8.After the storm

 那々木親子を自宅に連れ帰った後、自分の身に起こった数々の不可解な出来事について語った。絶叫の後に見られた奴ら─今後は感染者と呼称する事となったが─の異常な行動、奇妙なタコもどき及びそれらによって引き起こされたであろう限りなくリアルな幻覚の症状等、そのどれもこれもが恐ろしくも到底信じがたい事ばかりだったが、自分の見目の悲惨さが何よりも如実にそれらが嘘ではないと証明していたためか、困惑はあれど、一先ずは信じてもらえた。


『まだ確実とは言えないが、やはりタコもどきと感染者は共生関係にあると考えていいだろうな』


 そうは言ったが、状況から見てほぼ確実と言っていいだろう。感染者が大量に詰まっていたあの体育館にあの数が巣くっていたのだ。それに、タコもどきはその断末魔を持って助けを呼んでいたようにも見えた。となるとあの絶叫は...いや、やめよう。この懸念は彼らを無闇に不安にさせるだけだと思えた。


『それで、今後の行動方針を決めたいんだが...ここに留まって様子見を続けるか、脱出をするか、大きく分けるとこの2つだと思っている』


「俺としては脱出を推したいな。ゾンビ映画とかでは村や小規模な集落は人口が少なくて、感染が広がりづらくて、ある程度の自給自足が効くっていう定番のスポットだったりするんだけど、アーサーの偵察によると少なくとも村の南側は全滅しているのが濃厚っぽいから望みも薄いだろうし、それが最も安牌に近いと思う」


「私はもう少し留まりたいわね。助けが来てくれる可能性はまだ否定しきれないし、外部と連絡が取れるかもしれない、その外の情報が一切無い現状、焦って下手に動くのも危ないと思うわ...」


 どっちの意見もご尤もである。まだ事が起きて2日経っていない事を考えると、様子見をしても良いように思える。それこそ自衛隊の救助を要請できれば、強硬策に出るまでもなくこの事態は収束に向かうかもしれない。しかし、それは希望的観測という面が強い。食料等々の問題で長期間立て籠もる事は現実的ではない事を踏まえると、やはり次善策として脱出は念頭に置いておくべきだろうな。


『あいわかった、では間を取って最低一週間は様子を見た後、この村から出ていく事にする。その間、他の物資や生存者の捜索等も並行して行う事にする。過剰じゃないなら人手は欲しいからな。勿論、異論や提案があれば聞きたい』


 そう言うとガタッと椅子を鳴らしながら恵子さんが立ち上がる。そしてまるで怒るかの様な表情を浮かべ...


「アーサーさん!あなたはご自分自身の有様を理解してるんですか!?」


“もちろん”そう紡ごうとした口が即座に閉じる。当然の事である。両手は血まみれで上着も同様、中に着てるシャツには汗と血が同時に染み込んで最低のアトモスフィアを醸し出している。更には鏡を見てみれば顔にも血、おまけのように両頬には吸盤の跡。恵子さんの表情が優れないとはいったが、明らかに俺のほうが酷い。こんな面では感染者と見分けがつかないだろう。よくついてきてくれた物だ。


『とりあえず...風呂だな』




 *




 幸い、水道は問題が無かったようで、なんとか汚れを落とす事が出来た。この辺に水場は無いので正直危ないところだった。こういった事態なので湯舟は念の為真水で満たしておいた。いざという時の水源として利用できるかもしれないからだ。


 体を拭きながら今後の事を考えていると、龍之介が真剣な顔をして風呂場の外で待ち構えていた。


「なぁ、アーサー。頼みがあるんだがいいか?」


『なんだ?言ってみろ』


「外に行くなら今度は俺を連れて行って欲しい。あんたにばかり任せるのは筋が通ってない様に思う。言ってただろ?人手が欲しいって」


 そう提案してきた。しかし


『ダメだ。お前に度胸があるのは認めるが、それだけじゃ足りない』


 到底容認は出来なかった。実際の所、人手が欲しいというのは本音ではあったが、俺が2人分頑張ればいい話である。そういった荒事に慣れていない彼らを巻き込むのは間違っているように思えた。それに、誰かを殺す感覚なんて知らないほうが良いに決まっている。状況が悪化すればそういう事も必要だろうが、まだ時期尚早だろう。


「度胸以外もあると...そう証明すればいいんだな?」


『どういう事...』


 そう言い終える前に龍之介は何を考えたかこちらに突進してきた。咄嗟に防御しようとするも、伸ばしたその手を掴まれ。気づいた時には転ばされ寝技に持ち込まれ、所謂...腕ひしぎ十字固めの状態になっていた。腕が伸び切って全く力が入らない。ここからでもやりようはあったが、さすがに怪我をさせると思ってやめた。


『オーケー、降参だ。訂正しよう。体の使い方わかるようだな』


 正直驚いた。最初に銃を突きつけられ、対峙した時から妙に堂に入った構えをしていると感心していたが、まさかここまでとは思わなかった。体格差もそれなりにある事に加えて、軍事訓練を受けている自分がここまで一方的にやられるのは...驚異的と言えた。


 手をひらひらと振り、降参の意思表示をすると拘束を解いてくれた。どうやら本気らしい...。ここまでセンスがあるなら一考の余地は...いやしかし...。


「別に積極的に何かをしたいってわけじゃないんだ。ただ、あんたの話から察するに...例のタコもどきには不意を打たれたみたいだったし、ツーマンセルの方が確実に生存率は上がるだろ?つまらない事であんたが死ねば、どちらにせよ俺かかーちゃんのどっちかは外に出なきゃいけないし、武力として優れてるあんたについていって経験を早めに積んだ方が確実に今後の為になると思ったんだ」


 実に合理的である、ぐうの音も出ない程に。故に


『わかったわかった。でも条件は付けるぞ』




 *




 翌日の朝、約束通り、俺は龍之介を連れて外に出ていた。銃は使い方を一通り教え恵子さんに預けてある。どちらにせよ派手にやれば感染者を多く集めるのは目に見えていたからだ。一人で置いてくるのはやはり心配だったが、こんな状況だ、いつかはリスクを冒す必要があっただろう。


『リュウ。いいか?事前に伝えた通りだ。俺が先頭ポイントマンお前は補助カバーに回れ。あと』


 名前は龍之介では長く、いざというときに困るので短くリュウと呼んでいた。


「“俺の言う事は絶対”だろ?了解だ」


 預けてあるククリをひらひらと振りながら生意気にもそう返してくる。今回、俺の得物はキッチンにあったナイフである。龍之介には刃渡りが長く、体重を乗せやすいククリの方が適任だと思ったからだ。森を抜けると那々木家付近に出た。ここまでの道中に感染者の姿はなかった。生態なのかは知らないが、こちらとしては助かるばかりだ。暫定とは言え安置があるというのは非常に心強い。


 今回の主目的は龍之介からの提案で弾薬の回収だ。伝手はあるようで、今回はその場所へと向かっている。予想通り村は奴らがうろうろしていたが、タコもどきの姿はない。あそこから動かないとするならばうれしい限りだが果たして...。


 石を投げたりして奴らの視線を逸らしながら間を抜けていく、間抜けな表情をしていても五感は鈍っていないと考えるべきだろう。そこに驚異的な筋力も加味すると決して油断できる相手ではなかった。しかし、運が悪くも目的地の平屋付近には2匹もうろついていた。


“前方 2匹 待機”


 事前に取り決めたハンドサインでそう伝え、物陰に身を隠すよう指示した。


 そろりそろりと一匹の背後に忍び寄り、一定の距離まで近づいた後、念の為、自分とは正反対の方向に小石を投げて注意を逸らす。そして、そいつがその方向に反応を示した瞬間、一気呵成に飛びかかった。首元を抑えて一息でナイフをぶっ刺す。叫ばれないかと心配したが、嬉しい事にそのまま物言わぬ骸と化してくれた。だがもう一匹残っている。ちょうど良い、教材になってもらおう。


“やれ”


 物陰からこちらを伺っていた龍之介にそう伝える。そこからは俺の動きの焼き直し、危なげなくククリを振り下ろし最後の一匹を処理していた。言葉にしてしまうと簡単に聞こえるが、これは驚異的と言えた。数日前まで平和に暮らしていた人全てがこの様に躊躇なく命を殺せるかと聞かれれば答えは間違いなく“否”だからである。すぐにカバーに入れるよう準備までしていたというのに...やっぱりこいつはとんだ傑物かもしれない...。


『リュウ、大丈夫か?』


 そうは言ってもやはり心配である。念の為駆け寄り、肩に手を掛け様子を伺う。


「あ...ああ、問題ない。やれる」


 脂汗を滲ませながらそう返答してくる、ああ言ってもやっぱりキツかったらしい。だが、休んでいる暇はない。この付近の感染者は処理できたがまた集まってくるとも限らない。すぐに龍之介を連れて玄関口へ向かう。ドアを開けると中は静まり返っていた。


『いくぞ』


 そう伝えると事前の打ち合わせ通りにドアを閉め、音が外に漏れないようにした後に適当に壁を数回叩いた。中に居た場合の事を考えて不意打ちを防ぐためである。乾いた金属音が響き渡って数秒待ったがやはり人の気配はない。ひとまずは安全と言えるだろう。


『クリアリングする』


 廊下に始まり、リビングと一つ一つ時間をかけて安全を確認していく。念には念を入れて各部屋に入る前に音を出すのも忘れず確実にこなし、残ったのは目的のガンロッカーがある寝室だけとなった。


 ここまでしてきたようにドアを開けると一般的な内装にベッド、そして、その存在を主張するかのようにガンロッカーが鎮座していた。


「やっぱり誰もいないか...」


 そう言う龍之介の表情はどこか優れないように見えた。この家の主の事は知っている様だし、どこか、思う所があるのだろう。


 安全を確認してロッカーに駆け寄って見るとロックは電子式で、キーパッドがついていた。


『大丈夫なんだろうな?』


「ああ、あの人は変な所でロマンチストだから...きっと」


 迷いなく数字を入力していく、そしてどこか躊躇するような素振りをした後...確認ボタンを押した。すると高い電子音と共にロッカーの鍵が開いた。


「はは...やっぱかーちゃんの誕生日か」


 そんなどこか悲し気な龍之介を尻目に手早く中を確認していく、ライフルと散弾用の弾薬が箱で1つずつ、そして、嬉しい事にボルトアクション式のライフルも一丁置いてあった。M700という、かなり信頼性が高くポピュラーなモデルだ。有難く頂いていく事にする。


『リュウ、あとは目ぼしい食料品を頂いて帰ろう』


「ああ、わかった」



 踵を返し廊下に出ようしたその瞬間、ガタガタっという音が後ろからした。びっくりして振り返ると、何者かがベッドを揺らしながらその下から這い出ている所だった。そいつは酷く不気味な挙動で立ち上がると、猫背気味にだらりと腕を棒の様に下げながらその頭を持ち上げる。


 その顔にはタコもどきが貼り付いていて、不気味にギョロギョロと大きな目玉を動かしこちらの動きを追うその様はまるでそれ自体が一つ目の化け物の様だった。

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