3.覆水盆に返らず 後編

夕飯を全部吐き出してもまだ気分が悪い。ゲームや映画といった創作の中で見慣れていると思っていたが、いざそれと行き会ってみればこのザマだ。鼻を突くような鉄臭さと破壊された人体の気持ち悪さ、最悪という言葉でも足りない。


『龍ちゃん...大丈夫?』


そういって2人が背中をさすってくる、真田さんはともかく、母は何故平気にしてられるのだろう。解体をしていると目が慣れるのか、それとも我が母がただ、強靭なのか...。後者でもおかしくないのが笑える。いや、状況は全く笑えないが。


「大丈夫だよかーちゃん。ひとしきり吐いたら少しマシになった、それより急ごう」


妙な焦燥感を感じながらも、体育館の中が自分が居た。そう提案すると、真田さんが神妙な顔で頷いてドアを開けようとする。


その時



体育館のドアが乱暴に開け放たれが飛び出てくる


『ガアァァァ!』


は《人》だった。口元を真っ赤にさせながら、暗闇でもはっきりわかるぐらい、真っ赤な瞳をした獣のようなそれを人として表現できるかはわからないけれど。耳障りな甲高い雄たけびを上げながら真田さんに真っ直ぐ飛びかかってきた。もつれるようにして、そのまま馬乗りになったそれはすぐさま噛み付こうとする。


「ッッ!」


俺の行動は早かった、1も2もなくすぐにそいつを引きはがしたが、遅かったらしい、真田さんの歯形とセットで血まみれになった腕を横目に捉える。そしてどうしたものか、それはターゲットを変えたのか、今度は俺に飛びかかってきた。勘弁してくれ。


咄嗟に横に身を投げて避ける事に成功したが、それの方が俊敏だった。すぐに態勢を整えてのしかかってきた。その顔を近くで見て、最初出た感想は“あっこれ人間じゃねえわ”だった。真っ赤な口元、血走った真っ赤な目、噛まれるのはマズいと思い。精一杯の力で抵抗したし、母も全力で引きがそうとしていたが、焼け石に水とあざ笑うかのようにビクともしない。襲い来るだろう痛みを覚悟したその時。


一瞬だった。目前まで迫っていたそれは気づいたら俺の横に吹き飛ばされていた。どうやら真田さんが銃床で思いっきりぶん殴って吹き飛ばしてくれたようだった。その手には猟銃がバットの様に握られていた。


だがおかしい、明らかに頭にクリーンヒットしたというのに、それはすぐに立ち上がってまたこちらに向かってくる。異常な耐久力だ。


『誰かはわからないですけど!彼にそれ以上近づけば撃ちます!下がってください!』


真田さんが猟銃を正しい形に構えてそう警告する。だが、それはまるで意に介する事無く真っすぐ俺に向かってきた。


乾いた音と共に耳鳴りが襲ってくる。こちらに向かってきていたそれの頭は吹き飛んで、脱力したようにその場に崩れ落ちた。


『撃ってしまった...。』


真田さんの後悔するような声と共に、俺は人はこういう風に死ぬのか...。と他人事のようなその感想を浮かべていた。仕方がない状況だった。しかしそんな言葉も慰めにならないだろう事は想像に難くなかった、


『龍ちゃん!立って!真田くんも!新手が来るわ!』


そう母が言う。つまらない事を考えてる暇はなかったらしい。落ち着いて周囲を見回して見ると、本校舎、体育館からそれがぞろぞろと出てくるのが見える。人であればどれほど良かった事か、しかし、こちらに向かって一目散に走ってくるという事はなく、警戒するかのようにふらふらとした足取りでじりじり近づいてくるのみだった。


念のため、見知った顔が居たので声をかけはしたが、誰も彼も甲高い声でこちらを威嚇するばかりで、人と話してる心地はない。何を警戒してるんだ...?銃声...?ある程度の知性は残っているのか...?


疑問は多く残るも、この好機を逃す理由は無いという無言の意見は一致した。


「走ろう!」


3人で息を合わせるまでもなく、一目散に逃げる。好奇心にあらがえず後ろを振り向いたら、あいつら頭を吹き飛ばされている死体に群がっていた。今の所、あれらは完全に映画に出てくるような所謂のようだった。




家までは奇跡のように何ともなかった。着いてすぐに真田さんの手当てをした。酷い出血だったが、診療所に行けるような状況ではなかった。あそこは家から小学校を隔てた村の一番北側にある。避難所があのような惨状では、この村のどこがあのようになっててもおかしくないように思えた。俺たちはありあわせの物で止血した。


何とか血は止まったが、この不快な感情の濁流は止まってくれない。これからどうすればいいか、携帯に電波は届かない。こうなればこの村は事実上、陸の孤島である。これがここだけで起きている出来事だったらいいが、きっとそうではない。じゃなければ今頃ネットも電話も繋がるはずだ。状況に絶望しすぎるのはよくないように思うけど、だからと言って希望的観測で動くのも現実的ではないように思えた。


「あれはなんだったんだ....」


『わからないわ...わからないけど、確かなのは真田くんを一度医者に見せる必要があるということよ』


長い沈黙の後、やっと絞り出した一言に答えてくれたのは母だった。間違いない。狂犬病のような物にあれらが罹患していた場合、スピード勝負だ。だが、はっきり言って、状況がわかるまでは外に出たくないという気持ちが強い。俺は良いが、母が心配でならない。せめて残していきたいが...


『俺が一人で行きます』


まるで事前に言葉を用意していたかのように真田さんが言う


「無茶です!その腕でまた襲われたらどうするんですか、せめて僕は連れて行ってください」


『いいや、龍ちゃんには恵子さんがいる。守ってやってくれ』


そう言ってすぐに立ち上がり。玄関まで足早に向かう彼を追いかける。


『こいつは龍ちゃんが持っとけ。弾は入れといたからセーフティを外せばすぐに撃てる。使い方はわかるな?』


こちらの静止の言葉を拒否するかのように猟銃を押し付けられ、捲し立てるかのようにそう言われる。


「もらえません!法律的にもアウトですよ!」


そんな苦し紛れの言い訳で押し返そうとしたが、彼の手が異常ともいえるレベルで震えてる事に気づき、何も言えなくなってしまった。脂汗がひどい。既に何か症状が出ているのは明らかだった。


『こんな状況で法律も何もない、それに、この腕じゃそいつを満足に撃つ事もできない。龍ちゃんが持ってるのがいい。俺はもう行く、頼んだぞ』


『真田くんまって!お願い!』


そう言い残し、母の静止も聞かず走り去ってしまった。





あれから数時間経った。その間に大きな音を立てないよう家中の食料を二階にかき集め、立てこもる準備をした。階段には空き缶で簡易的な鳴子を仕掛けたし、二階に家具を集めてバリケードも作った。彼らにある程度の知性があれば意味のない物ではあるけれど、ないよりはマシという物だろう。普段からネットで貯め込んでいた無駄知識が役に立つ日が来るとは思わなかった。


酷く落ち込んでいた母には先に寝るよう促した、交代で睡眠をとるためである。誰かが警戒してくれてないと、こんな状況不安で眠れたもんじゃないだろうしな...。いや、言い訳か、正直に言ってしまえば眠れなかった。心の整理が付かない。色んな事が一気に起こった...。起こり過ぎだ....。


しかし、母は守らなければならない、たった一人の家族なのだ、明言はしたくないけど、はっきり言って真田さんが戻ってくるとは思えない。他人は現状、頼りにできない。不安でたまらない。けど、頼まれた。頼まれたのだ...。


現状、唯一頼りにできるのはやはりこの託された猟銃だろう。モスバーグ...と言ったか、真田さんに自慢された事がある。その記憶通りなら装弾数は3発。撃ち方は一度レクチャーしてもらった限りだが、鮮明に覚えている。そもそもポンプアクション式なんてフィクションでとうに見飽きている。


上手くやれるはずだ。


『龍ちゃん』


なんて他愛もないことを考えていると母の声で現実に引き戻される。大分時間が経っていた様だった。交代の時間、ということだろう。




体というのは正直な物で、気づいたら寝てしまっていた。時刻は8時過ぎ、戸を叩く音から察するに雨が降り出してきているようだった。母はカーテンの隙間越しに外を見張ってくれている。


『かーちゃんおは....』


声をかけようとしたその時


ピンポーン


チャイムが鳴る。


まさか、真田さんが戻ってきたのだろうか...?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る