鬼の国へ

 突然だけどこの種族統一大戦、国によって驚くほど科学の発達具合が異なる。基本的には魔法が使えない種族の国は科学が発達しているけど、魔族や妖狐の国は全てを魔法で賄えてしまうため、殆ど発達していない。


 そして人の国はというと、ちょうど中間ぐらいで科学も魔法も、色々な国の影響を強く受けているんだよね。


 だから今僕たちが乗っている乗り合い馬車の中に、カラーTVが設置されていたりと、現代日本の感覚だとちょっと意味がわからないバランスだ。まあそもそもの舞台が日本や欧米の、近代から中世までごちゃ混ぜだったりするから、単に開発者が適当に決めただけ説が有力だけど。


 ともかく、僕たちは乗り合い馬車で鬼の国へと向かっていた。これから10年もお世話になるつもりの鬼の国だし、最初の印象を少しでもよくする為に、余計な出費は抑えてその分お土産を沢山買っていくつもりなんだ。紅葉は要らないって言うんだけどね。


 とまあそれは表向きの理由で、馬車を使う本当の理由は別にある。人の国にある他の移動手段が、魔法陣によるテレポート移動だからだ。一瞬で目的地まで到着するし、時間効率を考えればそれほど高い金額とも言えない。


 そんなテレポートを僕が避けるのはその仕組みにある。A地点で身体を素粒子レベルまで分解し、B地点でその情報を元に復元する。そんな説明を見てしまったからだ。


 これはもう人体版のテセウスの船みたいなもので、移動先に居る僕は本当に今の僕なのだろうかと考えたら怖くて使えないんだよね。特に中身が本来の人格と違う僕からすれば、そのまま消滅したっておかしくはない。


 そんな理由もあって馬車での移動を選択したわけだけど、鬼の国も通貨は独立してて、人の国のお金は余ったところで使えないし、帰りの事は元から考えてないから、国境の町に着いたら全部土産に使うってのは本当の事。


 なによりこれは僕の無能が招いた結果だ。国に帰るつもりはなかった紅葉に無理を言っての逃避行なのだから、紅葉のご家族へのご機嫌取りぐらいはしなくちゃね。


 さっさと機密を見つけていたら、もっとヒロインとしっかり距離を取っていれば、響先輩も転生者だと僕が先に気付いていたら、たらればはいくらでもあるけど、結局のところ僕が無能だったという結論に落ちつく。


 だって他の人は朱鷺坂院世界のような雑魚や悪役なんかに転生しても、知恵と勇気でその立場をグングンと向上させていって、気付けば皆の称賛を受け、主人公の存在感を掻き消すぐらいの成功を収めるんだ。


 僕が今までよく見てきたのはそういった物語だった。

 実際にもう一人の転生者である響先輩は今、TVの中で大観衆に向かって手を振っている。どう見ても成功者って感じだ。


 初代聖女以来となるフルリカバリーを獲得した事により、大聖女認定され、そのお披露目会が今まさに行われている最中なんだよ。国民は熱狂し、ひと目だけでも響先輩を生で見ようと、国中から人々が押しかけている。


 このゲームの知識を持っていなかったであろう響先輩ですら、目ざとく僕というカモを見つけ出し、口八丁手八丁で育成方法を聞き出し、最後には当初の約束なんて有耶無耶になるよう僕の弱みまで握り、ここまでの成功を収めてしまう。それに引き換え僕と言えば……。


「……」


 過去の転生の結末からもわかってたけど現実は甘くない。彼ら彼女らのサクセスストーリーは成功したからこそ物語になっているのであって、その裏では今の僕のように失敗続きで、惨めに逃げだしている転生者だっていっぱいいるはずなんだ。


 ――決して僕以外は全員成功してるなんて事はないはずだ。きっと。


 それにまだ今世の人生が失敗と決めつけるのは早いよね。生きてさえいれば、こんな僕でもいつか成功できるかもしれない。だから逃げる事は悪い事じゃない。


 ゲーム開始前のこの時期に、鬼の国で僕の知識がどこまで役に立つかわからないけど、とにかくまずは生き残る事を優先だ。







 辺りも暗くなった頃、あちこちが崩れ天井もない廃墟のような建物へと馬車が入っていく。聞けば夜を越す為のキャンプ地らしい。こんなのでも完全な外よりは安全らしい。国境直前の町まで2日って話だったから今日はここで野営だ。


 野営で一番怖いのは、普通なら危険な野生動物や盗賊だろうけど、そこは紅葉が居るので心配はしていない。


 なら現実的な一番の脅威は虫だ。その中でも最も人に害を与えやすい存在。そうだ。もちろん僕には通用しない。


 これだけは僕が人に誇れる強みだ。実際側に森がある事もあって、廃墟寸前の碌に密閉されていない建物の中は虫が入り込み放題だ。


「どうされたのですかヌシさま」


「…………いや、大した事じゃないんだ」


 ニヤニヤしている僕に、紅葉がきょとんとした顔で尋ねてきた。冷静になるとちょっと恥ずかしいな。誇るとこが蚊に対して無敵なだけなのってどうなんだろう……。


 いや、蚊だけじゃない。蜂だってそうだし、刺す虫は全てと思えば……そう、サソリ。サソリに対しても無敵とは結構凄い事では?


 まあサソリも蜂もこの世界でまだ見た事ないんだけどね……。


 それよりもさすがにここは男として、そしてこれから世話になる紅葉へのご機嫌取りを考えても、指輪を貸し出すべきじゃないだろうか。


 自分は沢山虫刺されで被害を受けたのに、僕は無傷だったとなると何も言わないだろうけど面白くはないよね。ここでの投資が近い将来の数年に繋がるかもしれない……。


 だとしたら渡すべきだ。


 「紅葉……。要らないなら返して欲しいんだけど、もしよかったら、これを嵌めておいて……一応虫除けになるから」


 こうして僕は悩みに悩んだ挙句、断腸の思いで大切なお守りを紅葉に手渡した。もしかしたら紅葉が要らないと言うかもしれない。そしたら僕は勧めたんだけどねって言い訳も立つ。


 そんな期待をよそに、あっさりと受けった紅葉は何故かそれを角に装着してた。


 えっ、ちょっと待って。それ指以外でも効果出るの?

 もしそうなら鬼人と竜人と角付きの魔族はアクセスロットが2倍だったりするの?

 うわー。これは検証したい。とりあえずは角のアクセが効果を発揮するのかを注視しておこう。


 なんか思っていたのとは全然違うけど貸して良かったかも。こういった検証は大好きなんだよね僕。




―――――――――――――――


☆紅葉



 ヌシさまとわたしは馬車で故郷へと向かっていた。随分と古臭い移動手段だと思いましたが、聞けば人の国での移動は馬車かテレポートかの二択だそうです。まあ鬼の国でもテレポート以外ですと、ワイバーンでの移動ぐらいしかありませんが。


 テレポートは奴隷交換を始めとして隣町への買い物や遊び等々、鬼の国でもよく利用されています。これだけ便利な移動手段があれば、他が廃れていくのは当然の流れでもあります。


 人と鬼の国は長年小競り合いが続いてはいますが、鬼の国にとっての仇敵である竜人族とは違い、非戦闘員であれば互いの国を行き来するのに何の問題もありません。


 ならば当然テレポートで移動するべきと、金銭に余裕がある者なら誰もが思うところですが、ヌシさまは馬車を選択されました。移動費を抑えて国境の町で手土産を買うと仰っておられるのですが……。


 確かにテレポート移動ですと、直接鬼の国に入れるので、国境付近の人の国で手土産を買う事はできません。けれどそれなら今住んでいる町で買えば済むだけの話ですし……。そこでしか買えないものでもあるのでしょうか。


 ですがそもそも鬼人族は物欲が少ないのです。


 鬼人族が何よりも求めるのは力。それは男も女も同じです。ですから人族が土産を持ってきたところで、別段良い印象は与えませんし、鬼によっては物で取り入ろうとする軟弱者と見做される可能性すらあります。


 それでも敢えて土産を持っていくのであれば、お酒しかありません。ただし酒は皆大好きですが、人族の造る酒は弱すぎて水のようなものです。


 以前、人族の造る酒で一番強いという物を頂いた事があります。アルコール度数96度と聞きましたが、別の意味で衝撃を受けました。あれでは30歳以下の幼鬼ですら酔えません。


 やはり酒は鬼人族が造る火酒や強酸酒などを、魔法で強制濃縮した物に限ります。あの濃縮魔法だけは鬼人族の誰もが欲する魔法と言っても過言ではないでしょう。


 そんな理由もあって、土産は不要なのでテレポートで移動しましょうと伝えたのですが、ヌシさまは頑なに手土産は必要だと仰るので説得は諦めました。いったい何を買うおつもりなのでしょうか。


「……」


 チラリと様子を伺えば、TVを見てヌシさまが何やら渋い顔をされている。画面を見てみれば、最近ヌシさまの弟子となったあの女が民衆に向かって手を振っていました。なんでも大聖女に認定されたとかで、人族の国を挙げてのお祝いの最中だそうです。


 大聖女? 全てを知ってる者からすればとんだ笑い話です。


 その全てがヌシさまから与えられた力なのに、まるで自身の成果のように誇るなど、こんな恥知らずな弟子を持ったせいで、師であるヌシさままでもが恥じておられる。


 今回ヌシさまが突然鬼の国へ向かうと言い出したのも、実の所この恥知らずな弟子から距離を置きたいなんて理由もあったりするのではないでしょうか。


 他に考えられるのはわたしとの婚儀の為……なんて考えは少々気が早いでしょうか。けれどあり得ない事ではないのも確か。


 18歳までに妻を決める約束ですが、逆に言えば今日明日に決めてもおかしくはありません。妙にわたしの家族を気にかける節がありますし、手土産の為と移動資金を節約までされているのですから。


 なによりヌシさまがこの旅に、他の者の同行を許さなかった事が大きい。どうしても期待してしまいます。


 そしてそれはこの日の夜にほぼ決定的なものとなりました。




 「紅葉……。要らないなら返して欲しいんだけど、もしよかったら、これを嵌めておいて……一応虫除けになるから」


 ニヤニヤしたかと思えば、急に真面目な顔に戻ったり、何やら挙動不審なヌシさまが渡してこられた物は、いつもヌシさまが肌身離さず大切になさっている指輪。これは……そういう意味でいいのですよね。


 いえ、焦ってはいけません。プロポーズの時のような種族の違いからくる誤解がないとも限りませんし……。


 しかし明らかに緊張している様子のヌシさま。それに他の男除けむしよけとまで言っておられる以上、さすがに種族間で生じる誤解の余地もないとは思いますが……。


 なんだかもどかしい。けれどはっきり仰ってくださいと迫る気が起きないのは、このれるような時間も堪らなく愛おしいからでしょうか。


 なによりあせる必要がありません。これから暫くの間、ヌシさまとわたしはずっと一緒なのです。今は乗り合い馬車で周囲に人も多くいますが、鬼の国に入れば誰の邪魔も入らなくなるでしょう。


 ヌシさまの前で角に指輪を通して見せると、興味深そうにそれをじっと見ておられます。


 鬼人族が指輪を角に通す意味はさすがにご存知でしょうか?

 とても嬉しそうな表情のヌシさまを見るにわかっていそうではあるのですが。


 ……そういえば角がない人族はこういった場合どうするのでしょう。


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