08 馬鹿な真似を

「待っ……ちょ……待ってって」

 妹だ。

 とは言え、会って三日だ。

 「兄だから」「妹だから」と倫理的、或いは生理的に拒絶するには、兄妹として培ったものがなさすぎる。

(そうだ、たった三日)

(妹だなんて……理屈で思うだけ)

 頭がぼうっとなるようだった。

 彼の口づけの経験と言えば、幼い頃、春女にふざけてされたものや、クレスには少し強制的勉強が必要だとジャルディに騙されて、とある、それこそお姉様に奪われてしまったりとか、そんなのばかりだ。

 自分から好いた子にキスをしたのはただ一度だけ。結果は、見事に振られた。

 だが、数――いや、種類少ない体験のなかで、いまのは極上だった。

 やわらかくて温かくて、ほんのり甘い香水と、それから女の子の匂いがする。

「クレス」

 二度目の口づけがやってきた。ミーエリエは、まるで自分がアルンであるかのように、クレスの膝に乗ってくる。足を開いて彼の上にまたがると、手探りで彼の手を取った。そのままそれを自身の未成熟な乳房に持っていく。

(やわらかい)

 慌てるより焦るより避けるより、まずそんな感想が浮かんだ。

(妹)

(三日)

(ミーエリエは何て言った?)

 クレスが好きだと。

 いや、その前に。

「アルン……」

 発したクレスの声はかすれた。

「ミーエ、君、アルンが言ったからって」

「そうよ」

 少女はうなずき、彼の耳に囁いた。吐息がかかり、ぞくりとする。

「アルンが教えてくれるの。クレスにこうしてあげなさいって。そうしたら喜んで、ミーエを可愛がってくれるからって」

 ぬいぐるみが? そんな馬鹿な。有り得ないではないか。

 クレスは混乱した。

 では、それが有り得なければ?

 これは間違いなくミーエリエの望むことだということになる。彼女が望むなら、兄とか妹とか、そんなことは関係ない――。

(関係あるだろ、どう考えても!)

 クレスはぶんぶんと首を振った。

 それは彼の自制心だとか言うより、生来の性格であったろうか。こうしたことを好機だとは思わなかったり、衝動的に行動する前に一旦考えることが多い。また、同世代の子供たちと過ごさなかったためもあるのか、男女間の――いわゆる「ともに暁星ロウィルを眺める関係」への興味や衝動に薄いところもあったかもしれない。とにかくクレスは、そのまま理性を失うことはなかった。

「ミーエ。待った。ちょっと話を」

 クレスは何だかおかしいと気づき、ミーエリエの胸から手を放した。

「待たない」

 妹はまた言った。かと思うと、たどたどしく肩ひもを外し、上半身を露わにしようとした。

「な、何してるんだ、やめろって」

 クレスはミーエリエの手首を掴んで、それ以上の行動をやめさせようとした。

 そのタイミングで扉が開くのは――もはや、彼の宿命と言わざるを得ないかもしれない。

「な、何をしてるの、やめなさい!」

 耳に届いた悲鳴のような声はほかでもない、マイサリエのものだった。

 この状態がどう見えるものか、クレスも理解せざるを得なかった。

 ふたりの態勢は、まるでクレスが嫌がるミーエリエを押さえつけているかのようである。

 はだけられる寸前の娘の上衣。どこからどう見たって、クレスがミーエリエを襲っている。

「ちっ、ちが、これは、違うっ」

 泡を食ってクレスはミーエリエから手を放し、そして叫んだ。

 血の気が一気に引くのは、開いた扉から入ってきたのがマイサリエだけではなかったからだ。

 ホー=ダン、ターキン伯爵、カルダー、それから、リン。

 リンの目にだって、クレスが理性をぶっ飛ばしたとしか見えないのではないか。

「――クレス」

 低い声で、リンは彼を呼んだ。

「リ、リン、これは、俺は、いや、だから」

 クレスは頭のなかを真っ白にしながら、言い訳を探した。だがそれを聞くより早く、リンは手にしていた玻璃の杯のようなものを握り直すと彼に近寄り、その中身をクレスに向かってぶちまけた。

 完全にかかったと言うのではないが、顔が冷たい。しずくが髪をしたたり落ちた。

「馬鹿な真似をしてくれたな」

 リンドン・パルウォンは、厳しくそう言った。

 その言葉に、クレスは胸が締め付けられるかと思った。

 確かに、この状況ではそう見られても仕方ない。だが、クレスの言葉を聞きもせずにリンが彼を糾弾する、そのことがあまりにも――。

「私はちゃんと言っただろう、魔女リーエを名に持つ女には気をつけろと」

 だが、言葉はそう続いた。

「え」

「何のための忠告だ。お前は私の言うことを信用していないのか」

 ふん、とリンは唇を歪めた。

「え、それじゃ……」

「お前が妹に乱暴など働けるはずもないだろう」

 犬が舞踏に長けているはずはない、とでもいうような調子で、彼の友人はまたも言うのだった。

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