第8話 恋をしている者 1
僕が鳴越物流株式会社にパートとして入ったのは三十一の頃だった。
なぜこの会社を入ったかというと、前の中小企業の会社でパートとして働いていたのだが、正社員登用があると聞いて入ったのに、全然お呼びがかからなかったからだ。
次々と若手のパートたちが正社員として昇格していく中、その若手たちよりも年齢が上の僕には声が掛からないことに不安があったし、しまいには地方に構えている工場に、パートの存在で異動させようという、人員が少ない部分と、経費削減のところが見え隠れして、僕は嫌になり退職した。
途方に暮れていたのだが、昔午前中だけ仕事していた鳴越が楽しかったので、出戻りとして再度フルタイム勤務で入ったのだ。
そして、その一年半ほどに、正社員の試験があり、僕は見事に合格し、昇格したのだ。
ただ、元々鳴越で働いていたパート時代は、家の近所だったので、自転車で通っていたのだが、正社員になると同時に、港湾の鳴越株式会社に働くことになった。
最初、パートの時の物流のセンター長と港湾の会社で挨拶に行った時は、本当に緊張と不安でいっぱいだった。
正社員通知が来て、三日か四日くらいしか経っていないということもあり、環境ががらりと変わったし、港湾の鳴越のほうが大きな倉庫を構えていて、あまりの迫力に委縮したことを覚えている。
その日は挨拶をして、次の日から、港湾の方に足を運んだ時、八時の就業時間よりも早く従業員たちは集まっていた。
その時に、当時の井出センター長という人から、僕をみんなに紹介してもらった。その時の緊張のピークは大きかったし、何とかこの状況に押されたくなかったので、無理にテンションを上げる事で、何とか自分自身を誤魔化していたような気がする。
ただ、仕事においてはパートからの昇格なので、即日から多分出来ていたような気がする。
昼休憩の時はセンター長から何人かを呼んで、紹介してもらった。僕は頭を下げながら、この人は性格良さそうだなとか、そんなことを識別していた。
今回僕だけが正社員に昇格して、この場所に来たわけではなく、同じ別の鳴越でパートから昇格してきた、男性もいた。
「三島さんですよね? 僕、竹中といいます。一緒に正社員試験受けて合格した方ですよね?」
「ああ、そうです」
「僕も一緒なんですよ」
そう竹中は僕よりも年下で、身長も高い。話を聞くと、彼は十代の時に婚約をして、子供も三人いる。
僕らは試験に出された問題や、面接で何を聞かれたかの話で盛り上がった。
「まあ、お互い頑張りましょう」
そう竹中はいい残して去っていった。彼とは同じ倉庫内だが、作業が違う。僕はフォークリフトを使い、彼は簡単な軽作業の製造作業をしていた。
また、半月後には別の場所で正社員を集めた新人研修があった。
一泊二日の研修で、三十人くらい集まっていた。その竹中は次回参加する予定らしく、出席しなかったのだが、丁度、会社としては経営がうなぎ上りで、人員を増やしたいらしい。
何人かは別の物流企業で上手くいかず、社会保険など安定している鳴越に入社したようで、その話を聞くと、鳴越がいかに凄い会社なのかがよくわかる。
そんな二日の研修後に、この港湾の方に正社員から入社した三名を含み、総勢五名が新たに正社員として加わった。
その為、心細いのは僕一人だけではなかった。
本当にこの仕事を五年近く続けられたのは様々だが、何より一番確かなのは、彼女――関根鈴さんだろう。
彼女との出会いは、前にもいったように、異動して二、三日後、事務所でその姿を見たことだ。
本当に小さくて可愛らしい女性だなと心底思った。別に好きとか嫌いではなく、こんな女性が彼氏と幸せになっていくんだろうなと陰ながら応援したい気持ちだった。
それ以上の気持ちはなかった。
入社して半年までは……。
「智さんって呼んでいいですか?」
その発言に僕は別に問題ないと思っていた。
智――と下の名前で呼ばれた記憶をたどると、出戻り前の鳴越で、午前だけのパート時代に、当時の先輩から「智」と呼ばれたことだ。
当時、二十四、五の時は、僕はあまり仕事をした経験が少なかったのもあり、学生時代も生徒たちと接していなかったので、少々突っ張っていた。
その為、最初は結構近寄りがたかったのかもしれない。実際に僕もこんな仕事なんて簡単だろうと、強がっていたところもあった。
しかし三か月後、年上男性の先輩から、三島君は意外にもノリがいいなと思い始めて、色々とジョーダンをいう先輩に釣られ、僕も仕事も慣れて、徐々に笑顔の回数が多くなった時だった。
その智と呼んだ先輩はまた違う男性なのだが、その人も勤めてから九カ月くらいから、急に仲良くなり、その一か月後に智といわれたのだ。
僕は自分の感情がよく顔に出る方である。その「智」といわれたときに思わず笑顔になったことに対して、下の名前で呼んだ方が嬉しいんだなと、みんなに見破られた。
それから、その仕事場で僕の名前の呼び方は、「三島君」から「智」に変わり、打ち解けあっていったのだ。
僕自身ももちろん嬉しかったし、下の名前で呼んでくれた方がしっくりくるなと感じていたのだ。
なので、井出センター長からもコミュニケーションの一環として、
「友達とは何て呼ばれてるの?」
「智です」
といった。本当は友達なんていないのだが。
「じゃあ、智って呼んでもいいか?」
「はい、ありがとうございます」
「みんな、三島を今度から智って呼んでくれ!」
そういって、井出センター長は何人かに叫ぶようにいった。僕はつくづくこの人は凄く好感の持てるいい人だなと思っていた。
半年も経てば大分この環境から慣れた。しかし、まだどこかで不安があるのだろう。良く仕事の悪夢を見ていた記憶がある。
冒頭の初めにいった言葉は、僕よりも五歳くらい年下の家庭を持っている、事務所で作業している女性、時田さんだった。
それ以前に、先輩の男性社員から結構いじられたりしていた。僕としてはようやくいろんな人の名前と顔が一致できたなと思っていたところだった。
そこに事務所の女性も話に入って、その向かいに座っている関根さんも僕を見ているといったやり取りが、多分何回かあったと思う。
その談笑が楽しかったのだろう。僕は下の名前を呼ぶことに対して、
「いいですよ」と、いった。
その時も、確か関根さんも僕に注目していた。
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