10 お前次第

 ウォルカスの話は結局、もう少し時間を――というようなことだった。

 父親の考えよりも、マイサリエの態度が強硬だったのだろう。だが兄妹なのだから話をすれば打ち解けるはずだというのが、父親の推測、それとも希望であるようだった。

 上の妹はともかく、下の妹とは彼ももっと会話らしきものがしたいし、母とももっと時間を持ちたかった。クレスは、自分がとどまるかどうかは決められないと正直な気持ちを話した上で、あらためて数日の滞在を彼から頼み込んだ。

 それは、どうにも他人行儀な邂逅だった。

 しかし仕方ない。仕方ないとしか言えない。

 二十年は長い。クレスにとってはもちろんのこと、ウォルカスとラッシアにだって。

「ふん」

 ざっと経緯を聞いたリンは、両腕を組んだ。

「お前には悪いが、ウォルカス殿はずいぶんと決断力のない男だな」

 幸いにしてと言うのか、アクラス家の朝食は、目覚めたらそれぞれが好きに取るという習慣だった。使用人にどうするか尋ねられ、クレスは迷ってから、非常に一般的な食べ物である麺麭ホーロ――小麦ホルトを練って発酵させ、焼いたもの――と、話には聞いたことがあるが目にしたことのなかった珈琲フォートスという黒い不思議な飲み物を頼んだ。

 木の実と干し果実の入った麺麭は絶品だったが、未知の飲み物は口がひんまがるほど苦く、選んだことを後悔した。

 既に起きていた父と話をしたあとは、やることがなかった。雇われた訳でもないから仕事はなく、エランタには、どうしても手伝いたければ夕方頃にきてくれと言われている。ラッシアと話ができればとも思ったが、マイサリエが――おそらくはクレスを警戒して――母親を占領していた。

 ミーエリエを探し出して話すというのも不自然な感じだし、そうなると館にいる意味はなく、クレスは町にリンを探しに行ったのだ。

 もとより、相棒とも話したいことはたくさんある。

 彼はリンが去ってからの出来事をまくしたて、最初の感想として、ウォルカスを貶めるような台詞に行き会ったというところである。

「そんな言い方、ないだろう」

 クレスはむっとした。

「俺は、突然降って湧いたみたいなもんだ。すぐに決められないのは当然じゃないか」

「だが甘い」

 きっぱりと彼女は言った。

「長女に注意をしないことにもだが」

「したよ。ちゃんと」

 彼は父をかばうように言った。リンは首を振る。

「しかしマイサリエは治まらなかったんだろう? 親の権威がないという訳だ」

「気を遣ってるんじゃないか」

 クレスが言えば、娘に気遣う父親なんてやはり権威がないと返された。

 リンの父親に権威があったとは思えないが、少なくとも娘を甘やかしはしなかった。リンがマイサリエの年齢の頃には、既に自分の道を歩いていたのだ。

「それから、ミーエリエだったか。その子は噂のぬいぐるみを食事のときにも持ってきていたんだな?」

「うん、ときどき抱きしめて、話しかけるみたいにしてた」

 夕飯時の光景を思い出しながらクレスはうなずく。正直、ちょっと奇妙だった。

「それだって注意すべきだ。それも十歳までに。持ち歩くだけならまだしも、十五の娘が人前でぬいぐるみに話しかけていたら、頭が弱いと思われる」

「う、まあ、そう思われるだろうということは否定できない」

 言葉はきついが、言うことは判った。優秀な成績云々と聞いていなかったら、クレスもそんなふうに感じただろう。

「ご両親は娘御にとてつもなく甘いと見えるな。――息子を失ったと思っていたのだから、仕方ないと言えるかもしれないが」

 リンはそうつけ加えた。

「それよりも、お前の態度が中途半端だ」

 次には友人はそう言った。矛先が向いた気がして、少しぎくりとする。

「とどまるか去るか、どちらの選択肢も用意している。それでは、強い手が打てない。さっさととどまる決意を固めて、マイサリエと腹を割って話すのが早いだろうに」

「そんなに俺を追い出したいのかよ?」

 思わずクレスは、隊商主にそう尋ねていた。

「私とくるなら、それも早く決めるべきだ。私は、残った方が断然、いいと思うが」

 彼女の意見は変わらないようだった。

「冷静に考えてみろ。仮にお前が、と言うよりマイサリエがお前と上手くやれなかったとしても、お前が家を出るだけだ。父親のつてを頼っても頼らなくても、どこかで店に勤め、いつかは店を持って」

「店を持つだって?」

 クレスは顔をしかめた。

「そんなこと、考えてないよ」

「いままでの状況でそれを考えていたら、ただの夢想家だ。だが腰を落ち着け、金を貯め、実力と人脈を育てていけば難しい話じゃない」

 リンは何でもないことのように言った。

「家族の近くで暮らすことができるだけじゃない、ここに住み着くことはいいことだらけだ。迷う必要なんてないだろう」

「ここには、リンがいないじゃないか」

「私?」

 リンは目をしばたたく。

「そうだよ。俺は最初からその話をしてるの」

 聞いてなかったのかよ、とクレスは呆れた。

「それは」

 考えるように、彼女は両腕を組んだ。

「恋心の告白、ということか?」

「違うよっ」

 判っているくせに、こういうことを言う。

 確かに言葉の上だけで言えば「君のいない暮らしなんて考えられないんだ」と口説いているかのようだ。だがクレスにそうした意図はなく、リンも知っている。

 と言うのも、こうしたやり取りは、この二年半で何度もあったからだ。

 もはやリンは、そう返すのが彼らの間の決まりごとのように考えているのかもしれない。真面目な台詞が茶化されるようで、クレスは好かないのだが。

「何て言うのか、俺は『安定した暮らし』ってのがそれほど魅力的には思えないって感じなんだ」

「ジャルディじゃあるまいし」

 隊商の護衛戦士ジャルディは、よくそんなふうに言っていた。街壁のなかで安全に暮らすなんてまっぴらだ、と言うような。

「お前はまだ苦労をし足りないのか」

「そうだね、たかだか二年半だから」

 リンはおそらく、クレスがならず者たちの隊商で苦労をしたはずだということを言ったのだろう。だがクレスは、敢えてリンと旅をした期間を数えた。

「二年半、私といて苦労していたと思うなら、どうしてそれから去る方向に頭がいかない」

「俺がいなくなったらリンが苦労するに決まってる」

 ふふん、とクレスは鼻を鳴らした。

「興味があるのは変な商品のことばかり。日用品の整理なんか、全然駄目だろ。ひとり旅ならそれでもいいけどさ、俺たちが困るんだよね」

「なら、ほかに整頓上手な誰かを雇うだけだ」

 「整頓下手」に怒ってかみついてでもくれば可愛げがあるが、リンは淡々とそう返してきた。

「ああ、私の話なんかいい。いまはとにかく、お前が決めること。私を口実にするのは許さないからな」

「何だよ、口実って。俺はリンのせいになんかしてないよ」

「そう聞こえたが」

「俺がリンに感謝することと危なっかしく思うことは、俺が勝手にやってることさ。リンのせいじゃない」

「感謝など必要ないと言った。……危なっかしいだって? 私がか?」

 リンは目をしばたたいた。クレスはにやっとする。

「常に自信たっぷりで、それに相応しいだけの能力を持っているということと、ひとつのものに夢中になると子供みたいに飛び出して馬車にひかれかねない事実は、別の話」

 たまにはこちらが言ってやりたいと言うもの。クレスがとうとうと言えば、リンは唇を歪めていた。

「俺が親探しに出たのこそ口実、ただのきっかけだって、リンはそれをよく知ってるだろ」

「知っている。だが」

 放っておけば彼らはいつまでもそのやり取りを続けただろう。

「おい、隊商主トラティアル

 だが幸いなことに、それから更に数ティム経った程度のところで、リンを呼ぶ声がかかった。護衛戦士のジャルディだった。

「いま、昨日の件で会いたいから昼過ぎにでも館までくるように、とかいう伝言を受けたぞ。伝えればそれでいいと言われたが」

「ああ、判った。有難う」

 リンはジャルディにうなずいた。クレスは片眉を上げる。

「昨日? 早々と何か見つけたのか」

 奇妙な品か、それ以上に奇妙とも言える、それらを欲しがる買い手。

「そのようなところだ」

 リンはうなずいた。

「予定が入った。よほどのをやらなければ、明日も明後日も入るだろう。三日もすれば交渉は成立する見込みだ。つまり、私は三日、この町に滞在する」

 指を三本立てて、リンは告げた。

「何度も言っているように、くるも残るもお前次第」

 残った方がいいと思うが――とまたつけ加えられた。

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