聖女様のキス

 翌日、俺は九条さんがをした意味を延々と考えていた。昨日家に帰って来てからずっとである。ごはんを食べる時も風呂に入る時も何をしていてもその事が頭に浮かんで離れない。おかげで寝不足だ。


 昨日右頬に感じた感覚、あれはおそらく「キス」…だと思う。いや、俺もこの短い人生でキスなんてされた経験がある訳じゃないから絶対にそうだとは言いきれないけれど。

 

 でも耳に聞こえた「チュ」という音とあの湿った柔らかい感覚はそうとしか思えなかった。


 試しに自分の唇を右手に押し当てて感触を確かめてみる。


 …うーん、似ているかもしれないけど、あの時の感触はもっと柔らかかった様な…? ん? それって九条さんの唇が柔らかいって事…?


 俺は九条さんの瑞々しい唇を想像してしまい顔を真っ赤に染める。


 …って何を想像しているんだ!? 今重要なのはそれじゃない! 九条さんが何故あんな行動をしたかだ。


 …仮にあの時の行動は「キス」だと仮定しよう。


 だとしたら何故彼女は俺に「キス」なんてしたのだろうか? 今まで助けてあげたお礼にしてはちょっとやりすぎな気がする。


 まさかとは思うけど俺の事が「好き」…とか? 


 いやでも、それはあり得ないか。だって九条さんは学校で「聖女様」と呼ばれている人気者で俺はただの嫌われ者の悪人面。


 彼女は選ぼうと思えばそれこそ高校内の誰でも…イケメンから金持ちに至るまで選び放題なのである。…すでに彼女がいたり、同性愛者とかでもない限りは九条さんの告白を断る男子生徒なんていないだろう。


 そんな彼女がわざわざ俺を選ぶだなんてあり得ない。それは自分の都合よく考えすぎだ。


 しかし九条さんが俺の事を好きという事実を否定しようにも、頭の中に彼女が最後に言った言葉が引っかかる。


『これが私の気持ち! ちゃんと受け取ってね!//// 誰にもはやらないんだからね。そういう事!////』


 「気持ちを受け取って」「誰にもはやらない」。直訳的に解釈するなら…他の誰でもない俺にだけ、この自分の気持ちを受け取って欲しいという風に解釈できる。


 これって…遠回しな告白なのでは?


 いや待て、そう考えるのは早計だ。まず「彼女の気持ち」というのが「好き」という気持ちではなく俺に対する「感謝」の気持ちだと解釈する事もできる。


 つまり特別恩のある俺に感謝の気持ちを受け取って欲しいと、そういう意味にもとれるのだ。


 …だが感謝の気持ちを伝えるのにキスをする必要などあるのだろうか? 彼女には言葉で「ありがとう」とお礼を貰ったし、その上お菓子やクッキーも貰った。それに加えて更に「キス」…やりすぎな気がする。


 そして俺の問答はまた最初に戻ってくるのである。こんな感じで俺の頭の中は同じ話題がずっとループし続けていた。


 今までの俺の人生は否定の連続だった。女の子に話しかければ問答無用で怖がられ、叫び声をあげて逃げられる。普通に話す機会すらも碌に与えられない。


 俺と普通に会話してくれる異性と言えば…これを異性に含んでいいのかどうかは分からないが、母親と子供会のおばちゃんたちだけ。


 人生でモテた経験どころかまともに同世代の女性とコミュニケーションを取った事のない俺にとって、九条さんの行動を理解するのは非常に難解な事だったのである。



○○〇



「ふぁぁ…」


 週が明けて月曜日になった。俺は大あくびをしながら学校に登校する。日曜日の夜も引き続きずっと悩み続けていたので俺はかなりの寝不足だった。


 確か…ようやく眠りにつけたのが午前5時とかだった気がする。そして7時に目が覚めたので今日は2時間程度しか寝ていない。


 …授業中起きていられるだろうか? これでも授業は真面目に受けているのだ。


 土曜日に九条さんがとった行動について…俺はずっとその意味を考えていたのだが、結局結論が出せないままでいた。


 そして考えに考えた末に…俺はそれを一旦保留にする事にしたのである。


 九条さんのとった行動の意味がどういう意味であれ、自分の勝手な思い込みのせいで彼女との関係が壊れてしまう事を俺は最も恐れた。せっかく得た自分の数少ない理解者を自分の勝手な思い込みが原因で失いたくはない。


 彼女との関係が壊れてしまうぐらいならば…あの時の彼女の行動の意味を俺の憶測で判断して軽率な行動をするべきではない。そう思ったのだ。


「おい…極道の奴また人を殺してきたみたいな目してるよ」「目を合わすな」「ひぇぇ~~!! お助けぇ~!!」「あわわわわわ!」「怖すぎ…ヤ〇ザの組長かよ」


 …寝不足の俺の顔は相変わらずいつもより怖いらしい。教室に向かう途中で俺とすれ違う生徒たちが軒並み叫び声をあげ、怖がって逃げていく。もうこういうのは慣れたよ。何度見たか分からん。


 俺は教室の扉をガラリと開けて中に入り、自分の席へと向かう。


「おう、おはよう。…今日のお前の顔は一段と怖いな。昨日徹夜でアニメでも見てたのか?」


「まぁそんなところだ」


 前の席に座る茂雄が後ろを向いて挨拶してくる。茂雄までこんな事を言うなんて、今日の俺の顔はよっぽど怖いらしい。一応今朝学校に行く前に鏡で自分の顔を確認したが、自分ではいつもとそんなに変わらないように思えた。


 俺は席に座って鞄の中の教科書類を机の中に移動させる。


「おはよー!」


 するとその最中に珍しく九条さんが登校してきた。彼女はいつも遅刻ギリギリの時間帯に登校してくるのに珍しい。


 偶然にも俺と彼女の目が合う。彼女は俺の顔を見るやその頬をサッと朱色に染めた。


 九条さんのその仕草に俺の心臓がドキンと高鳴る。それと同時に頭の中に土曜日のアレが再生された。おそらく…今の俺の顔も真っ赤に染まっているに違いない。


 …平常心平常心。土曜日の事は意識するな。いつも通り接していけ。…でないと彼女に嫌われるかもしれない。


 再び九条さんの方を見ると彼女は他の友達に挨拶を返していた。彼女は人気者なので登校するとすぐに周りに人が集まって来るのだ。


 少し目が合っただけでこれだ。俺はこれからの学校生活に耐えられるのだろうか。深呼吸をしてなんとか精神を落ち着けると俺は机の中に教科書を入れる作業に戻った。



◇◇◇


では本格的に連載に入ります。よろしくお願いします。


主人公はかなり悩んでいますが、それほど長くは悩まないのでご安心を

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