よろしい、ならば逃亡だ。
「世界様。次のご指示をいただきたく存じますわ」
響先輩の態度が急変した。もちろん理由はわかっている。彼女はフルリカバリーを獲得した事で、僕の育成能力を認めたのだ。単に嬉しかったってのもあるだろうけど。
「えっと、様付けはちょっと……ほら、響先輩の方が学年が上なんだし……」
Aクラスのカースト頂点たる聖女様。その響先輩が教室内でこんな事を言ったものだから、当然教室中の注目を集める事になった。
「いいえ、学年など関係ありません。偉大な師たる世界様に敬称を付けるのは、
「えぇ……」
いくらなんでも変わりすぎじゃないかな。ビシリと90度の角度で深々と頭を下げ謝意を示す響先輩。おかげで教室のあちこちからヒソヒソと僕の噂話が聞こえてくる。
「とりあえず、場所を変えようか……」
多分もう遅いけど……。
だけど空き教室に移動したのは間違いだった。二人きりになると雰囲気が一転し、響先輩は腕を絡ませ身体を
「響先輩、ちょっと距離感が……」
「是非カタリーナとお呼びください、世界様」
まいったな。彼女にとってフルリカバリーのスキル獲得がここまで大きなものだとは思いもしなかった。
媚び媚び聖女様は何気にかなりグッとくるんだけど、それは僕相手じゃなくて主人公相手にやってもらわないとね。ここで下手な事をすればリリアの二の舞だし。
流れを変える為に今後の育成プランを話すことにする。
「えっと、次は昨日やったリカバリーをフルリカバリーに変えて同じことをしてね。ただし、フルリカバリーは連発する魔力はないだろうし、かといって余らせるのも勿体ないから、その後は初級魔法を順番に使ってもらうよ」
「はい!」
僕が指示を出すと、一瞬で真剣な表情に切り替えた彼女は元気いっぱいに返事をしてくれる。
「使う魔法はライトとスパークね。それから今後、火魔法と近接は捨ててもらう事になるよ」
機嫌が良い時に、さらっと言い出しにくかった事を伝えておく。ランスを使った近接も、母親直伝の火魔法も、どちらも響先輩の代名詞のような攻撃手段で、彼女自身それらに強い誇りを持っている。
だから最適解には必要がないスキルであっても、ゲーム時代のように強制的に変更するわけにもいかないし、それを聞かされた彼女がどんな態度に出るか想像が付かない。
「はい。近接と火は捨てますわ」
――――と思ってたのに響先輩は一切の迷いなく即断した。
それでちょっと気が動転してたんだと思う。
「ところで世界様は今回が初めての転生なのですか?」
「いや、さんかいめ…………えっ」
何気なく聞いてきた彼女の疑問に、普通に返答してしまったけど、とんでもない事を聞かれていた。
「まあ、そうでしたのね。ちなみにわたくしの他に知ってる方はおられますの?」
「えっ、いや……いない、よ」
そう答えると彼女は花が綻ぶように笑う。
「ではこれからは周りへのフォローも含めて、わたくしがお側でお仕え致しますわね。生涯」
僕はこの時、八百屋のシゲさんが聞かせてくれた教訓を思い出していた。
坊主、大人になったら生保レディには気を付けろ。奴らは最初は短いスカートを履いて誘惑し、話を聞いてくれるだけでいいと言ってくる。
話を聞いているうちに、文面にしないと分かりにくいでしょうから、
見積りを出した次は、後で嫌になったらクーリングオフ出来ますし、仮の契約みたいなものですから。近いうちにまた来ますし、2~3日考えて不要と思われたなら、お電話1本でキャンセル処理しますから、その時は遠慮なく言ってくださいね。と畳み掛け、半ば強引に判子を押させる。
当然俺は2~3日したら電話でクーリングオフするつもりだったが、その次の日の事だ。その子が菓子折りを持ってきて言うんだ。「今まで契約が1本も取れなくて、もう田舎に戻って結婚するしかないのかなって思ってたけど、シゲさんが契約してくれたのでもう一回頑張ってみます」ってな。
さすがに菓子折り片手に、涙目でそんな事を言われりゃ、解約しますだなんて言えやしねぇ。だが不思議と後悔はなかった。必要のない保険に入ったってのに、俺ぁむしろ妙な満足感すら感じていたんだ。
それからもその子はよく店先に顔を出してくれたし、やり繰りが苦しくて解約したいなんて思った時もあったが、その子の初めての契約を消しちまうわけにはいかねぇって、歯ぁ食いしばって耐えたもんだ。
――――肉屋のヒロシも同じ手口で同じ保険に入ってたって知るまではだがな。
いいか坊主、もう一度言う。生保レディには気を付けろ。これは俺が7年間高い保険料を払い続けて得た教訓だ。忘れるんじゃねえぞ。
確かに僕はゲーム知識を利用して、最高効率での育成を試みた。だけどそれで、この人転生者かも。なんて考えに至るのは、自身も転生者である場合だけだと思う。
なんでもするとの甘い文言に釣られ、言われるがまま育成した後は、いつの間にか当初の約束なんてうやむやになっていて、むしろこちらが弱みを握られているような状態だ。
そう、つまり僕は八百屋のシゲさん同様に、前世は生保レディの類であろう百戦錬磨の響先輩にカモにされたんだ。このまま行けば骨までしゃぶられるに違いない。
聖女ちゃんの正体は生保ちゃんだった。
この衝撃の事実を受け、もはや僕には一刻の猶予も残されていない事を知った。
僕以外にも転生者が居るのが確定した。この事実は重い。ヒロインが全員落とされていようとも、プレイヤーの魂が入ってない主人公であれば、ワンチャン気付かないままなんて可能性もあったけれど、こうなってくるとそれも期待薄だ。
いや、本当に落としているのかはちょっと疑問ではあるけどね。リリアはユリアさんに言われてお金目的の可能性も高いし、紅葉も恩を感じてって部分が強いだろうし、生保ちゃんに至ってはむしろこちらが落と(脅)された方だし。
こうなってくるとモテフェロモンの存在も怪しくなってきた。あるよね。なんかモテてるな僕って思ってたら、ただの勘違いで恥ずかしい思いする事。
正直危なかった……。もうちょっとで中身まで本格的にナル男化するところだったよ。これが魂が身体に引っ張られるって事なのか。
いや、そんな事よりもだ。主人公にプレイヤーの魂が入っている可能性が高まったということはだよ。
当然ゲーム開始時までに鍛えるだけ鍛えて、元から最強ユニットなのに更に無双状態にした挙句、模擬戦とかで驚く皆に、それって俺の魔法が弱すぎるって意味だよな? とかやって遊ぶに決まってるよね。僕なら確実にやる。
そして当然ヒロインであるリリアや聖女との出会いも、どちらにしようか舌なめずりして考えながら待ち焦がれているはずだ。
そこに登場したるは両ヒロインを落とした? ナル男。うん、言い訳とか絶対通じない。これ僕確実に死ぬよね。
―――――逃げるしかない。
それも一刻も早く。だけどどこへ逃げればいい?
エルフ国へ亡命する為の最重要ピースである機密はまだ見つかっていない。探してる間に主人公に僕の存在を知られたらゲームオーバーだ。
機密なしで亡命を試みる?
門前払いを食らって帰ってきた先には笑顔(殺意MAX)の主人公。……却下だ。
僕を確実に受け入れてくれる国であればこの際どこでもいい。潤沢な逃亡資金を持って逃げ、美人なエルフのお姉さんとの自堕落なスローライフが理想だったけど、もう贅沢は言ってられないよね。
とにかく今すぐにでも人の国から離れないと!
エルフ以外の国となるとドワーフ、妖狐、竜人、鬼人、魔族。周りが全て敵の魔族だけはないとして、確実に受け入れてくれる場所となると……。
そうだ。紅葉の伝手を頼れば鬼人族であればきっと受け入れてくれるのでは?
僕が小学生低学年の頃、親戚のおじさんがうちに泊まりに来た事がある。
最初は2~3日って話だったのに、こっちが気に入ったからと部屋を探すまで、仕事が決まるまで、なんて言いながら結局半年ぐらいうちに住んでた。
人間の寿命で半年なら鬼に換算すれば5年。いや、僕は一応紅葉を治してあげた恩人だし、粘ればその倍の10年いけるかもしれない。
10年も経てば主人公も、怒りを忘れて新たなヒロインを発掘してるに違いないし、しれーっと帰ってきても殺されなさそうな気がする。勿論あわよくば永住を狙うけど。
これはなかなか良いプランなのでは?
そう、あくまで最初はちょっと用事があるんだよねーぐらいの軽いノリで、ちょっと気に入ったから少し滞在させてねーからの、なし崩し的10年プランだ。
親戚のおじさんありがとう。あの時は駄目な大人だなぁ、なんて考えてごめんなさい。これからはおじさんが僕の心の師匠だよ。
そんなわけで鬼の国へ逃げようと決めた僕だけど、どうしても今すぐ鬼の国に向かわなければならないって主張する僕に、響先輩もリリアも当たり前のように付いてこようとした。
さすがにそれはまずい。だってもしあの時おじさんが夫婦と子供とかで3人で来てたとしたら、うちの親もあんなに長く世話をしたとは思えない。
二人には今回は内密に動く必要があるし、すぐ戻ってくるからその間は修行しててねと、育成プランを提示して逃げるようにして旅に出るのであった。
さあ鬼の国で夢のニート生活だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます