03 ますます怪しい

「ミーエ、どうして俺が怖いなんて」

「イヤ。こわい」

 少女もまた繰り返した。

「父様。ミーエ、怖い」

「ミーエリエ、いったい……」

 ウォルカスの視線が、娘と息子の間でさまよう。

「――クレス。どういうことなんだ」

「俺だって、さっぱりだ!」

 そう叫ぶしかない。

「父様、怖い。助けて。アルン、アルン」

 少女は右手でぎゅっと父にしがみつき、左手にアルンを握り締めて、懸命にクレスから隠れようとしていた。

「落ち着くんだ。大丈夫、私といれば怖いことは何もない」

 怖い夢を見て泣いた五歳の子供をあやすような調子で、ウォルカスはミーエリエを抱くと彼女の頭を撫でた。

「母様のところに行こう。私と、それからアルンも一緒なら、何も怖くない。そうだね?」

「……うん」

「少ししたら、マイサリエも呼ぼう。何も怖くないだろう?」

「うん」

 ミーエリエはうなずき、クレスは黙った。

 アルンの名前さえ入ったのに、クレスは呼ばれなかった。彼女が彼を怖れているのだから、落ち着かせるためならば――当然なのだが。

「あとで話そう」

 と、ウォルカスはクレスにそっと言った。

「半刻後だ。いいな」

 クレスはうなずくしかできなかった。

 疑う、目線。

 ミーエリエの態度を見れば、当然の対応だ。だが彼は、疑われるようなことを何もしていないのに。

 唇を噛みしめて、彼は父と妹が去るのを見送った。

「――怪しい」

 リンが呟いた。

「何だよっ」

 思わず、クレスは両の拳を握る。

「まさかリンまで、俺が怪しいとか」

「馬鹿を言うな。お前が妹に乱暴など働けるものか」

 彼女は「鼠が空を飛ぶはずがあるか」とでも言う調子で言った。

「だがこうなると、ますます怪しい」

「そ、そりゃ、ミーエリエの態度は妙だけど、俺は本当に何も」

「お前のことじゃない」

 リンは首を振った。

「マイサリエだ」

「……はあっ!?」

 クレスは先ほどよりも大きく口を開けた。

「疑ってるのか? 彼女を?」

「言った通りだ。ウォルカス殿の前であまり強いことも言えないから、さっきは適当にごまかしたが」

 腕を組んでリンは続ける。

「順当に行けば、彼女とその夫が継ぐはずの家と資産。そこに現れた兄上殿。これまで彼女は存在を知りもしなかったが、どうやら本物のようだ。正面切って『出て行け』とやっても簡単には出て行かない。そこで一計を――」

「待てよ、待てったら」

 クレスは両手をぶんぶんと振った。

「マイサリエは俺を嫌ってるさ。でもそれは、自分たちの生活を俺に荒らされるようだと言うのと、両親がこれまで黙っていたと言うのとで、感情的に騒いでるだけだ。資産だの何だのなんて……」

「お前が考えていなかったからと言って、誰もが考えない訳じゃないんだ。ウォルカス殿が使用人のままだったならともかく、いまではお前には、この家を継ぐ権利があるんだぞ」

「要らないよ、そんなもん!」

「そう言い切れるのは、若い内だけだ」

「何だよ、偉そうに。リンだって同じだろ。欲しいのかよ、家なんて」

「私であれば資産、元手と考えるが」

「俺は考えないし」

 仏頂面でクレスは続けた。

「リンの言うように、爺さんになったら、考えも変わるかも。でもいまは」

 要らない、と彼は繰り返した。

「お前が心からそう思っていたとしても、この際、それは関係ない。傍からは金目当てに見えることくらいは、判るだろう」

「判る、けど」

「マイサリエがミーエリエの狂言誘拐を企み、お前を陥れようとしている。それで、このはほぼ完成するように思う」

「そんなの……」

 クレスは反論をしようとした。だが、いい材料が思い浮かばない。

 それどころか、考えてみればみるほど、腑に落ちることばかりだ。

 マイサリエなら、クレスを起こすついでに、アルンを彼の部屋に落としていくことができる。クレスから隠すように置かれたなら、慌ててマイサリエを追った彼はそれに気づかなかっただろう。

 クレスとホー=ダンを誘拐犯だと糾弾しながらも彼らを怖れなかったのは、誘拐犯などではないと知っていたから。

 どうしてかリンを目にして逃げ出したが、「帰る」などと口走ったのは、ミーエリエを探す必要などないと、判っていたから。

 下の妹がこのタイミングで出てくることにどんな意味があるのかは判らないが、ミーエリエがクレスを怖れる理由など全くないのに、あんな態度を取るのは、誰かに言い含められているから。

 ミーエリエに指示したり、夜からどこかにじっと隠れているように言うことができるのは、マイサリエくらいだ。

 それが、リンの示した画だった。

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