08 笑いごとじゃないんだけど
ついてこないで、とマイサリエは悲鳴だか怒声だか判らない声を発した。
「私にも何かする気? 近寄らないで、犯罪者っ」
「俺は何もしてないって、何度言えばいいんだよっ」
「口ではどうとでも言えるわ」
「なら行動で示すよ。俺がミーエリエを探し出したら、もうおかしなことは言わないでくれよ」
「判ったわ」
と少女が言ったのは、「クレスの言葉を了承した」という意味ではなかった。
「それが目的ね! ミーエリエを攫っておいて、さも自分が助けたふりをして、私の信頼を得るつもりなんだわ」
「どうしてそんな曲解ができるんだよっ」
クレスの方では間違いなく悲鳴を上げた。
「そんなふうに思うなら、俺を見張っていればいいじゃないか。偏見抜きで、怪しいと思える証拠でもあったら、突きつけてくれればいいさ。でも、俺が気に入らないって理由だけで誘拐魔扱いまですることないだろ。俺だってミーエリエが心配だよ」
成人していると言っても、兎のぬいぐるみに相談をする少女なのである。アルンがいいと言ったから、とありもしない兎の声を聞いて、見知らぬ誰かについていってしまうことがあるかも。
「もし、彼女が昨夜、俺が出かけるところを見ていたのだとしたら、〈銀色の燭台〉亭までの間を行き来したかもしれない」
「〈銀色の燭台〉亭ですって? どうしてお前なんかがあのすてきな店に」
「俺の旅仲間が」
何にでも噛みついてくるマイサリエに、クレスはちょっとだけ言ってやろうかと思った。
「伯爵閣下とお会いしてたから」
「――嘘つき!」
案の定と言うのか、マイサリエは目をつり上げた。
「お前の旅仲間なんかが、閣下にお会いできるはずがないじゃないの」
「本当だよ」
そう主張してはみたものの、どうせ信じてもらえないのに、無駄なことを言ってしまったなとも思った。
だいたい、伯爵と面会に至ったのはリンの功績――性別のためだとしても――であって、クレスのそれではない。自慢するような言い方をしたのは、ちょっと
「そうだ、リン」
はっと彼は思った。
「何か役に立つ品を……」
持っていないだろうかと思って、持っていないだろうなと思い直した。
リンが手に入れるのは、たいていにおいて、不思議な効用を持つが何の役にも立たないものだ。「役に立たない」ことを主眼にしているのではなく、本当に役立つ品は持ち主が手放さなかったり、とてつもなく高価であったりするために彼女のもとにまでやってこないだけだが、事情はどうあれ役に立たないことは間違いない。
行方の判らない妹をぱぱっと探し出す魔法の何か――「魔法」ではない、というのがリンの主張だが、クレスはその差がよく判らない――など、あるはずがなかった。
「誰のこと」
「リン? さっき言った、旅仲間だよ。俺はいろいろ、助けてもらった」
「伯爵とお会いした?」
ふふん、と鼻を鳴らすところを見れば、信じていないのは明らかだった。
「昨日、お前を誘いにきた男のこと?」
「ええと、伯爵と会ったのはリンだけど、誘いにきたのはホー=ダン」
「名前なんかどうでもいいわ」
「説明をするのに必要だっただけじゃないか」
この娘は人に突っかかる天才だろうかとこっそり思った。
「〈燭台〉亭に行っても意味がないわ。昨日の男に会わせなさい。私が追及してやる」
「ホー=ダンは、ミーエリエのことを知らないよ」
「お前の言うことは信じないって言ったでしょ!」
「なら、昨日きたのがホー=ダンだってのも、信じないってことになる。
「何よ、会わせないつもり。やっぱり、ミーエを攫って監禁でもしているのね。だから会わせられないんだわ」
判った、とクレスは思った。むしろ思い込みの天才だ。
「疑いが晴れるなら会わせてもいいけど、時間の無駄だよ。そんなことより、ミーエを見なかったかといろんな人に尋ねでもした方が」
「ごまかすつもり!」
「違うよ、意味のないことに時間を使っても仕方がないって言ってるだけ」
ホー=ダンを尋問するなど、ラッシアを尋問するのと同じくらい意味がない。だがそう説明をしたところでマイサリエは納得せず、クレスとホー=ダンが妹を攫ったとますます思い込みそうだ。
こうなったらまずは、地図師の容疑から晴らした方がいいかもしれない。
クレスは嘆息して、隊商の逗留している広場に上の妹を案内することにした。
「は? 誘拐? 俺が、お前と結託して? このお嬢ちゃんとお前の妹を?」
話を聞いたホー=ダンは、ぱちぱちとまばたきをした。
「その新作芝居はどういう心情から考えついたんだ、クレス」
「俺が考えたんじゃないよ。この、マイサリエの脚本」
「創作じゃないわ。事実でしょ」
マイサリエは彼らにびしっと指を突きつけた。
「おいおい」
ホー=ダンは苦笑する。
「ちょっとここがおかしいんじゃないか、この女」
地図師は指で自身の頭をとんとんと叩いた。
「なあんですって!」
「本気で信じてるとしたらそれだけでも充分おかしいが、その流れに則って言えば、お前さんは誘拐犯の片割れに連れられて、誘拐犯のもとに足を運んだことになるじゃないか。危ないだろ。一緒に誘拐されちゃうぜ?」
「自白したわね、そういう目的だと!」
「何でそうなるんだ?……やっぱ、おかしいのか」
「彼女は、俺が嫌いで嫌いで仕方ないんだ」
クレスは何らかの助けになるのかよく判らないことを言った。
「嫌いだからって誘拐犯扱いするか? それに第一、俺は嫌われる理由もないはずだが」
もちろん好かれる理由もないが、とホー=ダン。
「その男の仲間だからに決まってるでしょ」
「こりゃまた嫌われたなあ、クレス」
「笑いごとじゃないんだけどな」
ホー=ダンは面白そうな顔を見せ、クレスは渋面を作った。
「いいから、早くミーエリエを出して。どこにいるの? その辺りの天幕や馬車にでも?」
「いる訳ないだろうが」
「隠しているのね、卑怯者!」
「クレス、こいつ、ぶん殴っていいか?」
「駄目だよっ」
おそらくそれは地図師の冗談なのだろうが、まさかどうぞとも言えない。
「どうした、何かあったのか」
「リン」
「隊商主」
「――親玉ね! 早くミーエリエを」
勢い込んでマイサリエはリンを振り返った。
「これは、クレスの妹君か。兎のお供がいないところを見ると、マイサリエ嬢?」
「え……あ、はい」
急に名を呼ばれたせいか、思わずと言った体でマイサリエは素直な返事をする。リンは商売仕様の愛想たっぷりに、にっこり彼女に微笑みかけた。
「お初にお目にかかる。私はリンドン・パルウォン。クレスとは縁があって旅をしてきた。言うなれば弟分のようなものだ。彼の家族が見つかって、我がことのように喜んでいる。今後とも、クレスのことを頼む」
「ちょ、リン、ちょっと」
クレスは、制止をかけようと思った。どこでマイサリエが爆発するか知れたものではない。どんなささいな一語に噛みついてくるかも。
「あの、私……その」
「え?」
「あ、か、帰ります。ごめんね、クレス。私、先に帰るから」
「……え?」
クレスは呆然とした。
マイサリエは、いま何と言った?「ごめんね、クレス」? 謝ったのか? 彼に? しかも、名前を呼んだ?
頭が混乱している間に、上の妹は踵を返し――走り去っていた。
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