08 今宵は、まだ

 結論から言えば、それはマイサリエの悪戯――ということになったらしかった。

 父と長女の間でどのような語らいがあったのか、ウォルカスはクレスにそう告げたのだ。

「度が過ぎる」

 苦々しい声音で、ウォルカスは言った。

「甘やかしすぎたのだろうか」

 父はクレスに尋ねた訳ではなかったし、仮に尋ねられたとしても「そう思います」などとは言えるはずもない。息子は黙っていた。

「謝罪の言葉をいくら連ねても足りないように思う。だが謝らせてくれ。本当にすまなかった、クレス」

「いや、俺は別に」

 クレスは手を振った。

「あの時点で父さんが、もしかして俺がやったのかもと思うのは、当然です。それどころか、殴り飛ばされ、蹴り出されてもおかしくない状況だったと思う。なのに、あとで話そうと言ってくれた。感謝してます」

 上辺だけの台詞ではない。心から思うことを話した。

 少しだけ落胆を覚えたことは本当だが、ウォルカスは可能な限り彼を公正に扱ってくれたと思うこともまた、本当なのだ。

「マイサリエも心から反省していると言っている。許してやってくれなどと言える立場ではないが……」

「大ごとにならなかったんだから、いいですよ、別に」

 彼には、もう済んだことだと感じられていた。

 もっとも、マイサリエは「心から反省した」と言うより、リンに嫌われたくないだけなのだろう。それは判っていることだが、それならばそれでいい、とクレスは一種、鷹揚に考えた。

(ターキン伯爵みたいに「若い女なら誰でもいい」んじゃなくて、ほかでもないリンに一目惚れ、なんだもんな)

(何て言うか、その方が好感が持てるような)

 当のリンが聞けば「意味の通らない理屈だ」とでも評するだろうが、リンの前でそんなことを言うつもりはない。

「ただ、気にかかることがある」

 ウォルカスは渋面のままで言った。

「マイサリエは、狂言誘拐というような脚本を自分が考えたのではないと言っていた。知人に助言を受けたのだと」

「知人?」

「そのような悪知恵をつける知人とは誰なのかと尋ねたが、答えなかった。何か思い当たる人物はいないか」

「いえ、誰も」

 正直にクレスは答えた。

「そうであろうな」

 ウォルカスは息を吐く。

 出会って二日、それも打ち解けたにはほど遠いクレスが、父親よりも彼女の交友関係に詳しいはずもない。ウォルカス自身、クレスに心当たりがあるなどと考えた訳ではなく、念のために尋ねてみたという風情だった。

「やはり、言い訳なのだろうか。そうであれば、本当に心から反省しているとは言えなさそうだ」

 ふう、とウォルカスは大きなため息をついた。

「何か罰を与えないといかんな」

 真剣な顔で父親は両腕を組んだ。

「今夜は伯爵家の夜会を訪れるはずだったが、謹慎を命じるとするかな」

「夜会? 伯爵家ですって?」

 クレスは目を見開いた。

「ああ。大きな会ではなく、貴族ではない娘も参列することができる。楽しみにしていたようだったが」

 厳しくするか、などとウォルカスは呟いた。

 今夜、ターキン伯爵家で夜会があると言うのか。

 ならば、リンが案内される先は、伯爵家ということになる。

 もちろんと言おうか、彼が気になったのは妹への罰云々よりそこだった。

「あ、あの」

 深く考えるより早く、クレスは声を出していた。

「その夜会とかって、いきなり行って入れる……もんじゃ、ないですよね。当たり前だ」

 言いながら、彼は馬鹿みたいなことを尋ねたなと思った。

 友人宅の宴会でもないのだから、ふらりと訪れて歓迎されるはずはない。

「行ってみたいのか?」

「いや、その、『夜会』に行ってみたい訳じゃないんですけど」

 大まかに話をした。「不思議な花瓶」の辺りは曖昧にし、リンが誘われていてちょっと心配しているのだというようなことを。

 そうか、とウォルカスは呟き、少し黙った。

「では、お前がマイサリエと一緒に出てやってくれるか」

「え?」

「あの娘の行動で迷惑を被ったお前の役に立つなら、マイサリエへの罰は違う形にし、この夜会をお前たち兄妹の仲直りの場に使うというのは、どうだ」

「え?」

 クレスは繰り返して、目をしばたたいた。

 非常に好都合な話と言える。

 だが。

「お、俺、そんなものに出られるような礼儀作法、知らないです」

 ウォルカスの言っているのは、クレスが考えた「入り込めたらいいな」という程度の段階ではない。妹のエスコート役、ということだ。

「何、気後れすることはない。今日の会は、何か大きな名分がある訳でもない、気軽なものだ。ターキン閣下は細かい作法を気にされる方ではないし」

 地位も身分もない女商人と酒を飲んだりするくらいであるから、それは本当だろうと判った。

「集まるのもターキンの住民であって、余所の町から貴族の殿や姫が訪れてくる訳でもない。町の者たちにお前が顔を見せておくことも、損にはならないはずだ」

 ウォルカスの息子として、ということであろう。

「父さん、でもそれは……俺は」

 息子はうつむいた。

 残ることを期待されているのだ。自分が、中途半端な態度を取っているために。

「父さん、俺は」

「言うな」

 父は首を振った。

「決めたのだとしても、まだ言わないでくれ。今宵は、まだ」

「……はい」

 その望み通り、クレスは黙った。

 いまは――まだ。

「お前が私たちにとって寂しい選択をしたとしても、つながりを得ておくことに、やはり損はないはずだ」

 次にはウォルカスはそう言った。

「どのような答えを出すのであっても、何か父親らしいことをしてやれたと、私に思わせてくれ」

 その言葉は、クレスに思わせた。

 父は、息子がとどまらないことに決めたと、気づいているのではないかと。

 もとより、夜会に出たい――と言うより「入り込みたい」だが――は、クレスの望みである。クレスは礼を言って、父親の提案を受け入れることにした。

(できる限りで、俺のためを思ってくれている)

 そんなふうに感じられた。

(父さんにしていた期待は)

(過大じゃなかった)

 クレスはそう思った。

 そう思えることが、とても嬉しかった。

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