07 こうしなさいって

「静かなところ、ねえ」

 クレスは辺りを見回した。広間のどこにも、静かな場所などはなさそうだ。

「少し外に出ようか?」

「あっちがいい」

 ぴょんと少女は椅子から飛び降りるように立ち上がると、広間の奥の方へと歩き出す。

「あ、ミーエ」

 どこへ行くつもりなのか、慌ててクレスはあとを追った。

「外は反対側だよ」

「いいの」

「よくないだろう、ここは人んち……って言い方もあれだよな、伯爵閣下の館なんだから」

「だから、お部屋ならいっぱいあるし、気分の悪くなった人は休ませてもらえるよ」

「……そういうもの?」

「うん」

 クレスはもちろん、こんな会に出たことはなかった。ミーエリエも初めてかと思っていたのだが、そうでもなかったのだろうか。前にも人いきれに疲れて休ませてもらったことがあると、彼女はそう言っているように聞こえた。

 酔いはじめた人々の間を少女と兎はするすると抜けて行き、クレスはわたわたと続いた。使用人が出入りしている扉に近づくと、ミーエリエは躊躇なくそれをくぐる。やはり、クレスは続くしかない。

 ぱたん、と後ろ手で扉を閉めれば、喧噪がやわらいだ。

 彼もほっとひと息をつく。疲れたという気分にはなっていなかったものの、大きな音のなかにいるのはそれだけで体力を使うものだ。

「誰かに案内を頼めばいいのかな?……あ、ミーエリエ」

「こっち」

 戸惑うクレスを尻目に、妹はすたすたと歩く。

「ここかな? 違った。あっち。……うん、ここ」

 ミーエリエは小さな部屋を見つけると入り込んだ。本当にいいのだろうかとクレスはきょろきょろしながら、結局は妹についていくことになる。

 そこは確かに「少し休む」ことを目的としている部屋に見えた。

 広さはないが、長椅子が二脚、低い卓を挟んで置かれている。脇にある棚の上には香り水や香り茶といった酒分のないものが用意されており、酔いを覚ませるようにと考えられているようだ。

「何か飲む?」

「要らない」

 ミーエリエは長椅子のひとつに座り込んで首を振った。

「クレス、ここ、ここ」

 それから彼女は、ぽんぽんと隣を叩いた。普通なら向かいに座るところだが、誘われては仕方ない。

 これが妹でなければ躊躇うところだが、妹なのだし、それも、どうにも幼い。女性と隣り合わせで座って緊張する、ということにはなりそうもなかった。クレスは苦笑混じりに、ミーエリエの右隣に腰かける。

「アルンはここね」

 少女は友人ならぬ友兎を自分の膝に座らせた。

「ねえ、クレス」

「何?」

「あのね、ミーエの話、聞いてくれる?」

「聞くよ」

「ミーエね、クレスのこと好きよ」

 一瞬どきっとするも、兄としてという意味に決まっている。マイサリエが最初に取ったように「金目当てで現れた嫌な男」だとは思っていない、ということを明確に現したのだろう。

「有難う」

 素直に礼を言うことにした。

「クレスは?」

「俺も好きだよ」

 少し照れたが、本当だ。妹がいて嬉しいし、どうにも心配な言動をする娘ではあるが、マイサリエのように棘を出してきたこともないし、ミーエリエを好きだと言うのに抵抗はない。

 マイサリエに断じて言えないというのではないが、言えば「私は嫌いよ」とでも返ってきそうだと思った。

「よかった」

 ミーエリエは膝の上からアルンを脇によけた。

 かと思うと、少女はその白い腕を彼の方に伸ばした。そのまま腕を彼の腰に絡ませ――抱きついてくる。

「クレス」

「ちょ」

 これには兄は慌てた。いくら子供っぽいとは言っても、黙って座っていれば男に声をかけられるだけの美少女であり、成人した娘である。五歳くらいの子供のように、いい子いい子と頭を撫でる雰囲気ではない。

「ちょっと待った、ミーエ」

「――待たない」

 声がわずかに、低くなった。

「昨夜は、マイサリエに気づかれて、とめられた。やめなさいと。でも、アルンがね、言うのよ」

 ミーエリエは育ちつつある胸をクレスに押しつけるようにしながら続けた。

「アルンが、クレスにこうしなさいって」

 少女の手が、すうっとクレスの背中を上ってきた。

「な、なな、何」

 クレスは目を白黒させる。

「アルンが……何だって?」

「だから」

 上りきった右手がクレスの後頭部を押さえる。かと思うと、薄化粧を施した美しい少女の顔が近づき、淡く紅色に塗られた薄い唇が、合わされた。

「ミッ、ミーエリ」

 焦った兄はすぐさま顔を離そうとするものの、少女はしがみつくようにして彼を放さない。

「クレス……好き」

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