07 気にしてない

 クレスがむすっとして、周囲がにやにやしているというのは、この隊商ではよくあることだ。

 だが、釈然としない顔のリンに周りが大爆笑しているというのは、非常に珍しい状況だった。

「お姉様か!」

「これは新機軸だな、隊商主」

「半分以上冗談だったのに、本当に一目惚れとはなあ」

「でも有り得るかなとは思ってたわ」

 オンキットがしたり顔で言った。

「パルウォンって、女の子にもてそうだもん」

「ラムドの趣味はない」

 きっぱりとリンは言った。

 ラムド――女を愛する性癖を持つ女たち――というのは、クジナ――男を愛する性癖を持つ男たち――よりも、数が少ないと言われる。

 だがそれは、女同士であれば頻繁に会っても、一緒に食事をしても、互いの家を訪問し合っても、仲のいい友人としか見えないからかもしれない。好みにもよるだろうが、彼女らは肉体的な関係より精神的な関係を重視することが多いとされるため、単純に「判りにくい」だけとも言えるだろう。

 マイサリエの趣味については判らないが、少なくともその傾向はあるようだ。いや、大いにその傾向がある、と言うべきだろうか。

 兄としてはあまり笑い話ではなかった――妹の趣味をからかうようなのは心楽しくないからだ――が、隊商の面々には最高の土産話だったようである。

「でもまあ、悪い話じゃないだろう? パルウォンに『お姉様』になってほしいばかりに、その嬢ちゃんはクレスをはめるどころか、疑惑を晴らす方向に動くんだから」

 ジャルディは取りまとめるようなことを言ったが、にやにや笑いを顔面に張り付けたままでは、あまり「大人の発言」という感じはしなかった。

「『お姉様』ってのは具体的に何をするんだ? 一緒に暁星ロウィルを見る必要はないんだろ?」

「そう呼ばせてもらえればそれでいいそうだ」

 意味がさっぱり判らない、とリンは「さっぱり」を強調して呟いた。

「お姉様か」

「お姉様ねえ」

「ええい、連発するな!」

 うんざりしたようにリンは叫び、一同はまた大笑いをした。彼らは、あくまでも深刻でない程度にではあるが、「リンが困っている」という状況が面白いのだ。苦笑ではあるものの、クレスも参加したことになるだろう。リンはじろりと彼らを睨んだ。

「確かに、労せずして解決に向かった節はある。だが、何も解決はしていない」

 隊商主は両手を腰に当てた。

「本当にマイサリエの企みだったのか、それを探ることはできなかった」

「そりゃあ、お姉様にされちゃなあ」

「そうじゃない」

 茶化すホー=ダンに、リンは首を振る。

「先にクレスが、それについては糾弾しないと言ってしまったからだ」

「矛先が俺に向く訳?」

 クレスは顔をしかめた。

「私としては、解決策を探すつもりだった。あの状況でマイサリエに可能なのは、自分の、もしくはミーエリエの狂言だと親に告げることだけだろうが、それも気の毒に思った。詳細を聞いて、矛盾なく何か巧い話をでっち上げられないかと思ったんだが」

「……それじゃ、マイサリエを責めるつもりじゃなかったのか?」

「彼女がお前に冤罪をかぶせる行為を続けたのなら、容赦なく逃げ道を消してやるつもりだったが、そうじゃなかったからな」

 聞きようによっては怖ろしい台詞であったが、それはどうやら、仕方がない。

 リンは、見た目こそいつもと変わらなかったが、とてつもなく腹を立てていたようだ。

 クレスのために。

「有難う。それから、ごめん」

「礼の必要はないし、謝罪は意味が判らない」

 友人は鼻を鳴らした。

「俺、リンがマイサリエを追いつめる気でいると思ったんだ」

「場合によっては、そうした。お前の誤解という訳でもない」

 冷静に言うリンがとても頼もしいと同時に――。

(ちょっと心配にも、なるな)

 彼女の判断はたいていにおいて正しい。だが、神様でもないのだから、間違えることだってもちろんある。

 感情を見せず、相談をせずにひとりで選択し、決断し、行動していくリンは、何か大きな誤りを冒したときにそれを挽回できるのだろうか。ふとクレスは、そんなことを思った。

(俺がリンを心配するなんて、余計な心配ってやつなんだろうけど)

 心配だな、と思った。

「何だ。私の顔に何かついているか」

「いつもと違うものは何もついてないよ。ただ」

「ただ?」

「……マイサリエのお姉様なら、やっぱり俺にもお姉様なのかなと」

 口に出してはそんなことを言えば、案の定、ぎろりと睨まれた。クレスは大げさに首をすくめて見せる。

「しかしクレス、お前はこんなところにいていいのか?」

 ホー=ダンが尋ねた。

「父親には、完全に疑いを晴らした訳じゃないんだろう? ふらふらしていたら、減点要素にならないか」

「それは大丈夫。ちゃんとリンのところに出かけてくると伝えたし、約束の時刻には戻るから」

 彼の姿を見てミーエリエはアルンの影に隠れるという無駄な行為をしたが、何とマイサリエが、クレスを怖がるなんておかしい、と妹に告げたのである。ミーエリエは話が違うとでも思ったのか、目をしばたたいていた。

 それから姉は、妹とふたりで話をしたいと言って、聞き入れられた。リンに言わせれば「底の浅い」計画を練り直すのだろう。

 ミーエリエが隠れんぼをしていたことにでもするのか、マイサリエが指示したのだと告げるのか、はたまた存在しない「誰か」に連れていかれたが逃げ出したとでもいうことにするのかは判らなかったが、要は両親さえ――こういう言い方も問題はあるが――言いくるめられればいいのである。

 リンは、マイサリエの計画では矛盾ができると心配しているようだが、クレスはこう思っていた。

 父は矛盾に気づき、裏事情に気づいても、娘を責め立てたりはせずに黙っているのではないかと。

(過大に考えすぎかな?)

(そうあってほしい、という望みなのかもしれない)

(でも……たぶん、そうじゃないかな)

 根拠がない、とリンに一蹴されそうなことを考えた。

「なあ、クレス」

 ジャルディが声を出した。

「ちょっといいか」

「何?」

「腹は立ったろうが、親父さんがお前を疑ったこと、責めるなよ」

 戦士はそんなことを言ってきた。

「判ってるよ、それくらい。俺が怪しく見えたことは確かなんだから、仕方ない。怒ってもいないよ」

 むしろ、あの場でマイサリエを怒鳴ったり、クレスをかばったりする方が奇妙だろう。彼はそう言った。

「本当にそう思っているんなら、いいが。……長くやっていくんなら、おかしな禍根は残さない方がいい。離れるんだとしても」

「大丈夫だって。何も気にしてないって、俺は」

 笑ってそう答えたクレスは、自分ではっとした。

(ジャルディは、父さんを責めるなと言ったのであって、俺に気にするなと言ったんじゃないのに)

(……俺、気にしてんのかな)

 信じてもらえなかった。それは当然だと、理性は言う。あの状況で、彼に出て行けと言わなかっただけ、ウォルカスというのは立派な人だと。

 だがどこかで「クレスはそんなことをしない」と無条件に言ってもらいたかったのではないか。

 だから自分は、リンの絶対的な信頼に、とても安心したのではないのか。

「大丈夫だよ」

 改めて笑みを浮かべると、クレスは繰り返した。

「有難う、ジャルディ」

 礼を言った。有難うと。

 気づかせてくれたことに。

「少し早いけど、俺、行ってくる」

 それからクレスはそう言った。

「リン」

「何だ」

「今日の夜も、また〈銀色の燭台〉亭?」

「どうだろうな。案内を寄越すと仰っていたから、違う場所なんじゃないか」

「じゃあ、案内人がくる前に戻らないと、置いてけぼりか」

「二度も見物をする必要があるのか?」

 馬鹿らしい、などと隊商主は鼻を鳴らした。

「今日は俺とホー=ダンが護衛って話だろ」

「お前たちでは護衛の役には立たない、と言ったはずだが」

「力仕事はジャルディに任せるけどさ、俺にも仕事があるんじゃないかな」

「料理以外に、何の仕事ができる」

「だからさ、たとえば」

 クレスはにやっと笑った。

「お姉様を心配する弟役」

 しつこい、とリンはやはりクレスを睨み、クレスは声を出して笑った。

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