第5話 助け人 5
僕は夜七時過ぎに会社を後にした。
今日もせわしなかった。いや、一月の下旬、この時期が一番荷物の流れは少ない。春先になれば、さらに忙しくなる。
何人かが退社する。そして別会社の倉庫からも作業服から私服に着替えた何人かの男たちが、談笑しながら、この港を後にする。
この場所は潮風の匂いが心地よい。いろんなトラックが出入りするし、色んな企業が入り混じって、何となく無理矢理に働かなくてはいけない場所ではあるが、唯一の自然を満喫できるのは海の匂いであろう。
だが、港の海は汚れていて、透き通っているわけではない。今は夜だから見えることはないが、昼間でもまじまじと港の海を見ようとは思わなかった。
銅や鉄などがきっとこの海に捨てられている。その為、キレイとは程遠いものだった。
――ああ、また明日も朝礼か……。
そう思うと、早く帰って楽しみのゲームにすがりたくなる。
僕は一緒に帰る人がいなかった。所詮陰キャだ。学生時代からあまり人と関わってこなかったし、小中学生なんて、仲のいい友達以外とは一つも喋らなかった。そんな人間だ。
しかし、そんな人間でも心通わす人はいた。もちろん、関根さんもそうなのだが、昔勤めていた先輩社員も色々と可愛がってくれた。
まあ、利用されたといえば、そうとも捉えられないが……。
どちらにしても、僕はこの仕事で多少の人間関係は作れたとしても、プライベートまで仲良くしようという人物はいなかった。
ここから徒歩十分歩いて、ようやく駅が見える。今日はやけに冷えている。最近は風も強く吹いている。都心では雪がちらついているようで、今日の夜には積もるという予報も出ている。
僕は駅近くまで歩いて、信号が赤になり、立ち止まった。そこにはスラム街のような治安が悪い場所である。
ホームレスもたくさんいるし、そこで日雇いを探す労働者もいる。目の前を通っただけでも、その吐き気のする様子はうかがえる。
たまに男性同士がケンカをしていたり、年配の女性が立ちんぼのようなことをしている。お金の為ではあるが、そんなことまでしても働き口が無いのだろうか。
僕は長い赤信号に思わずため息を漏らし、吐く息が白く見えたと共に、スラム街を見渡した。
そこには一人の背の曲がった老人らしき人物がフードを被って立っている。この人物も立ちんぼなのか。いやそもそも男か女かも分からない。
僕はなるべくその人から視線を逸らし、前の信号を見ていた。身体も寒くなっているので、早く地下鉄に駆け寄りたいと小刻みに身体を動かす。
その時、
「お前さん、さっきこっちを見てたじゃろう」
僕はいきなり左耳にねっとりとした低い声を当てられて、思わずそちらの方に見ると、先程の老人がいつの間にか近くに来ていて、顔がはっきりわかるくらい至近距離で僕を見ていた。
僕は身体をビクッと跳ね上がり、驚愕の表情をした。一気に恐怖が襲い掛かった。
「な、なんでしょうか?」
僕は声が上ずんだ。
「わしは占いをやってるんじゃ。お前さん、見たところ、人生上手くいっていないじゃろう」
確かに人生は上手くはいっているとは思っていない。しかし、誰もが上手くいっていないものではないのだろうか。
「いえ、そんなことは……」僕は首をかしげていった。しかし、表情が緩むことはなく、無視してやってもいいくらいだ。
「いや、上手くいっていない。三年前までは良かったんじゃないのか……」
三年前……。丁度、関根さんが会社の異動があった時期だ。当たっているといえば当たっている。あの時は心の中で自暴自棄に陥っていた。
でも、三年前という言葉を当てにして良いのだろうか。
僕はそのフードの中の顔をもう一度見た。皺だらけだが表情が柔和なところと、低い声だが何となく女性だろうとは判明出来た。
信号が青になった、何十人かが僕のことを敢えて見ないように交差点を渡り歩く。
しかし、なぜにこの婆さんは僕だけにいうのだろうか。たまたま僕が信号を待っているときに、一番端に立っていたというのと、僕が彼女を見たからであろうか。
僕は信号を渡るべきか渡らないべきか躊躇した。別にこの婆さんが僕の腕をつかんで離さないように、束縛をしているわけではない。行きたかったら行けばいい。しかし、浮浪者独特の臭いが漂ってこなかったのと、穏やかな顔がどこかに引っかかる。
「お前さん、わしを疑ってるね。それなら、もう一つ読み取らせておこう。あんたのお母さんは天国で穏やかに暮らしてるよ」
「え?」
僕の母親はもう七年前に他界している。肝硬変という病気だ。まあ、それだけでは亡くならないが、色々と身体がダメになって、最後はゆっくりと心拍も動かず終えた。
僕は二回も当てられたことに対して、少しこの人物に興味を覚えた。しかし、今度はお金だ。僕のポケットの中に入れている財布の中身は一万円程度ある。だが、その鑑定料が高いということもあるのではないのか。
「お前さん、本当は占いに興味があるんじゃろう。だって、普段から、占いに行ってるんじゃろう?」
その言葉に、僕は度肝を抜かれた。
「はい」
僕は青の信号が点滅しているときに、静かに答えた。
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