指輪の検証

 予定通り肉壁を手に入れた。


 それはいいんだけど、ちょっとこの子パーソナルスペースが狭すぎる。ヒロイン枠ではないのでそういった意味合いでない事はわかっているんだけど、常に腕が触れる距離で隣を歩いている。


 全クリ済で紅葉√が存在しない事は知ってるし、そもそも好感度パラメーターが無いから勘違いしないけど、事前情報なかったら絶対これ僕の事好きだろって勘違いしちゃってるよ。


 隣を歩く紅葉を横目でこっそり観察してみると、何やらニコニコしており楽し気だ。どれくらいの期間を奴隷市で過ごしたのかはわからないけど、解放感が凄いだろうしね。


 それにしても世界ぼくと同じでゲーム時代よりはまだ若干若いはずなのに、ゲーム時代のビジュアルと何一つ変わらないのは、鬼人族は寿命が長いから成長が緩やかなのかな。


 見た目の年齢は僕より若干上、15,6才に見える。腰まで伸びた長いストレートの黒髪にスッと通った鼻筋。クリっとした大きな目は目力が凄い。よく言えばクールビューティー、悪く言えば融通が利かず生意気そうって印象だ。


 戦闘ユニットなのに無駄にキャラデザが良い。……あれ、そういや紅葉って二本角だったっけ? 記憶では額の一本角だったはずなんだけど。まあ何かあった時肉壁になってくれるならなんでもいいか。


 そうして紅葉を観察しながら屋敷への帰り道を歩いていると、目の前を蚊が通り過ぎた。ちょっとびっくりだよね。元々はゲームなんだよこの世界。元からそこまで作り込んでたのか、リアルになった事で変わったのかどっちなんだろう。


 そこで僕はフと思ったんだ。この前手に入れた刺突完全耐性の指輪だけど、これって蚊にも効果あるんだろうかってね。蚊の針も一応刺突扱いなんじゃないかなとは思うんだけど、細すぎるしそもそも攻撃判定じゃない気もする。


 気になったら確かめずにはいられない。僕は蚊を追おうと決めた――けどすぐ見失った。ほら、蚊って小さいしね……僕が無能なせいじゃないよね。


 そうだ。それならこの先の川辺にいけばいっぱい蚊がいるんじゃないかな。屋敷とは方向が違うけど、特に急ぐ用事があるわけでもないし構わない。


「ヌシさま。何やら羽虫が飛び回っているようです。処理しましょうか?」


「ああ、鬱陶しいかもしれないけど気にしないで。ちょっと確かめたい事があるから殺さないでね」


 僕は見失ってしまったけど、紅葉はまだ蚊の位置を把握してるようだ。けど今殺されると困るんだよね。指輪の刺突耐性の検証がしたいから。


 本当は蚊の現在地を聞いて、近くで待機するのがいいのはわかってる。けどなんとなく、今どの辺りを飛んでるのって聞くのは恥ずかしい。


 うわっ…わたしのヌシさま動体視力低すぎ…? とか思われたくない。一瞬で見失っておいてなんだけど、それくらいのプライドは僕にだってある。


 結局僕らの近くを飛び回ってた蚊は刺しにこず、川まで到着してしまった。途中で刺しにきてくれれば手間が減って良かったのに。まあ見失った僕が悪いんだけどさ。


「余計なひと手間だったけどここなら間違いないよね」


「もう片付けてしまっていいですよね?」


「悪いけど今回は見てるだけでお願い。あと一応離れておいてね」


 少し頬を膨らませ、不服そうな顔をする紅葉だけど、耐性チェックなのに倒されちゃ元も子もないんだよ。それに紅葉が刺されたら意味がないし、紅葉だって痒くなって困るでしょ。


 川には期待通り蚊がぷ~んと何匹か飛んでいた。だけどなかなか刺しにこない。蚊はメスしか刺さないって聞くし今見えてるのは雄なのかな。


「刺すことも出来ない雄って何の価値があるんだろうね」


 なかなか刺しに来ないのでタイタニックポーズで目を瞑り、全力で無防備を晒してみた。蚊相手に効果があるのかはわからない。


「ほらほら、僕は今無防備だよ~」


 すると僕の思いが通じたのか、右腕の辺りに念願の蚊様が止まってくださった感触が!

 同時にその時、後ろで何やら足音がした。多分紅葉が我慢できずに来ちゃったんだろうけど、今はちょっと動けない。


 なるべく身体を動かさないようにしながら、薄目で確認を続けていると遂にその時が来た。



 ――蚊が針を刺そうとして……弾かれた!



 やった、やったよ。刺突耐性は蚊にも有効だった。これなら夏場でも窓全開で寝るのが怖くない。ゲームでこういう風に新たな検証する時ってやたら楽しいんだよね。


 もはや僕を傷付けられる蚊は存在しない。蚊という種族は僕の前に膝を折る事になったのだ。


「ふっ、雑魚め……」


 それに針が通らないだけじゃなくて、弾き飛ばされるのは面白い発見だった。やっぱり画面を通して見てるだけじゃわからない事って多いね。


 蚊との死闘に完全勝利した僕はドヤ顔で振り返ったが、そこに紅葉はいなかった。近くで足音がしたと思ったのに気のせいだったらしい。少し遠くに背を向け走っている男が二人見えるから、彼らのランニングの足音だったんだろうね。


 誰もいないのにドヤ顔をして振り向いた僕を、紅葉が興味深そうな顔で見ていた。こういうのは認めたら負けだ。何事もなかったかのように僕は堂々と言い放った。


「さて、屋敷に戻ろうか」





―――――――――――――――


☆紅葉




 エリクサーを飲んで回復したわたしの姿を見た奴隷商人は、驚きに目を見開いたまま固まっていた。二束三文でしか売れないと思っていた老鬼が、若く健康な女鬼へと変貌を遂げたのだからそれも仕方のない事かもしれません。


 おそらくは安値で手放すのが惜しくなったってところでしょうか。

 ヌシさまは気付いておられませんが、奴隷市を出て以降ずっと付けられている。というよりもヌシさまはずっとわたしをチラチラ横目で伺ってらっしゃる。


 わたしはヌシさまの妻となったのですから、遠慮せず好きなだけ正面から見て頂いて何の問題もないというのに。


 これが鬼人族の男であれば、正面から遠慮なく身体を舐め回すように見てくる。そして不快故にぶっ飛ばし、次からは伏し目がちでわたしに視線を向けなくなるのが常だった。


 けれどそういった鬼人族とは違った奥ゆかしさもまたヌシさまの魅力であり、その遠慮がちな視線を受けているのも悪くありません。なんだか楽しい気分になってくる。


 そんな気分を台無しにしてくれる後ろの二人。さてどう処理してあげましょうか。一応先にヌシさまに断りを入れておくべきでしょうね。


「ヌシさま。何やら羽虫が飛び回っているようです。処理しましょうか?」


「ああ、鬱陶しいかもしれないけど気にしないで。ちょっと確かめたい事があるから殺さないでね」


 恐らくは荒事用に雇われた奴隷商の用心棒。それなりに訓練を積んだ相手のようなのに、失礼ながら大した強さを感じさせないヌシさまが気付いていたのは意外でした。


 わかった上で泳がせていたのですね。ですがヌシさまの確かめたい事とはなんでしょうか。考えられるのは、いつから付けられていたのかわかっていなくて、どこの手の者かを知りたいといったところでしょうか。


 奴隷市を出た時からずっとですよ、と教えるのは差し出がましいかもしれません。種族が違えば持っている矜持も違うでしょうし、聞かれたら答えるぐらいに留めておくのが無難ですかね。


 そのまま襲われるのを待っているかのように人気の少ない方へと進んでいくヌシさま。最終的には完全に人気のない川辺に到着しました。

 

「余計なひと手間だったけどここなら間違いないよね」


「もう片付けてしまっていいですよね?」


 やはり奴隷商の手の者を誘っていたのは間違いなさそうです。けれどヌシさまはお世辞にも強そうには見えませんし、しっかり守って差し上げないと。


「悪いけど今回は見てるだけでお願い。あと一応離れておいてね」


 そう思っていたわたしに、無用な心配とばかりに離れて見てろと仰るヌシさま。ここまで言うからにはそれなりの自信はあるのでしょうけど、生涯を掛けて守ると誓ったわたしからすれば些か……いえ正直言ってかなり不満です。


 ですが守るべきヌシさまの実力を把握しておくのも大事な事と思い直し、少しばかり距離を取り観察していると、それでもなかなか襲ってこない奴隷商の放った刺客をヌシさまが挑発しはじめました。


「刺すことも出来ない雄って何の価値があるんだろうね」


 背を向け両手を広げ、恐らく目も瞑っているヌシさま。さすがにそれはやり過ぎじゃないかと心配になりましたが、まだまだ余裕がありそうにも見えます。


「ほらほら、僕は今無防備だよ~」


 さすがに頭にきたのでしょう。後方の茂みから飛び出した二人の男は、挟み込むように位置取りヌシさまに急接近。どう対処するのかと見ていましたが、ヌシさまは一向に動かない。


 えっ、うそ……。まさか敵の接近に気付いてない?


 誘っていながらそれに気付かないなんて、そんな馬鹿な事があるわけがない。そうは思いつつも、もう手が届くという距離まできても振り向こうとしないヌシさまに、最悪の展開が頭をよぎった。


「ふっ、雑魚め……」


 けれどそれは無用な心配でした。ヌシさまの背にナイフを突き立てようとした男たちは、背中を抉るどころか逆に大きく吹き飛ばされてしまったのです。


 きっと刺客が想定よりも弱すぎたのでしょう。ヌシさまは何事もなかったかのように仰っいました。


「さて、屋敷に戻ろうか」


 わたしのヌシさまは思ってたよりもずっと凄い人族なのかもしれない。


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