第4章・最終章
01 夜会
歩けば数
必要のない緊張をしながらターキン伯爵の館にたどり着き、最初にクレスが感じたのは、「どこが気楽な会なのか」という呆然とした思いだった。
誰も彼もめかし込み、澄まし顔で、飾り街灯の設置された前庭を貴族然として歩いていく。
(夜会)
(そうだよな、伯爵様の主催する会なんだ)
だがそんなところで気後れをしていたのは、実のところは彼だけだった。参加者たちは、こうした「貴族ごっこ」を祭りのように楽しんでおり、何も緊張などしていない。
ウォルカスが言ったように、ターキン伯爵は細かい儀礼をちっとも気にしない人物だった。
クレスも思ったことだが、旅の女商人と町で酒を飲むなど、貴族としては型破りだ。普通は面会を申し込んだところで追い払われて終わるか、叶うとしても、ただ「会う」だけのことにとてつもなく時間がかかるものである。
伯爵自らがリンを誘ったり、クレスでも大丈夫だと言われたりするのは、本当に、伯爵には堅苦しいところがないからだった。
しかし、それはあくまでも貴族や、基本的な礼儀作法を備えた人間の基準であり、クレスのような特殊な生い立ちの庶民には、贅沢できらびやかな別世界の出来事に見えた。
「きょろきょろしないで。みっともない」
マイサリエがきゅっとクレスの腕を掴んだ。
クレスと一緒に、というのは、マイサリエにはふたつの点で笑えない話だったろう。
ひとつには、クレスが彼女の「悪戯」の対象であったこと。
もうひとつには、彼が「作法としての礼儀」などろくに知るはずもないということ。
一緒にいれば気まずく、一緒に行けば気恥ずかしくなるに決まりきっているのだ。
しかしマイサリエは拒否しなかった。
夜会に出たいという思いもあれば、父の怒りを本気で買ってしまっては
だがその代わりと言うのか、彼女には絶大なる理由が存在した。
リンもくるのだと知ったからこそ、マイサリエは拒否するどころかふたつ返事でこの件を了承したのである。
「腕を出して。……そうじゃないわよ、馬鹿ね。こうするの」
疑問符と共に片腕を差し出したクレスは、そうではなく腕を組めるようにしろという意味だ、と位置を直された。
口調にいささか刺はあるが、いまさら「いやですわ、お兄様。こうしますのよ」などとやるのはマイサリエも無理なのだろう。もっともクレスだって、そんな調子でやられたら却って目を白黒させてしまう。
「ミーエも、ミーエも」
左側にマイサリエが立てば、右腕にはミーエリエが張り付いた。妹とは言え、まさしく両手に花という状態になった若者は、嬉しいような照れくさいような思いだった。
クレスとマイサリエ、クレスとミーエリエは、それぞれ大して「似ている」という感じがしない。だが彼を中心にして三人が並ぶと、不思議と似通って見えた。アクラス家の事情に詳しい者は驚き、詳しくない者は、ただ兄妹だなと思ったようだった。
宴の会場となる広間には、彼が思っていた以上に人数がいた。
最大で数十名かと考えていたが、既に五十名はいるだろうか。まだ未着の人間もいそうであり、参加者はもっと増えるはずだ。
「多いんだね」
「え?」
「人が多いね、って」
「ああ、そうね。ひとつところにこんなに人が集まるなんて、あまりないものね」
祭りのときなど、大きな街なら広場に数百人は平気で集まる。だが、当たり前ながら、広場というのは広間より広いものだ。まるで、狭い市場のいちばん煩雑な時間帯さながらに、人々が――それも着飾った人々が密集している様というのはいささか奇妙に、そして少し滑稽に思えた。
早くも酒などの飲み物が配られており、人々は談笑しながら、開始の知らせを待っていた。積極的なマイサリエの積極的な友人が話しかけてきて、クレスが何者なのかを聞き出していった。少女たちは典型的な
そんな様子を見ていると、確かに「気軽な会」だと思えてきた。何となく緊張をしていたクレスも次第に気分を緩める。
そうして十数
その瞬間、クレスは吹き出すかと思った。
と言うのも、伯爵の隣にいるのが、昨日とはまた異なる衣装を身につけたリンであったからだ。
女商人は控えめな笑みを浮かべていたが、内心ではものすごく苦々しく思っていること、クレスにはよく伝わった。
「リンお姉様……」
隣でマイサリエがうっとりとしていた。
「きれい」
それには、しかし同意せざるを得ない。
リンの顔つきはきついと思わせるところもあるが、つまりは化粧を施さなくても印象的な顔立ちであると言うこともできる。それが、昨日よりも気合いの入ったオンキットの手によって「塗りたくられ」、結い上げた髪にきらきら光る青い飾り玉までつけられている。
今夜のリンの姿は、本当に「姫君」と言っても過言ではなさそうだった。
彼女の瞳と同じ色をした濃い青のドレスにはあまり飾り気がなく、彼女らしいと思わせた。おそらく、選んだのはオンキットなのだろう。
太股まで見える長い切れ目は、豊満な女性であればあまりにも色気が出過ぎるだろうが、痩せているリンだからこそ嫌味のない感じがした。口の悪い者であれば「貧相だ」と言うかもしれないが、ほどよい均衡が取れていると言えただろう。
もっとも、クレスは少しどきどきした。
それは、彼がリンに色気を感じたと言うのではなく、伯爵がその気になったらどうするつもりなんだ、という心配であったが。
もてなし役たるターキンは、人々が集まったことへの礼を言い、ターキンの町の繁栄を願うというような簡単な挨拶をして、宴のはじまりを告げた。クレスからは見えない位置にいた楽団が演奏を開始して、人々は舞踏に移ったり、お喋りに戻ったり、供されだした料理に向かったり、それぞれ時間を楽しみはじめた。
「行くわよ、クレス」
「ど、どこに」
「お姉様のところに決まっているでしょう」
言う間にマイサリエはクレスを引っ張っている。ミーエリエは、好きに取ることのできるようきれいに並べられた食事卓の方に小走りに去っていった。
クレスは少し迷ったが、伯爵の館で誘拐もないだろうと考えた。第一、誘拐事件などはなかったのだ。
そう思った彼は、マイサリエに引きずられるまま、奥へと進んだ。
見れば、伯爵の隣の女性は何者かと、数名の男がリンの方に向かっているところだった。
そのリンにさっと手を差し出したのはターキン伯爵でもなければ、いち早くたどり着いた見知らぬ男でもなく、知った顔であった。
クレス並みに「化けた」ホー=ダンである。
わずかに光沢のある濃灰の衣服に、整えた頭、それに澄まし顔。今宵の護衛は、地図師のようだ。
ジャルディではごつすぎるという判断によったのかもしれないが、彼を目にしたクレスは今度こそ吹き出した。
「リン! ホー=ダン!」
人並みをかき分けて――室内でそんなことをする必要があろうとは!――クレスが手を上げれば、ふたりはすぐに気づいた。好奇心旺盛だった雄猫たちも、知人の登場に語らいを邪魔する節操なしではなかったようで、すっと身を引く。或いは、とりあえず名前は判ったというので引っ込んだのかもしれない。
幸いにしてと言うのか、伯爵も客への挨拶に忙しく、彼らに注意を払っていないようだった。
「きたのか」
「きたよ」
「珍しい格好だな」
「そっちこそ」
男たちはにやにや笑いを浮かべながら、互いの服装を茶化した。
「お姉様、とてもきれいです」
真顔でマイサリエは言い、リンは肩をすくめた。
「この状況に応じて仕方なくやっているだけだ」
そう答えてから、少しだけ笑う。
「たまには悪くないとも、思うが」
その感想はクレスにとって、いささか意外だった。
(昨夜は、嫌でたまらないという感じだったのに)
クレスにはその心理がよく判らなかった。
「ところで」
そんな彼の戸惑いなど知る由もなく、リンは言った。
「噂の競争相手だが、この夜会にきているらしい」
声をひそめると、彼女は唇を歪めた。それはクレスにとって見慣れているはずの表情なのだが、化粧をした顔との組み合わせにはどうにも違和感があった。
「わざわざ私に知らせてきたということは、閣下は商売の駆け引きを楽しむおつもりのようだな」
リンと「競争相手」がどんな手法を取ってくるか見てみようと考えている、ということだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます