空狐の尾

 そんなこんなで演武はそのまま終了してしまった。

 英雄の称号を捨てる事には失敗したけど、悪い事があれば良い事もあるのが人生。


 そんな事を僕に思い出させてくれたのは、待ちわびていた空狐との顔合わせが実現したからだ。


「空狐と申します。人族のあるじ様からすれば至らぬ点が多々あるかと思いますが、ご指導いただければ幸いです」


 少し丈が短い着物を崩して着た、泣きぼくろが特徴的な童顔の少女が、僕の目の前で三つ指をついてうやうやしく挨拶してくれた。

 赤みを帯びた黄褐色――所謂キツネ色の髪と、同色で先だけ白くなっている5本の尻尾を携えた、全体的にモフモフしてて触り心地が良さげなケモ耳少女だ。


 そしてこの空狐、なんと距離を幻術で惑わして繋げることができ、一度訪れた事がある場所であれば、お手軽移動でできる超便利スキルを持っているんだよね。


 尾を増やせば戦力としても貴重な空狐だけど、輸送用としてもテレポート代が節約できる貴重なユニットなのである。特に反テレポーター派でもあり、主人公から逃げる手段を何よりも欲っしている僕からすれば神にも等しいユニットだよ。



 そういえば空狐は、自分が1200万相当のアイテムと物々交換された事を、八尾狐狸からなんて説明されたんだろうか。あっさりと受け入れてるように見えるけど、妖狐族の感性だと物と娘を交換するのは特別おかしな事でもないのかな。


 もしやペットショップみたいな感覚?


 即決で交換に乗った僕が言うのもなんだけど、人族の感覚だと親に売られたようなものだし、ちょっと不憫な子に感じちゃうよね。けどまあ交換した以上は飼い主としての自覚を持って、きちんとお世話しようとは思う。


 まず出来る事といえば、しっかり育成する事とストレスなく過ごしてもらう事。今も慣れない丁寧語で喋ってるし、こちらから砕けた感じで接して緩い空気を作り出そう。環境が変わったばかりのペットは一番ストレスを感じる時期だしね。


「僕は堅苦しいのが苦手なんだよね。空狐――いや、クーちゃんって呼んでいいかな? うん、そうしよう。クーちゃんも僕に対しては素で喋ってくれると嬉しいんだけど」


「……ありがとうございます。少しずつ甘えていけるよう努力いたします」


 空狐が素になるのは本来九尾以上にした後で起こる、【もふもふ尻尾枕】イベントでお昼寝している主人公に、独白したのを聞いてしまった後からなんだけど、僕は主人公じゃないからそんなイベント発生しないしね。


「固いなぁ。クーちゃんは九尾の九ちゃんに近い喋り方が素でしょ。いつも通りでいいんだよ?」


 まぁクーちゃんは九ちゃんほど口は悪くないけどね。


「――――ッ!?」



 そう伝えるとクーちゃんは完全に固まってしまった。そういや独白イベント前に僕がそれを知ってるのはおかしいのか。……まあ言ってしまったものは仕方がない。


「あの……不躾な質問で申し訳ありませんが、天狐九尾様をご存じなのでしょうか?」


「えっ、そっち? あっ、いや。もちろん知ってるよ。九ちゃんは時に先生、時にマスコットの万能キャラクターだしね」


 ゲーム内に直接出てくる事は無い九ちゃんだけど、そのロリフェイスに勝ち気な関西弁で人気が高く、種族統一大戦のマスコットキャラクターとして、体験版やチュートリアル、公式Q&Aや広報と幅広く活躍している。


 そんな事情もあり、プレイヤーからすれば完全に愛玩ペット枠の九ちゃんだけど、九尾だけあって妖狐たちからはカリスマ的存在で、空狐が関西弁なのも元は九ちゃんの喋り方を真似ていたのが定着した結果だ。


 いやしかし、これもまたどう説明したらいいものか……余計な事は言うもんじゃないね。

 訝しむような視線でじっとりとこちらを見つめるクーちゃんに、なんと答えたものか。


「ま、まあその辺りはどうでもいいよ。それよりもまずはクーちゃんの尾を増やそうか」


 とりあえずクーちゃんが食いつきそうな話を振って、全力で話を逸らす事にした。

 狙い通り反応は劇的で、百面相のように表情がくるくると変化していて愛くるしい。


「それじゃ着いたばかりで悪いんだけど、大狐湖まで移動したいから空間を繋げてくれるかな」


「えっ、あっ、はい」





 ゲートを潜りやってきた大狐湖を持つ妖狐の国は、総面積のおよそ80%を森林が占める、よく言えば自然豊かな、悪く言えば未開の国だ。


 これは妖狐の技術力が劣っているわけではなく、尾が少ない妖狐ほど普段は狐の姿で過ごすんやから、こっちの方が都合が良いんや。首都はちゃんと栄えとるわボケ。舐めとったらいてこますぞ。と体験版で九ちゃんが力説していた。




 あまり状況がわかっていなそうなクーちゃんを尻目に、勝手知ったる大狐湖の地下道を、迷宮へ向けずんずんと進んでいく。迷宮に到着する前から迷路をぐるぐるさせる仕様なのは、殆ど嫌がらせのようだけど、実はこれにも意味はある。


 それに僕はもう繰り返し何度も来たおかげで迷う事もない。

 なんせここは難易度が高くて、初見プレイ時は何度もリロードしたからね。


 ――正式名称【鏡の迷宮】


 迷宮に足を踏み入れた者の姿が、洞窟全体に広がる何枚もの鏡に映し出されるんだけど、その中にこの洞窟のボスであるドッペルが紛れ込んでいる。ドッペルはプレイヤーが迷って足を止めると、死角から時折攻撃してくる為、非常に鬱陶しい。


 しかもドッペルと鏡を間違えて攻撃して鏡を割ってしまうと、その度に報酬が減る。空狐の場合パーフェクトなら五尾手に入るけど、5枚割ってしまった時点で報酬の尾は無しだ。


「うっ…………そや……こんな場所があったなんてうちらですら……」


 迷路のような地下道を抜けた先には鏡の迷宮が待ち構えている。中は上下左右どこを見ても鏡だらけの迷宮で、遊園地の鏡の迷路を壮大にした感じかな。


 残念ながらここはソロ用ダンジョンだし、妖狐族以外にはクリアメリットがないので、今回僕が中の様子を見る事はできない。


 自分で操作出来ないのは不安だから、その分しっかりとクーちゃんに攻略方をレクチャーしておかないとね。

 多分やり直しは効かないし、最低でも二尾は確保してもらわないと、クーちゃんが輸送専用ユニットになってしまう。


「それじゃもう一度大狐湖まで戻るよ」


「えっ?」



―――――――――――――――


☆空狐




「空狐と申します。人族のあるじ様からすれば至らぬ点が多々あるかと思いますが、ご指導いただければ幸いです」


 あかん。


 こうして至近距離で見ても英雄はんの強さがまるでわからへんわ。


 けど今となってはもう、わからんからこそ怖い。情けないけどうちは今、どうやったら英雄はんに気に入られるやろか、なんて事を考えとる。あんだけ反発しとったくせに、結局おとんが望んだ通りになってもうとる。


「僕は堅苦しいのが苦手なんだよね。空狐――いや、クーちゃんって呼んでいいかな? うん、そうしよう。クーちゃんも僕に対しては素で喋ってくれると嬉しいんだけど」


 ほんまに気安うして平気なんやろか……警戒心を解かせようとしとるだけならええんやけど、うちの素は人族の偉いさんからしたらかなり失礼やってのはわかっとる。


 それに例え英雄はんは許しても、周りはどう動くかわからへん。

 側に侍っとる鬼姫は元より、このピンク髪の人族も確実にうちより上や。正確なとこはわからんけど多分おとんより強いやろこいつら……。

 女だらけなのはやっぱ英雄色を好むってやつなんやろな。大聖女も多分英雄はんの女なんやろうし、ほならうちは四番目っちゅうことか……。


 もう何が正解なんかほんまにわからん。せやけど周りも含めて怒らせたらまずい連中なのは間違いあらへん。波風を立てずに、徐々に、そう、徐々に崩していってラインを見極めるんや。


「……ありがとうございます。少しずつ甘えていけるよう努力いたします」


「固いなぁ。クーちゃんは九尾の九ちゃんに近い喋り方が素でしょ。いつも通りでいいんだよ?」


「――――ッ!?」


 なんやて……。


 うちの普段の喋り方を知っとるのは、別にそこまで驚く事やあらへん。前回の件で捕らえた同胞から聞き出したかもしれんし、内通者がおらんとも限らへんからな。


 せやけど天狐様を知っとるのはどういうことや。妖狐族で今2000歳を超えとるのは数える程しかおらん。現役時代の天狐様を知っとるんはいくらなんでもおかしいやろ。しかも九ちゃんやて……?


「あの……不躾な質問で申し訳ありませんが、天狐九尾様をご存じなのでしょうか?」


「えっ、そっち? あっ、いや。もちろん知ってるよ。九ちゃんは時に先生、時にマスコットの万能キャラクターだしね」


 はったりやろか……。いや、けど妙に現実感があるっちゅうか……。

 それに天狐様はうちにも色々教えてくれよったし、先生ちゅうのはわかるんやけど、マスコットってのはなんや。


 ……いやいや、あほかうちは。

 天狐様と知り合いなんがほんまやったとしたら、そもそも人族の寿命で今生きとるわけがないやんけ。それやと英雄はんはほんまもんの神さんって事になるやんけ。


 …………まさか、なあ?


「ま、まあその辺りはどうでもいいよ。それよりもまずはクーちゃんの尾を増やそうか」


 ―――――???


 なんやて?


 うちの尾を増やす???


 そないな事出来るわけあらへん。妖狐族は1~7本の尾を持って生まれるけど、生まれ持った尾以外が増えるのは数千年に一度あるかないかや。


 天狐様は元々七尾でそこから1万年掛けて九尾になったっちゅう話やし、おとんも今は八尾狐狸なんて願掛けの名前を付けとるけど、元は六尾で七尾になったのは8500歳の時や。


 どっちもうちがまだ産まれる前の話やから直接見たわけやあらへんけど、研鑽に研鑽を重ねて死ぬほど努力した末に、尾が二股に分かれて増えるっちゅう話や。天狐様の凄いのは九尾なだけやない。それが二度も起こったっちゅうとこや。


 もちろんなれるもんならうちかて六尾になりたい。


 なりたいけどうちはまだ3000歳。何もかもが不足しとる事ぐらいわかっとる。そないな甘い話があってたまるかいな。



 ……あかん、緊張しすぎてまともに頭が動かへん。


 そもそも今のは笑うかツッコミ入れるとこやったんとちゃうんか?

 うちが素で喋りやすいように英雄はんがネタぶっこんできたのに、何をクソ真面目に考え込んどんねん。


「それじゃ着いたばかりで悪いんだけど、大狐湖まで移動したいから空間を繋げてくれるかな」


「えっ、あっ、はい」







 英雄はんはほんま何もんなんや……。

 うちが空間移動スキルを持っとるんも知っとったし、同盟中やとしても、鬼姫の護衛だけで妖狐の国に乗り込んでくる豪胆さといい、普通やあらへん。


 仮に今うちが裏切ったらどうするつもりなんや。

 …………どうにか出来る自信があるんやろな多分。


 それに入ったが最後、空間移動を使えるもん以外は、二度と出てこられんとまで言われとる迷いの地下湖路を、散歩でもするかのような足取りでスイスイと進んで行きよる。


 迷ってもうちがおるから適当に進んどるだけかと思うとったけど、あっさりと目的地の鏡の迷宮とやらに到着してもうた。


「うっ…………そや……こんな場所があったなんてうちらですら……」


 ゴーレムの件といい、天狐様の件といい、今回といい、普通なら絶対に知り得ないような事を当たり前に知っとるこの人は、大聖女が言うようにほんまのほんまに神さんって可能性まで出てきたんとちゃうかこれ。


 もしそうならうちの尾を増やそうかって軽く言ってたアレも、冗談でもなんでもなくガチの可能性すらあるわけや。とんでもない事になってきたわ。



 にしても入り口が鏡で出来た迷宮なんてけったいな洞窟やな。中はどうなっとるんやろうか……。ここに連れてきた以上は当然入るんやろうけど、鏡の迷宮なんて大層な名前が付いとるようやし、ちょっと不安なんやけど……。


 そんなうちの不安を他所に英雄はんは言ったんや。


「それじゃもう一度大狐湖まで戻るよ」


「えっ?」


 冗談かと思うたけど、ほんまに戻った。

 そしてまた入り口まで行ってまた戻る。


 その道順を覚えるように言われ、20回ぐらい繰り返した後、ようやく迷わずに到着できるようになったんや。


「よしよし、よくできたね。それじゃ次は目隠しして同じ事をするよ」


 英雄はんに言われるがままやってたけど、まさか目隠ししたまま、迷わず到着出来るようになるまでやらされるとは思いもせんかったわ。


 やけどこれで六尾になれるかもしれんと思ったら、んなもん何度でもやったるわって感じや。




 そんで次が本番だからねと、言われるがままに鏡の迷宮に入ってみると全面鏡だらけで、あちこちにうちの姿が映し出されとる。


 こんな状態で道なんかわかるわけあらへんけど、だから中に入ったら目を瞑って進めって言うてたんかと今更やけど納得やわ。


 それまで同様に目を瞑って進めば、聞いとった通り中の道順は外と全く同じみたいで、繰り返し走り抜けた迷いの地下湖路と何も変わらず進めた。


 その後は迷宮に入る前に指示された通り、目的地に到着後3秒待ってから全力で後方を攻撃したんや。



 正直半日も掛けて何をしとるんやろとも思うとったけど、最終的にはコレや。



 確かな手ごたえを感じて後ろを振り向けば、うちと瓜二つの姿をした妖狐が倒れとる。

 なんやこれはと固まっとったら、うちの姿をした妖狐は髪が抜け落ち、目や口も消えていき、のっぺらぼうのようになったかと思うたら、最後は尾だけを残して消滅してもうた。


「いや、まさかやけどコレ…………」


 尾は言うてみれば自分の分身のようなもんや。他のもんの尾は決して馴染まんし死体の尾を拾っても意味なんかあらへん。



 けどや、けどこの死体の尾は…………どこからどう見てもうちの尾なんやけど……。



 ――――手が震えよる。



 落ち着け。落ち着くんや。



 手にした尾をひとつ付けてみた―身体中に力が漲るのがわかる。


 ふたつ――身体が軽い。空でも飛べそうな感覚や。



 みっつ―――力の使い方を理解した。毛の1本1本まで自在に操れる。鬼とサシで闘う事すら怖ない。




 よっつ――――全能感に包まれる。今のうちに勝てるもんなんかおらんとすら思える。





 いつつ―――――うちは……神になった。



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