02 怖い
「ではほかに有り得ることとしては、誰か別の人物が置いた、意図的に落としたということ」
リンが口を挟んだ。
「別の人物だと? 誰だと言うんだ」
「『誰』かは知らない。ただそれは、クレスがこの館に戻ってきたことによって不利益を被る誰か」
「不利益って何だよ、俺は何も」
クレスはリンを振り返った。リンはクレスとその父を交互に見る。
「ウォルカス殿、クレス、あなた方がこれから何をどう決断するかは判らない。しかし、この劇的な帰還の話を聞けば誰もが思うはずだ。ウォルカス殿の富を継ぐのは、帰ってきた長男だとね」
「はっ?」
「しかし……」
「マイサリエに話を聞いた方がいいな。客観的に見て」
隊商主は肩をすくめた。
「動機があり、なおかつ仕込みが可能なのは彼女だ」
「はあっ!?」
クレスは大声を出した。
「なっ何言ってんだよ、リン。マイサリエはミーエリエがいないって俺を叩き起こしにきたってのに」
「何も彼女がやったとは言っていない」
「言ってるようにしか聞こえなかったけど」
「見方を変えれば立場は逆転し得るということ。ウォルカス殿、その辺りはお判りいただけたものと思うが」
「生意気な娘だな」
ウォルカスはぎろりとリンを睨んだ。
「だが、一理ある」
言ってウォルカスは息を吐いた。
「誰であれ、アルンをクレスの部屋に置くことはできる。一面的な見方をしたようだ。だが……」
父は肩を落とした。
「末娘の行方を知るのがその兄か姉か、どちらかかもしれない、と?」
「俺は」
違うと主張しかけたが、そうすれば「ではマイサリエだ」と言うようなものだ。クレスは黙った。
「絶対にどちらか、ふたつにひとつだとは言っていない」
慎重にリンは言った。彼女はクレスを信じると公言しているのだから、「ふたつにひとつ」であればマイサリエの仕業と断定することになる。そうではない、と控えめに彼女は言った。
「ミーエリエ嬢は館のなかで
成人した娘が隠れんぼでもないだろうが、彼女ならやりかねない、だろうか? クレスは反論も同意も避けた。
「アルンがクレスの部屋に落ちていた理由は判然としないながら、やはり誘拐かもしれない。捜索は続けた方が」
いつしか中心となってリンが話を進めていたときだった。
「ウォルカス様」
数名の使用人たちが、慌てた雰囲気で走ってくるとウォルカスを呼んだ。
「ミーエリエお嬢さんが」
「見つかったのか!?」
館の主人は間を置かずに尋ねた。使用人たちは顔を見合わせる。
「その……」
曖昧な態度に、クレスの心臓が跳ねる。
この状況で、言いづらいこと。
クレスは怖ろしい想像をしそうになった。
まさか、最悪の事態に――。
「……お戻りになりました」
「な、何?」
ウォルカスは拍子抜けしたようだった。
「は」
クレスは額に手を当てた。ぽかんと口を開けた父子は、傍から見れば面白いくらいによく似ていた。
(戻ってきた?)
(じゃ、やっぱり、朝の散歩に行っていたとでも?)
(いや……そうじゃないよな)
(昨夜からいなかったんだから)
それなら隠れんぼ、だろうか。クレスは考えたが、この場で答えの出ることではなかった。
(でも何だろうと、よかった)
帰ってきたのなら、文句などあるものか。
「戻ったのか? 無事なんだな?」
「はい」
「どこだ」
「あちらです」
使用人たちの指した方向に、父と兄はぱっと走る。リンもすぐあとについていった。
「ミーエリエ!」
そこは彼女の部屋の前であるようだった。扉を開けようとしていた娘は呼びとめられて振り向き、父は娘を抱き締めた。
「無事でよかった」
「父様」
少女は目をぱちぱちとさせて、それからこう言った。
「おはようございます」
耳にしたクレスは力が脱ける思いだった。
「いったい、どこへ行っていた。何があったんだ」
朝の挨拶を返すよりも重要なことがある、とウォルカスはそこを尋ねた。
「あっ、アルン!」
ミーエリエは無邪気にと言うのか、父の手に友人ならぬ友兎を見つけて目を輝かせる。父の質問に答えるよりも先にぬいぐるみを手にすると、話しかけた。
「駄目でしょー、勝手にお出かけしたら」
少女は「めっ」と叱るように兎の目の前に指を立て、リンが目をしばたたいていた。
話に聞くのと実際に目にするのとでは、印象も違う。思っていたより強烈――というところだろう。
「ミーエリエ」
父は静かに言うと、その場にしゃがみ込んで娘と視線を合わせるようにした。
「昨夜から、どこへ行っていた。誰かと一緒だったのか」
「……あのね」
子供のような娘は、ゆっくりと言った。
「アルンがね」
またアルンか。クレスは乾いた笑いを浮かべかけたが、笑っている場合ではないと表情を引き締めた。
「言っちゃ駄目って言うの」
「何?」
「昨夜からミーエがどうしてたか、言っちゃ駄目なんだって」
「何を言っている、ミーエ。きちんと話すんだ。誰に……」
ウォルカスはそこで言葉をとめた。
彼が言おうとしたのは、「誰に連れて行かれたのか」にとどまらない。「誰かに何かされたのか」。
言動は幼くても、身体は――五つ以上年上のリンより――立派な女性だ。父はそこを危惧したが、口にのぼせることはできなかったようだった。
「ミーエ、そうだ、ラッシアのところに行こう。母様と話を」
母にならば話すのではないか、或いは妻が上手に聞き出すのではないかと、ウォルカスは娘を促した。
「クレス、ラッシアに知らせ」
そのときである。
ミーエリエがびくっとして、ウォルカスの影に隠れた。
――クレスから。
「……え?」
「嫌。怖い」
「ミーエリエ」
ウォルカスの顔が厳しくなった。
「こわい」
「ちょっ……な、何で」
どうして怖がられる? クレスは口を開けた。
一緒に菓子を買ったとき、彼は何も、下の妹を怖がらせることなどしなかったはずだ。母の部屋に行くまで普通に――と言っても、ミーエリエの「普通」だが――過ごしていたではないか。夕飯のときだって、アルンとばかり話していたがクレスを怖がる様子なんてなかったのに。
何故、いま?
「これは」
リンが呟いた。
「この上なく怪しいな、クレス」
「おい、リンっ」
わざわざそんなことを言うリンに、クレスは慌てた。
ミーエリエがクレスを怖れているように見える、これが何を意味するものか――クレスにはさっぱり判らないのだが、ウォルカスは考えるだろう。
彼女を怖ろしい目に遭わせた当人だからこそ、怖れられるのだと。
「ちっ、違う、俺は」
何もやっていない、と繰り返す自分の声が耳障りに響いた。
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