12 違うところに

「あのね」

 ミーエリエはアルンの耳を直しながら言った。

「寒いから」

「うん?」

「着るものがほしいの」

 と言う少女は、質感のよい明灰色の、可愛らしくボンボンなどついた意匠の外衣を羽織っている。編み上げ靴も上等そうだ。泥はねなどはなく、使用人がきれいにしていることが伺える。穴が開いたりはしていないだろう。赤い手袋も、たいそう保温の役に立っていそうだ。

 対するクレスは、二年前から愛用して毛羽立ちが目立ちつつある薄茶のローブだけが防寒着だ。靴は年中一緒で、そろそろ底が薄くなっている。これまでは手袋まで使う必要性を感じなかったが、さすが南方の冬、入り用だと思って隣町で買った。ただ、ちょっとうっかりして早々に引っ掛けてしまい、指先に穴ができている。

「ええと」

 要らないんじゃないか、と突っ込みを入れるのを控え、クレスは頭をかいた。

「充分そうだけど?」

 遠慮がちだが、結局似たような意味合いの言葉を口にした。

「ミーエじゃなくて。アルンに」

「……は」

 兎のぬいぐるみは、まあ、裸と言うならば裸と言えた。

「アルンは寒がらないんじゃない?」

 ぬいぐるみだからという大前提はさておいて、兎なら立派な天然の毛皮があるのだから。

「うん。アルンは平気だって言うけど、ミーエは何か着せてあげたいの」

「はあ」

 これは――マイサリエに一理あるようだ。

 ぬいぐるみの服など買っていたら、ミーエリエは最上でもこの冬、悪ければあと何年も、ずっとアルンにかかりきりになるだろう。

「でも、必要ないと思うよ」

 そう言えば、ミーエリエはきゅっと眉をひそめた。

「マイサと同じこと、言うのね」

 クレスが彼女と同意見だと聞いたら、上の妹はやはり怒るのだろうか。

「いい人だと思ったのに。クレス兄さん」

「何でもかんでも望みを叶えるのが『いい人』じゃないよ」

 思わず彼はそんなことを言っていた。

「お姉さんが駄目だと言うには理由がある。俺もね」

「変」

「そんなことないよ」

「兄さんには、マイサは妹だわ」

 説教めいた発言の内容ではなく、マイサリエを「お姉さん」と言ったことに対する指摘らしい。

「まあ、そうなんだけど」

 血縁関係はそういうことになるのだろうが、幸か不幸かそれだけだ、と思うところがある。「お兄さん」「妹よ」と感動的な場面を演じることには、まかり間違ってもならなさそうだ。

 何と言うか、実はエランタが姉だとでも言われた方がよほど気が休まるように思った。

「それじゃ、連れてってくれないの」

「ぬいぐるみの服なんてどこで買えるか知らないよ」

 普通の服屋だって知らないのに、という言葉は飲み込んでおいた。

「ミーエが知ってる。山菊館」

「はあ」

「布屋さんよ」

「へえ」

 「布屋・山菊館」がどこにあるものかやはりクレスは知らないが、ミーエリエは知っているのだろう。そうなると「場所が判らないから行けない」と片づけることはできない。

「ん? 知ってるなら」

 知っているならひとりで行けばいいではないか――と思ったが、この子が布屋へひとりで赴き、あの布を見せてちょうだい、これを何ラクト分もらうわ、などとやっている様子はとても想像がつかなかった。

 話の流れからすれば、ミーエリエは裁縫のために布を欲するのではない。おそらく布屋の女主人や従業員が手慰みに、或いは注文を受けて、人形の服などを作ったりするのだろう。

 だが何にせよ、この子が自分の希望を流暢に説明できるとは、とても思えない。

 普段は姉か母親か使用人か、誰かしらと出かけるのに違いなかった。

 ならば、いまは?

 考えるまでもない。いきなり現れた兄のことが気になるのだ。当然だろう。

 最初からついてきていたとは思えないが、見かけて、追いかけてきた。その辺りではないかと思った。

「でも布屋じゃなくて、どこか違うところに行かないか?」

 アルンの服を見に行くという選択肢はどうにもよろしくない気がして、クレスはそう言った。

「どこ?」

「そうだな、うーん」

 ほかにミーエリエの気を惹くことができそうな話は何だろうか。

「そうだ、お菓子」

 クレスは指を弾いた。

「甘いものを売ってるお店に行こう。美味しいところがあるならそこで何か食べてもいいし。そうだ」

 彼はまた言った。

「買って帰れるようなものを探すのはどうかな。何か買って……か、母さんに、お土産とか」

 言い慣れない一語を口にして、クレスは少し赤くなった。

 母。

 これまで抱いていた曖昧な印象ではなく、ラッシア・アクラスという名の女性。

 母に土産を買って、家に帰る。

 クレスにとってそれは、夢物語のような話だった。美しく、憧れだが、現実になることのない。

 しかし、現実だ。いまは現実なのだ。「母親のような」でも「母親代わり」でもない、紛う方なき「クレスの母」が、彼の帰りを待っている。

「〈霧の湖〉の堅焼き菓子サラエ、母さんのお気に入り」

「よし」

 クレスは指を弾いた。

「そこにしようよ。案内してくれないか」

 言うとミーエリエはアルンをちらりと見、兎の許可を得たか、こくりとうなずいた。


(第2章へつづく)

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