか。
どちらにしても、何かしら問題があって、関根さんがショックを受けていたのは確かだろう。そこに僕とやり取りが何かしら彼女の心に響いていたのかもしれない。
まあその時は、癒されるのであればいいですよ。と僕は心の中で呟きながら笑った。
その時も、まさか僕が関根さんに恋をするとは思わなかった。
では、どこで火が付いてしまったのか。
フォークリフトで僕が倉庫内で、何も乗っていないプラスチックのパレットを何段も重ねて、それを倉庫外で運び、一定のところで下ろすといった作業がある。
リーチリフトを使っての作業なのだが、忙しいので、十二、三キロしか出せない速度なので、カーブも速度をあまり落とさず、必死で早くしていたのだ。
どうやら、彼女が通勤途中で、その光景を見ていたらしく、更衣室で着替えた後、事務所に向かって自分の席に座る前に、時田さんに対して開口一番、僕の話をしたという。
「時田さん、智さんがめちゃくちゃフォークリフトスピード出してた」
と、楽しそうに話をしたらしい。
昼休憩の時に時田さんが、何人かの正社員と昼ご飯を食べていた時に、僕を含めてみんなで話をしていたのだ。
その時、僕は本気じゃないか、と咄嗟に思ったと同時に、
「おっ!」と、同僚が嬉しそうに僕を見た。
「鈴は智さん好きだからな」
そう時田さんは自然に言う。
ここまでいわれたら、一気に火が付いてしまった。
その日の、昼からの仕事で僕が時たまに訪れる事務所の中で、関根さんがいるのを意識しだすと、思わずにやけてしまう。
この子が……。ヘヘヘ。
そんなことばかり思っていた時が、一番幸せだったような気がする。
でも、そんなことを関根さんも察していたような気もする。
一方で仕事は順調ではあった。九カ月も経てばそれなりに仕事も慣れてきたものだ。
冬には後輩牧野が入ってきた。牧野は僕よりも三歳年下で、体格的にがっしりとした感じだった。学生時代バスケットボール部に入っていたらしい。
「三島さん、これはどうすればいいんですか?」
牧野はいろんな仕事経験が豊富なのだが、フォークリフトを乗るのは講習依頼だった。その為、カウンターリフトも運転するにはおぼつかないし、リーチリフトなんて講習でも乗ったことが無いので、まずは立ち位置から教えていた。
僕も初めて後輩が出来ることに多少怖い部分もあったし、教えることがあまり慣れていなかった。前の仕事で後輩なのに、正社員といった年上の人物がいた。
その人が謙虚で仕事熱心だったら、別に問題ないのだが、一緒に仕事をすると、ずっと愚痴ばかりで、良くいえば慎重な人であり、悪くいえば小心者の部分がある。
その上、道理に損なわれた作業をすると、口出しをするような人間だ。僕は一日目で、コイツとはなるべく距離を取って仕事をした方が身のためだと思ったくらい、相当な変人だった。
なので、後輩に教えると、そこで上げ足を取られるんじゃないかと思っていたのだが、牧野は素直に先輩を慕ってくれた。
ただ、今となっては牧野の方が、仕事ができるのだが……。
人間関係は、それなりに問題はなかった。いや、この時が一番良かったのかもしれない。
ただ、大きな失敗をしてしまった時もあった。
業務用のエレベーターに関して、本当はフォークリフトを入り込んでの作業は厳禁なのだが、先輩らが効率的にそこを多少入り込んで、エレベーターに乗ってあるパレットをひっかけながら、引きずるといったやり方をしていたのだ。
本来はハンドリフトを使って行うのが正しい使い方なのだろうが、そこは横着して行うことに自然となっていた。
もちろん、重量オーバーのベルは鳴るのだが、僕がその時にやらかした失敗は、エレベーターをカウンターリフトで、前輪まで乗せてしまった事だ。
重量オーバーになったエレベーターはズルっと一段落ちた時には焦った。バックしたらなんとか行けるかと思ったのだが、前輪が引っ掛かってビクともしない。
僕は慌てて、井出センター長に報告した。
「何をやってんの?」
「すみません」
そこに集まっていた人たちで、上手いことフォークリフトを持ち上げて、エレベーターを直してもらった。
「みんな、本当にありがとう。おい、三島、みんなに頭を下げろ!」
そこで僕は頭を下げた。「すみません」
「いいよ。三島は大丈夫か。ケガはなかったか?」
「はい、僕は大丈夫なんですが、エレベーターが……」
「大丈夫だ。今製造グループ長の伊藤さんに見てもらってる」
その製造の正社員の人がいって、伊藤はこちらに姿を現した。
「オッケー、取り合えずエレベーターは問題なく動いてる。大丈夫、次気を付けろよ」
当時、三十の背の小さい伊藤は僕に対して肩を叩いて笑った。
「ありがとうございます」
そのやり取りを一通り見ていた井出センター長はしかめっ面で腕組みをしていった。
「俺は、お前がこんな状態になったことには責めるつもりはない。みんなこんなことをやっていたんだから。でもな、エレベーターが故障したときに、一つも直そうと取り組みもせず、ただ後ろで突っ立ってんのが気に食わない。お前、本当に反省してるのか?」
「はい、すみません」僕は井出センター長よりも身長が高いのだが、その時だけは彼の気迫に押されて身長が縮まっていた気がした。
「今度はやらないこと。それで、何か失敗したら、自分で行動することだ。正社員だろ!」
そういい残し、彼は去っていった。
豆腐メンタルな僕は、その日、もうこの仕事辞めてやると思っていた。でも、時間が経つにつれて、やっぱり、自分にはこの仕事が通用しないんだとも思い始めていた。
関根さんともどう接したらいいのかも、分からない。確かに気にいってもらってるのは分かっているのだが、彼女も積極的に話しかける人ではない。どちらかというと大人しい人だ。もちろん僕もだけど。
関根さんが僕のフォークリフト捌きを見て、テンション上がって時田さんに話をしてから二カ月が経つ。僕はいつしか仕事よりも恋心に奪われて、どうすればいいのか悩んでいた。
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