11 まじで言ってんのか

「幸せ、ねえ」

 ホー=ダンが呟く。

「あんまし、性質たちのいい幸せって感じはしないけどな」

「幸福なんてものは人それぞれだ。だが少なくとも、一般的なものとは言えなさそうだ」

 リンは肩をすくめた。

「さて、ミーエリエ嬢をぬいぐるみ依存症に仕立て上げ、一生、働くことも家庭を仕切ることもないまま、ぬくぬくと父親、そして兄の庇護下に置かせて得をするのは誰か? この場合、それはミーエリエ本人ではない」

「それがアルン、ですか?」

 躊躇いがちに言ったのはカルダーだ。

「彼の言葉を聞く者に、そのままずっと世話をさせる」

「おいおい、ぬいぐるみの話だろ?」

「話をするぬいぐるみ、だ」

 リンが訂正した。

「まじで言ってんのか、隊商主。この女の言うことを信じてんのか?」

 地図師は呆れ顔で言ったが、マイサリエは疑われも仕方ないと思ったのか、ホー=ダンを睨むこともしないで黙っていた。

「それとも、あれか。その兎も、あんたの好きな類」

「いや」

 しかし商人は首を振った。

「私の食指が動かないから魔術の品だろう」

 何とも根拠のかけらすらない発言だが妙な説得力があるな、と隊商組は思った。

「ところで、ミーエリエ。先ほどから、アルンの反応は?」

「黙っちゃった。お水かかってから、一言も口を利かない」

「聖水に効果があったと見るべきか、単に黙っていると見るべきかは判らないが……ホー=ダン」

 リンは彼を呼んで、ぬいぐるみを指した。

「俺が持つのか?」

 嫌そうに地図師は顔をしかめた。

「これまでの話によれば、ぬいぐるみが動き出して襲いかかってくるようなことはない。だがミーエリエから離しておくことは必要だ」

「判ったよ」

 ホー=ダンは肩をすくめると、濡れた兎の耳をつまみ上げた。

「アルンに酷いことしないでね」

「まあ、特に何をするつもりもない」

 兎の持ち主に彼はそう答えた。

「無生物に意志のようなものを持たせる術があるものかは知らないが、ことによると、マイサリエ」

 リンはそちらに視線を合わせる。

「妹を魔術師協会リート・ディルに連れていった方がいいかもしれない」

「魔術師協会ですって?」

 マイサリエは目をしばたたいた。

「ぬいぐるみを見せるんですか?」

その通りアレイス。だが、それだけではない」

 リンはミーエリエを見た。

「誰にも聞こえない声を聞く。彼女には魔術師の素養があるのかもしれない」

「魔術師」

 今度はミーエリエがまばたきをした。

「ぬいぐるみの方で、そのお嬢さんをあるじに定めたということかもしれませんよ」

 カルダーが口を挟んだ。

「だとすれば、特殊なのはぬいぐるみだけであって、お嬢さんに魔力はないということになる」

「その可能性もあるな」

 成程とリンはうなずいた。

「どちらにせよ、協会には行ってみるといい。親御さんの許可も必要かもしれないが……いや、成人しているんだったな」

「魔術師協会……」

 姉妹は顔を見合わせた。

「ミーエ、魔法使いなの?」

「判らないわ。でも、そんな……協会なんて行ったことがないわ。……怖い」

「俺が一緒に行くよ」

 クレスは言った。

「大丈夫。魔術師っていうのは、世の中で言われてるみたいに忌まわしくなんかないし、不気味な人たちばかりでもないんだ。協会のことは俺も詳しくないけど、一緒に行って一緒に話を聞くことはできるから」

 妹が魔術師であるのかどうか、いまは判らない。だがクレスは、魔術師に偏見などなかった。彼が初めて交流を持った魔術師が「忌まわしい」という感じの人物ではなかったからかもしれない。

「それはいい案だ」

 リンが指を弾いた。

「今日はもう遅い。明日の朝いちばんにでも行くといい」

「ご両親には、あらかじめ知らせた方がいいだろうな」

 そんな助言をしてきたのは、年嵩のターキンだった。

「ただし、もし反対されても、協会へは行った方がいい」

「閣下」

 少し意外そうに、リンはターキンを見た。

「いまのお話を信じていただけるのですか?」

「事情も判ったとは言えぬし、理解したつもりで的を外していることもあるだろう。しかし、私よりも事情を知る君たちが出した結論に何が何でも反論するほど、魔術嫌いな訳でもない」

 「魔術を好まない」という程度の段階ではあるが、「毛嫌いする」ほどではないということだろう。

「思わぬ会合になったようだ。だが、複数の事柄が進展したようで、それに悪い点はなさそうだな」

 伯爵は手を軽く打ち合わせた。

「クレスと言ったな」

「は、はい」

 慌ててクレスはターキンに相向かったが、どうしていいか判らなくて、とりあえず頭を下げた。

「せっかくの服が台無しだな。私のものを貸そう」

「うえっ」

 思わず奇妙な声が出る。

「だ、大丈夫です、偉い人のものを借りるなんてそんな」

「偉かろうが偉くなかろうが、服に大事なのは寸法だけだ」

 そう言って伯爵は笑った。

「私のものでは気が引けると言うのならば、使用人のものでも貸そう。聖水で風邪を引いたら、魔物だと思われるぞ」

 それが伯爵の冗談であるのかどうかよく判らなかったが、クレスは礼を言って気遣いを受けることにした。

「お嬢さん方と君」

 姉妹とホー=ダンのことであるようだ。

「少し、ここで待つといい」

 ターキンはクレスを手招き、リンに腕をさしだした。

「リンドン嬢、それからカルダー殿。約束を果たそう」

 クレスの着替えを済ませて、それから花瓶だと伯爵は言い、リンは優雅な礼をしてその手を取った。

 ホー=ダンは肩をすくめて言ってこいと手を振り、クレスは何となくカルダーと目を見合わせて、ふたりで苦笑いのようなものを浮かべた。

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