09 念のために一応

「何だ。お前がずいぶんなことを言うから、お前の不利にならないようにとそつのない挨拶を心がけたのに、罵倒文句のひとつもないじゃないか」

 拍子抜けしたように隊商主は言った。

「お前には、大げさに話すような癖はなかったと思ったんだが」

「うん、むしろ控えめに言ったつもりだよ」

 呆然としたままでクレスはそう答え、マイサリエが角を曲がって姿を消すまで見送った。それから、はたと気づく。

「って、帰るじゃないだろ、帰るじゃ! ミーエリエのことはどうするんだよっ」

「ミーエリエ? 下の妹がどうかしたのか」

「いなくなったんだと」

 ホー=ダンが説明をする。

「マイサリエが俺を疑って、昨日俺を誘いにきたホー=ダンも怪しいと言って聞かないから、仕方なく話をしにきたんだ。たったいまのいままで、隊商のどこかにミーエリエが監禁でもされてると思い込んでるようだったのに」

 何故、急に様子を変えて、しかも彼に謝罪までして、行ってしまったのか。

「あー、隊商主殿」

 こほん、とホー=ダンは咳払いをした。

「男物の衣服を考え直した方がいいんじゃないか」

「どうしてだ」

 判らないとリンは首をひねった。

「この方が、楽なんだが」

「あんたが現れた途端、嬢ちゃんの態度は豹変さ。……好青年だとでも、思われたんじゃないのか?」

「まさか」

 リンは笑った。

「クレスじゃあるまいし」

「悪かったなっ。てか、そんな、二年前のことを持ち出すなよっ」

「二年前? ってことは、クレスがマイサリエくらいのとき?」

 ホー=ダンはにやにやした。

「兄妹だろ。おんなじ誤解をするかもしれないぜ」

「まさか」

 リンはまた言った。

「しないよ。普通」

 自分を貶めることになるが、クレスはそう言った。

 クレスは当時、山賊連中が連れ込む肌も露わで胸も豊満な春女たちや、市場で威勢と恰幅のいいおかみさんや、世話になった食事処の優しく話す娘などだけが「女」という生き物だと考えていた。線の細さや声、顔立ちなどで男女の区別をしなかったのだ。

 もっともリンを「男」だと思ったと言うよりは、大雑把に「女以外」だと思った、という辺りだ。だがその感性は説明しても通じないことが多いから、何かで昔話をするときには「クレスは初対面のときリンを男だと思った」で済ませている。

「でも、いまの態度は、マイサリエがパルウォンに一目惚れしたとでも考えないと納得いかないんじゃないか」

 地図師の主張はそういうことであるらしかった。

「あれは、好みの男を前にして、ぎゃんぎゃん言い立ててた自分が急に恥ずかしくなったとか、そんなふうにしか解釈できんぞ」

「そんな断定をしなくても、ほかにも何かあるだろう」

 肩をすくめてリンは言った。

「たとえば?」

「そうだな、たとえば……ミーエリエの居所に何か心当たりを思い出したとか」

「『この男が怪しい』『お前の言うことなんか絶対に信じない』」

「何?」

「そう連発してたマイサリエが、ご丁寧に『ごめんね、クレス』と言う理由にならない」

「だから、誤解と気づいて謝ったんじゃないのか」

「そんなまとも、かつ殊勝な性格には見えなかったな。仮に間違いに気づいても、疑わせるお前が悪い、くらい言いそうだったぞ」

 幸いにと言うのか、ホー=ダンが支援してくれた。

「でも、マイサリエがどんな理由で去ったんだとしても」

 クレスは眉をひそめた。

「ミーエリエの件は何も手がかりがないままだ」

 いきなり「帰る」など、彼女は何を考えているのか。ミーエリエのことはどうするのだ?

「あのさ、リン。念のために一応、訊くんだけど」

「無い」

「最後まで聞いてくれてもいいじゃないか」

「『妹を探し出せるような不思議な品はないか』と言うんだろう。だから、答えは、無い、だ」

「素早い返答を有難う」

 肩を落としてクレスは言った。答えについては判っていたから、それに落胆した訳ではない。リンといるとどうにも自分が馬鹿に見えるな、と思っただけだ。何もリンといなくたって賢く見えることはないと判っているが、際立つ気がするのである。

 もっとも、それが嫌だと言う訳でもない。クレスはリンに比して馬鹿に思われたところで、痛くもかゆくもない。たまに「敵わないな」と自分が情けなくなるくらいだ。

「しかし、本当に誘拐などであれば一大事だな」

 リンはあごに手を当てた。

「兎は?」

「え?」

「兎は一緒なのか」

「し、知らないよ、そんなの」

 友人が何を言い出したのかと、クレスは戸惑いながら答えた。

「お前の話によると、ミーエリエは兎のぬいぐるみを片時も手放さないんだろう。無理矢理に連れていかれたなら、ぬいぐるみは彼女が攫われた場所に落ちている可能性が高い。そうでないなら彼女は自分の意志で出歩いているか、それとも誘拐犯が紳士的かということになる」

 紳士的な誘拐犯など聞いたことがない。おそらくこれはリンの冗談だろうとクレスは判定した。

「でも、落ちているのを見つけるならともかく、落ちていないことを見つけることはできないよ」

 クレスが言えば、リンはそうだなとうなずいた。

「落ちていなければ、それでいいと言える。問題は落ちていることなのだから」

「兎を探す? あ、いや、意味ないか」

 それよりはミーエリエ本人を探した方がいいだろう。

「全く意味がないこともない」

 リンはそんな言い方をした。

「昨夜、彼女がお前のあとをついてきた可能性は確かにありそうだな。店からここまではついてきていないだろう。いれば、ジャルディが気づいたはずだから」

 隊商主は護衛戦士を信頼して言うと続けた。

「となると、〈銀色の燭台〉亭からアクラス邸に戻る形だな。ざっと兎の捜索をしよう。見当たらなければ、ミーエリエの部屋まで入れてもらうことにして」

「……協力してくれるのか?」

 目をしばたたいて、クレスは尋ねた。

「何か不思議なのか?」

 友人は片眉を上げた。

「万一、悪漢を追うようなことになったら、私とクレスでは厳しいな。ジャルディにもきてもらうとしよう。ホー=ダン、オンキットと荷馬車を頼む」

「俺も参加したいなあ」

「オンキットひとりを置いていく訳にはいかない」

「判ったよ、隊商主」

 降参するように両手を上げて、地図師は居残りを了承した。

「早く無事に見つかるといいな」

「有難う、ホー=ダン。それに……リン」

 協力を頼めたらとは思ったが、頼む前に友人は、当然だと言ってくれた訳だ。クレスはそれに礼を述べたが、リンは肩をすくめる。

「礼なんかは、何ごともなくその子が見つかってからにしろ」

 気の早い、と呆れたようにリンは首を振った。

「そういうことを言ってるんじゃなくて」

 「協力をしてくれる」ということ自体に感謝しているのだと告げようとしたが、リンはさっさと歩き出し、クレスの言葉をそれ以上聞かなかった。


(第3章へつづく)

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