12 確認したいのです

 リンに衣装を貸してくれたホー=ダンの知人への礼、化粧道具の購入代金、結局のところ出費がその程度で済んだというので、隊商主はご満悦であった。

 それからカルダーは隊商を訪れ、そうしたことに興味を持つ面々と共に、花が枯れる様を観察することになった。彼は、本当にそれだけでいいらしい。彼自身も金を出さずに済んだのはリンのおかげだということで、男は感謝しきりだった。

 着替えを借りたクレスは妹たちを伴ってアクラス邸へ戻った。ミーエリエが、アルンと一緒でなければ帰らないと言って聞かないので、仕方なくクレスが兎を持つことにした。

 二十歳ほどの男が持ち歩いて似合わない度合いは成人女性の比ではないが、明日の朝に協会へ行くなら、確かに彼が持つのがいちばんいいだろう。

 そうして三兄妹は顔を揃えて帰宅の報告と、それから、あまり両親を喜ばせるとは思えない話をした。

 ウォルカスは渋面を作ったが、頭から否定したり反論したりはせず、クレスが妹とアルンを協会へ連れていくと告げるのに「任せる」と言った。ラッシアは困った顔をしていたが、夫の決定に口を挟むことはなかった。

 娘が魔術師かもしれない、というのは、親自身が魔術師でもない限り、歓迎されないものだ。それは不気味で不吉な人種という偏見が世の中にはまかり通っており、両親や当人が偏見を持っていなかったとしても、周りが持っていれば影響を受けない訳にいかないのである。娘に苦労をさせたいと思う親もいない。

 だが、魔力の発現が認められれば協会に登録をするのは義務とされている。

 ミーエリエの場合ははっきりとしたものではなく、魔術師に見てもらうことが必要だが、本当に魔力であれば隠しおおせるものではない。放っておいたところで、必ず協会から迎えがくると言われる。

 実際にはそれは迷信のようなもので、ささやかな魔力の持ち主まで協会が常に監視していることはなかったが、一般的にはそういうものと信じられていた。

 翌朝、クレスは当のミーエリエと、何故かマイサリエとも一緒になって町にある小さな協会を訪れた。訪問の目的を聞いた協会の魔術師は、アルンとミーエリエを半日預かると言って彼らを帰してしまった。

 姉はその対応に憤慨したが、兄の方は魔術師のことは魔術師に任せるのがいちばんであると知って、マイサリエを諫めると館に戻った。

 隊商で時間を潰してもよかったが、早く父に話しておきたいことがあったのだ。

「――父さん。いま、お時間いいですか」

 丁寧に言えば、ウォルカスは筆を置いて、かまわないと言ってくれた。

「ミーエリエは?」

「少し時間がかかるそうです。あとでまた迎えに行ってきます」

「すまないな」

「いえ。何か、できることをやっておきたくて。送り迎えなんて、大したことじゃないですけど」

「……クレス?」

 父は戸惑った顔を見せた。

「本当は昨日、話すつもりでいました。でも夜会だ何だということになって、タイミングを逃してしまって」

 言い訳をするように、彼は前置きをした。ウォルカスは真面目な顔で息子を見た。

 クレスが何を言おうとしているか、その父は気付いているはずだった。

「俺、行きます」

 短く、彼は言った。少し沈黙が降りた。

 そうか、とウォルカスは嘆息した。

「きっとそう言うのではないかと思っていた。妹たちのどちらも、お前に迷惑をかけたからな」

「違います、そうじゃない」

 慌ててクレスは手を振った。

「妹がいるなんて、すごく嬉しかった。マイサリエには困ったけど、いまは普通に話せているし、一緒にいればそれなりに仲良くやれると思います。ミーエリエのことも、俺を驚かせたのはアルンであって彼女じゃないし、魔術師なんだとしても、それを嫌がるとかいうことはありません」

 正直なところを言った。

「でも俺は、リンと離れないことにしたんです」

 クレスがミーエリエを誘拐するなど有り得ないと信じてくれた。どう見たってクレスが悪いと思われそうな状況でも、見まごうことなく、彼を助ける方向に動いてくれた。

 馬鹿な判断だ、とリンは言うだろう。自分の信頼など、クレスの将来には何の役にも立たないのに、などと言うだろう。

 だが信じてくれた。嬉しかったのだ。

 二年半の歳月があるからだ、とリンは言うだろう。本当の家族と一年も過ごせばそれ以上の信頼を得るはずだ、などと言うだろう。

 だが、いま、信じてくれた。それが嬉しかったのだ。

「身寄りなんてないと思ってた俺に、父さんと母さんがいた。妹がふたりもいた。俺はそれだけで、十二分に幸せなんだ。いきなり現れてすぐ去るなんて、勝手だと言われても仕方がないけれど……」

 ラッシアに告げることを思うと、心が痛む。泣かせてしまいそうな気がした。だが母には父がいて、娘たちがいる。

 リンにだって隊商の仲間はいるのだし、彼女は泣かないだろうが――いずれ彼女と離れるとしても、いまではないと思った。

「いますぐ町を離れると言うんじゃない。リンの用事があるから、一日二日は滞在します。わがままを聞いてもらえるなら、その間は、ここにいさせてください」

「一日二日……か」

 ウォルカスはまた息を吐いた。

「短いな」

「……すみません」

「いや、お前が謝ることではない。家族は……」

 少し考えるようにしてから、父は続けた。

「家族は、家族だ。この世界のどこにいようと、お前は私たちの息子。だが友は、離れてしまえば絆は薄まってしまうこともある。お前の選択は残念だが、立派なものだと称えたい」

 そんなふうに言われると、赤面する思いだった。自分では、勝手な言い草だとしか、思えないのに。

「ラッシアには、まず私から話そう。彼女もお前がその選択をすることを気づいていたとは思うが、いきなりお前が話せば泣いてしまうだろうからな」

 父はそう言い、夕飯のあとにでも母と話せるよう取り計らってくれると言った。

 それからクレスは、どこか足が重いような、同時に心がすっきりしたような、複雑な心情で隊商に向かった。

 リンに罵倒される覚悟を決めなければならない。

「――冗談じゃない!」

 しかし、そう叫ばれたのはクレスではなかった。

 それはまだクレスが隊商の天幕から五ラクト以上離れた場所にいたときである。憤然とした怒鳴り声は、そこまで響いてきた。

「いまの……」

 リンの声だった。間違いない。

 ぱっと駆け出したクレスは、オンキットを見つけると声をかけた。

「あら、クレス」

「何ごとなんだ?」

「パルウォンよ」

「それは判ってるよ」

「カルダーと言い合ってる」

「言い合ってるだって?」

 意外な話だった。あの物静かそうな男がリンを怒らせるとは。クレスは目を見開く。

「ジャルディは?」

「別に掴み合って喧嘩してる訳じゃないもの。大丈夫よ。みんなこっそり、面白そうに見てる。ほら」

 オンキットが指した方角を見れば、確かに戦士と地図師が、現場をのぞき込んでいるようだ。

「でもそのようなお約束はしなかったはずですよ、リン殿」

 カルダーの声がしたが、相変わらず力強いとは言えない声である。

「あなたの言う『効用』が確認されたら、少しの間、私にお貸しいただけると」

「私が旅の人間であることは、ご承知だろう。貸し出せるのはせいぜい二、三日だ。だいたい、花瓶を見るのにどれだけ時間をかける気でいる!?」

「ですから」

 ひょいとクレスはのぞき込んだ。やはりカルダーは、声音通りの困った顔をしていた。

、と」

「冗談じゃない」

 リンはまた言った。

「半年も、この花瓶で何をする気だ。自宅に飾りたいと言うんだったら、改めて経費だけで売ってやってもいいが」

「こんな立派な花瓶を飾るような部屋はないです。貸し賃を請求されるのでしたら、払える限り払いますが」

「そういう問題じゃない。数日だけだ。どんなに長くしても、一旬」

「一旬だと都合がつかないんです」

「何の都合?」

 そこでクレスが口を挟んだ。カルダーは彼を認めると軽く頭を下げ、リンはじろっと睨む。

「リン、もう少しカルダーの話を聞いたら?」

「言われなくても、聞くところだ」

 どうやら花は――おかしな言い方だが――無事に枯れたらしい。だからこそ、花瓶の処遇について言い合っているようだった。

「確認したいのです」

 カルダーは言った。

「あの花瓶は、私が以前に話を聞いたものと、対かもしれない」

「対?」

 そこでリンは勢いを落とした。

「ええ。耳にしたことがあるのです。夜に花を活けると、逆にとても長持ちをするという花瓶の話」

「何だって?」

 リンの目の色が変わった。

「そんなものが、あるのか」

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