03 カルダー

 人波をくぐり抜けたリンは、目的の卓まで近寄ると男に声をかけた。

「――カルダー殿セル・カルダー?」

 呼ばれた男は、飛び上がらんばかりにびくっとした。黒に近い色の髪は、こうした場に相応しいようにと櫛さえ入れたようだが襟足は伸びて跳ねており、普段から気遣っているという感じはしなかった。

「は、はいっ?」

「お初にお目にかかります、わたくしはリンドン・パルウォンと申します。ターキン閣下から貴方のお話を伺いましたが、貴方の方でもわたくしの話をお聞きになっているのでは?」

「ええ? ああ、ええ、はい、ええと」

 カルダーは、初対面の人間に話しかけられて驚いただけではなく、彼女のほのめかした内容と、それから美しい――最低でも「美しく着飾った」――女性が突然現れたというので泡を食っているようだった。

「セル・パルウォンですか。はい、伺っています、確かに」

 黒っぽい目をぱちぱちさせて、男は答えた。

「座ってもよろしいでしょうか」

「え、こ、ここにですか」

「お連れ様がいらっしゃる?」

「ええと、その」

 答えを迷うようなことではないはずだが、カルダーは誰かを探すように人々を見やった。そこに何を見つけたかったのだとしても彼はそれを見つけられなかったようで、やはり目をぱちぱちとさせながら、どうぞお座り下さいと答えた。

 リンは会釈をして、ふたり用と見える小さな卓を挟んでカルダーの前に腰かけた。

「カルダー殿。お聞き及びとは思いますが、私は商人です」

 リンは、とてもそうは思えないドレス姿で言った。

「私は件の花瓶を自らの商いに必要なものと考え、閣下にお話を申し入れているところです」

 既に相手が知っていることだとしても、誤解のないようにと考え、リンは簡潔にして不足のない説明をした。

「しかし一方で、私は貴方があの品を求める理由を知らない」

「私があれを欲しがる理由をお知りになりたいということですか」

 カルダーは確認するように尋ねた。リンはうなずく。

「競りをはじめることは私の本意ではなく、おそらく貴方も望まないでしょう。何らかの妥協点が見いだせるのならば、それがいいと考えています。そのためには、貴方の動機をうかがっておきたい」

 実際、それは彼女の気になっていたことだった。どうして、あんなものを欲しがる人間が自分以外にいるものか、と思っていたのだ。

「私の動機は……」

 カルダーの視線が、またさまよった。

 リンは気にかかったが、彼が何かごまかそうとするものか、誰か探そうとしているものか、それもまた判らない。

「その」

 探しものを諦めたのか覚悟を決めたのか、カルダーはリンに視線を向けた。少し顔を赤らめる様子は、女性と話し慣れていないという雰囲気を思わせた。

 気の毒だったな、などと彼女は思う。いつもの格好であれば女性が苦手であってもあまり気にせずに話すことができただろうに、よりによってこのときとは、と。

「ココラールという占い師ルクリードが……いまして」

「占い師?」

 思いがけない一語だった。リンは目をしばたたき、それから考える。

「ココラール。聞いたことがあります。中心部クェンナルで活躍する、美貌の女占い師だとか」

「そんなに有名なんですか」

 名前を出したカルダーの方が驚いたようだった。

「占い師から何か託宣を受けたのですか?」

「いえ、いや、ええ」

「……どっちなんですか」

「その、受けたような、受けていないような」

 男は困ったように、答えにならないことを言った。だがリンはかすかにうなずく。

「占い師という類は、雰囲気ばかりのある曖昧な言葉を連ねて、さも崇高な予言であるように振る舞うことがありますね。ココラールは本物として高名ですが、解釈のし難い言葉をもらったということですか」

「ええ、まあ、そんなところです」

 助け船を出されて、カルダーはほっとしたようにうなずいた。どうにもはっきりしない男だ、とリンは唇を歪める。

「いったいどのような予言を受けたら、夜に活けた花の枯れる花瓶を手に入れようという気持ちになるのか判らないのですが」

「そうですよね」

「いえ、同意を求めたのではなく、どういう予言をもらったのか教えてくださいと言ったんです」

 わざと曖昧にしているのか、それとも会話が苦手なのか、カルダーがどちらなのかは判らない。おそらくは後者のような気がしたが、ごまかしも誤解も起きないように、リンははっきり尋ねた。

「それは」

 と、カルダーは目をしばたたく。

「ええと」

「教えていただけない、と」

「いや、その、判らなくて」

「解釈のお手伝いくらいならできると思いますよ」

 彼女は再度言って押したが、男はもごもごと「判らない」というようなことを繰り返すだけだった。

(何なんだ、こいつは)

 リンは内心で首をひねった。

(本当に予言をもらったのか?)

 嘘にしてはあまり意味がない。

 カルダーは、ココラールが有名な占い師だと知らなかったようである。つまり、予言をもらって行動しているのだという台詞が説得力を生むとは思っていなかったのだ。なのにわざわざココラールの予言などと言ったということは、本当に何か言われたのだと考えるのが自然だろう。

 となると、予言の言葉そのものを話さないのは、知られたくない事柄でも含まれているという辺りだろうか。

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