06 一応言っておこうかと

 駆け引きは続いている、というのが、化粧を落とし、いつも通り男物の服に戻り、髪を下ろしたリンの説明だった。

 オンキットはもったいないと言ったが、見慣れた姿にクレスはほっとした。

「早い話が、閣下はひと晩をともにすれば花瓶くらいくれてやる、という姿勢だ。だが私は、をされても馬鹿らしい」

 何とも淡々と、若い娘は言った。

 彼らはもちろんそんなことを直接的に言い合ったのではなく、過剰なまでに言葉を包装してやり取りしたが、端的に言えばそういうことであるらしかった。

「だいたい、貴族なんて悠長な連中だ。即日、結論が出なくてもかまわない。権力者だけあって女に困っているはずもないが、その手の遊戯に慣れた貴族の娘でもなければ商売女でもない、単なる素人娘をたまには肴にしたいという程度のこと」

 向こうは遊びなのだ、ということだろう。クレスは何だかむっとした。リンが「リンドン・パルウォン」として惚れられたのならまだしも、「どの女でも同じ」というような扱いとは。

「何か間違って本気になられても困るんだから、それでいいんだ」

 当人は気持ちいいくらい割り切っている。

「現状、競争相手に先んじていることは確かだ。閣下は、私がおかしな花瓶をほしいなど、どこまで本当かと思っているようだ。なんだかんだ言って取り入ろうとしているのではないか、ということだな。だが、あまり花瓶への熱意を見せすぎても不利になるから、ほどほどにした」

 相手によっては、とにかく熱心に「譲ってくれ」とやることで好感を得ることもある。だが、なかには熱意につけ込む輩もいる。値を釣り上げたり、無理難題を押しつけてきたり。

 件の伯爵閣下は金に困っていないせいか、意地汚いことは口にしていないようだ。彼にとっては花瓶も重要ではなく、変わり種の若い女商人と交流を楽しむという程度に考えていると、それがリンの判定だった。

「だから私もそれに乗る」

 隊商主は両腕を組んだ。

「妙な心配は要らない。特にクレス」

「俺かよ」

「何かやらかしそうなのは、お前だけだからな」

 したり顔でリンは言った。

「何だよ。父親みたいだの神官みたいだのと言われてもいいけどさ、俺はただ、リンが自分を安売りしたりするような真似はどうかと思うって言ってるだけだろ」

「安売りをするつもりはない。花瓶の価値については、実際に試してみない限り、何とも言えないから」

「試すってことは、花瓶をひと晩借り受けるとかしないといけないんじゃないか?」

 クレスが尋ねると、ホー=ダンが手をぱちんと合わせた。

「伯爵が、『では夜に花を活けて翌朝にどうなっているか、一緒にひとつ部屋で観察をしよう』とか言うことは有り得るな」

「お見事」

「何だって?」

「ターキン閣下はまさしく、そのようなことを仰ったな。言い方はもう少し浪漫があったが」

「……おい」

「私は、ご冗談をと言って笑って済ませたが、花瓶をひと晩借りるのではなく、閣下の館の部屋をひと晩借りるという流れは、有り得るかもしれない」

「それには、俺はついていけないだろうな」

 ジャルディが苦笑した。

「ご宿泊が何を意味するかは、当然、判ってる訳だよな?」

「無論」

「リンっ」

「そうするとは言っていないだろう。手段のひとつということだ」

 うるさい、とばかりに隊商主は片耳をふさいだ。

「安売りはしない。花瓶の価値は見極める。その上で有用だと思えば、支払いがどんな形になるとしても取り引きをする。お前はそれに何の文句があるんだ?」

「何のって、そりゃ……」

 断ることは簡単なのだ。リンの決めることだろう。だが、リンが「この町に残るかどうかはお前次第」と言い切るのと違い、クレスの方では「それはリンの自由」と言い切ることができなかった。

「お前の意見は聞くが、受け入れるかどうかは別だ。この姿勢は、いつもと同じだと思うが」

 確かにその通り。

 このことはいつものことと違う、という主張をするのはクレスだけだ。

 多数だから正解、少数だから間違いということはないにしても、現状ではクレスだけが駄々をこねているようなもの。

 恋人でも、ないくせに。

「お前はもう、帰れ」

 すげなくリンは告げる。

「私のやることが気に入らないのなら、離れるちょうどいい機会でもあることだし」

「そんな話じゃないだろ」

 クレスはじろりとリンを睨んだ。

「呆れるとか愛想を尽かすとかじゃない、俺は心配してんじゃないか」

 仏頂面で言って、クレスは踵を返した。

 ジャルディとホー=ダンは顔を見合わせたが、何も言わなかった。もちろんと言おうか、リンも特に呼びとめなどしない。

 もとよりクレスとて、呼びとめられようと拗ねたふりをした訳でもなかった。

 彼はリンのことが大事だ。仲間で、家族同然だからだ。だから、たとえばリンが恋人を作って、ちょっと想像しがたいがその男といちゃついたとしても、妬いたりはしない。しないだろうと思う。

 しかし、いくら彼女の好きな「変わったもの」のためだからって身体を売ってもいいとか、しかもそれは大したことではないとか、そんな考え方は――。

(ものすごくリンらしいと言えば、リンらしいんだけど)

(俺は、笑って聞いてなんかいられないよ)

 とぼとぼとクレスは、小さな隊商をあとにしようとした。

「クレス、ちょっとクレス、待ってよ」

 声をかけたのは、オンキットだった。

「何?」

 しょぼくれた顔を見られまいと、クレスは笑みを作った。いささか、ぎこちなかったが。

「あのさ。判ってるだろうけど、パルウォンは馬鹿じゃないよ。誘われて店に行く前に、伯爵の館から離れてることや、近くに同伴宿がないことも確認してた。万一にも領主様の怒りを買うようなことになったら、すぐさま町を離れることにしていたし、そんなことになったらあんたにも伝言を送るよう、手はずを整えてた」

「……すごく、らしいけど」

「だからさ。パルウォンは伯爵に『お話によっては抱かれることもやぶさかではありません』と見せてるだけ。それが彼女の言う駆け引きだよ。判ってるかなと思ったけど、さっきの話を聞いてると男連中は誤解してるみたいだし、パルウォンも誤解を正そうとしてないし、一応言っておこうかと」

「え?……それじゃ」

「流れによっては、競争相手とかに譲る代わりに見せてもらう交渉をしたりすることもあるんじゃないかな。パルウォンは基本的には、ああした品を『自分のものにしたい』とは思わないんだから」

 オンキットはそんなことを言った。クレスは目をしばたたく。

「それじゃ、そう言えばいいじゃないか!」

「やっぱりあんたも誤解してた? って言うか、パルウォンも誤解を助長するような言い方ばっかりで、意地が悪いよね」

 それとも、と彼女は少し笑った。

「素直じゃない、と言うのかな。クレスが怒ってくれて、本当は喜んでると思うよ」

「とてもそうは思えないね」

 クレスは息を吐いた。

「そんなことないわよ。自分のことを自分より大事に考えてくれる人がいるなんて、嬉しいもんでしょ」

 オンキットは自信たっぷりに言った。

 どうだろうか、とクレスは思ったが、さすがに「そうは思えないね」と言うのはやめておいた。

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