だが、終わりではない―――。(2)


「じゃあライラさん。またくる」

 玄関口で無邪気な笑顔を見せるアケミに対し、ライラは溜め息を吐く。ライラは「噂の女」――――アケミの恋人である。歳は6つ上だ。アケミ同様、女性としてはかなり背が高く、顔には左の瞼を跨いで縦に深い傷跡がある。服装は作業効率優先の地味なパンツスタイル。化粧もなく色気も足りない。が、美人である。

「ちゃんと家に帰りなさいよ。アンタには立場があるんだから」

「この期に及んで立場もないって。もう公然の秘密なんだから」

「開き直るんじゃない、ったく…」

 いつもの会話である。基本的にライラの前では、アケミは甘えっぱなし、だらけっぱなしなのだ。

「もういっそ、ここに住んじゃえばいいんじゃん? 実際半分住んでるようなもんだし、金だってそろそろ払い終わるし」

「アンタのものになるわけじゃないでしょ………だから言ったじゃない、止めとけって。無駄金出して、ホントバカじゃないの…」

「無駄じゃない。ライラさんと二人きりで無制限に過ごせるし、アタシにとっては夢の城だよ。それに、将来養っていけるって証明できた」

「そういうところがガキだっての! 根本的な問題は何一つ解決できてないでしょうが、ほんっとにもう…!」

「…………」

 アケミが真顔になって黙る。じっと見詰められ、「何なのよ」と言いかけたライラの唇をアケミが奪った。驚きで目を見開く間もなくライラは身体ごとドアに押し付けられ、より深いベーゼを強要される。

「なにっ――んむっ…!?」

 反射的に抵抗しようとした両腕はアケミの左手一本であっさり跳ね除けられ、唇と共に腰をぐっと押しつけられる………長身で破格のプロポーションを誇るアケミだが、ライラも手足がすらりと長い。パンツ越しに肉感的なラインが浮き上がる二人の脚が絡まる様は、毒々しいほどに扇情的である。さらにライラの上半身を這いまわっていたアケミの右手は、シャツの裾を捲りあげて服の下に―――

「や……ちょっとッ!!」

 無遠慮に侵入してきた手を目いっぱいの力で叩き出し、ライラは怒りの声を上げる。が、アケミは額に額を合わせ、鼻先が触れ合う距離から離れない。二人の濡れた唇から荒い吐息が漏れ、混じり合う……。

「何すんの、いきなりっ…!」

「…ライラさんのせいじゃん」

「はあ!?」

「昔だったら門前払いだったのに、あたしとくっつくために真剣に悩んでくれてるんだなと思ったら―――ムラッときた」

 ライラは言葉が出ない……それが決定打となった。濃厚なキスがライラを襲い、温い粘膜の感触と酸素不足が頭の中をメチャメチャにしてしまう。

「ばっ…バカ! こんなとこで、誰かに見られたらどうすんの…!!」

「見られるわけないじゃん、そのための『奥座敷』なんだし、それに、店の誰かが覗いてたところで、今さら―――…あーごめんもう無理、完全にスイッチ入った…」

「やめっ――ダメだってば―――…!」

 ―――――ジャリ……

 不意に聞こえてきた足音に振り返ると、

「あ――――――…………ご、ごめん…」

 石のように固まったカリアが立ちつくしていた……。




「チッ……あーあーあぁー! 何なのお前ホント何なのお前!!」

 不機嫌オーラ全開、ガラ悪く絡むアケミの左頬には、少し腫れ上がるほどの真っ赤な平手打ちの痕が残っていた。

「悪かったって……でもあんなところで、その………」

「『その』? その、何だ?」

「…言えるか! 信じられない……」

 ニヤニヤしながら聞き返してくるアケミにカリアの顔は引きつる。

「しかしよく場所がわかったな。話したことなかったろ?」

「ええっと……エイナから聞いてた」

 今二人が歩いている場所は歓楽街、いわゆる花街である。イオンハブスのフィノマニア城下では見ないが、エレステルのグロニアでは首都のエリアの一角を占めるほどの規模で賑わい、それが他に三カ所もある。カリアにとっては異空間だ。しかし午前中はまだ静かなもので、散歩なのかお使いなのか、派手な化粧をした若い女や、アケミと同じく帰宅するであろう男が一人~二人歩いているのを見るだけだ。ちなみにアケミがいた「胡蝶館」は特別規模が大きくはないが、名の知られた老舗である。ライラはそこで働く元娼婦だ。

「……エレステルって、そういうのアリなのか…?」

「あ?」

「その………女同士とか…。いや、お前があからさまというか、あまりにオープンだから…」

「ああ……別に市民権を得ているわけじゃない。まあ、あたしの場合は趣向っていうより呪いみたいなとこもあるし……」

「呪い…?」

「いや……。あたしは悪目立ちしてるだけだ。だからって立場上ナメられるわけにはいかないだろ? 開き直ってるだけで……あ、あたしにも立場ってあったんだな」

 クク、とアケミが含み笑いを洩らすが、カリアには何が可笑しいのかわからない。

「しかしお前も遠回しに訊ねるな」

「は?」

「気になるんだろ? バレーナとアルタナがさっきみたいなことしてるのか」

「………なっ……」

 カリアの顔がみるみる赤くなっていく。すかさずアケミが耳打ちする。

「そう思うってことは、『現場』を見ちゃたんだろ? どんなことしてた?」

「どっ、どど、どうもうこうも……極めて清い間柄だ! お二人はお前のように欲望をぶつけるような爛れた関係ではない! と、信じている!」

「二年前には結構濃厚なキスしてたっぽいぞ」

「二年前に!?」

「あたしは誘うのはアルタナの方だと思うけどな、性格的に」

「そんなこと、あるわけ―――……」

「ん? 心当たりあるのか? ああ、そういえば――」

「もういいもういいもういい、この話はヤメだ! こんな話しに来たわけじゃないんだ、私は!」

 カリアは耳まで赤くなって押し返し、アケミはケラケラ笑う。

「ゴホン……私がお前を探していたのは、相談があったからだ。実は先程……アルタナディア様からお叱りを受けてだな…」

「はア?」

 ――カリアが事情を説明すると、アケミは腕を組み、顎を撫でた。

「謹慎はわかるが、屋敷から出ていけって…お前とアルタナ含めて、イオンハブスの人間は全員王家の別宅で寝泊まりしてるだろ。一週間どうするんだよ?」

「だからお前に相談に来たんじゃないか。たとえば――」

「胡蝶館か? あたしとライラさんの間に混ざりたいのか?」

「……もういい、頼まん。どこかで野宿でもする」

「冗談だろ、怒るなよ」

「お前のとこの納屋とか、道場の隅でもいいんだよ、軒先が借りられれば。何とかならないか?」

「納屋って…普通に泊まればいいだろ。なんでそんなに卑屈なんだよ」

「だって……アルタナディア様が居られないのに私一人がお世話になるなんて変だろ。一応近衛兵なわけだし…」

「お前にも立場があるか…。お前は大人なんだなぁ」

「…からかってないか?」

「深読みするな。間違ってないが」

「……もういい。お前嫌いだ」

「あははは! 面白いなお前!」

 アケミは笑い飛ばすが、カリアは真剣な表情を崩さない。

「最近のアルタナディア様はずっと考え込んでいらっしゃる……イオンハブスに帰らなきゃいけないのに、心の整理がついていないのだと思う。過ぎてしまったことはどうしようもないけど……せめて『これからは二度と危険が及ばないようにお守りします』と私が言えなければならないんだ。道場ならガンジョウ師範に教えを請うことができるかもしれないし、できれば……お前を通して、ブラックダガーを紹介してもらえないかと…」

「ほう? どうしてブラックダガーのメンバーに会いたい? 全員でないにしろ面通しはしてるだろ?」

「二十人程で五百人の敵を撃退した話を聞いた。その強さの秘密を知りたいんだ」

「その情報は正確じゃないが……要するにお前は強くなりたいんだな」

 大きく頷くカリア。アケミはまた顎を撫でる……そして立ち止まり、質問した。

「……強さとは何だ?」

「うん?」

「いや、抽象的過ぎるな。お前に足りない強さは何だ?」

「経験値……練度?」

「それもあるが、先の戦いでのイオンハブス軍の『敗北』の決定的な理由は明白。ズバリ、数だ」

「数? 兵数は確かに少なかった……でもそれは私個人でどうこうできることじゃない」

「もっと視野を広く持て。少なかったらどうすればいい?」

「策を練るか……一時的に撤退するとか…」

「もっと単純に。援軍を呼べばいいだろ」

「それができなかったわけだろ…」

 指摘を受けてもわけがわからんとカリアは顔を顰め、アケミはやれやれと肩を竦めた。

「あのな、兵が足りなければエレステルから借り受けるとか、傭兵を雇うとか、いくらでも手はあったろうが。この間は戦闘に参加しないことが前提だったからあの人数だったが、お前が増員の提案をすることはできたはずだ」

「そうは言っても、私は一兵士だぞ…。案は出しても、実行できる術がない…」

「それだ。つまりはそこなんだよ。お前に足りない武器は『伝手』であり『味方』だ。お前個人が兵士としていくら強くなろうが、大勢に影響を及ぼすわけじゃない。また二面作戦になったらどうする? お前がアルタナの側を離れなければならないときは? そもそもイオンハブスにアルタナの支持者はどれだけいる? 全員女王を崇拝しているのか?」

「それは……」

「これからアルタナの前に立ちふさがるのは、まず自国の権力者や有力者だろう。しかし政治的な場面でお前は何をする?」

「……何も、役に立たない…」

 目線を落とすカリア。しかし自分でもそれはわかっていた。先王が崩御されて、唯一の血族であるアルタナディアに万一のことがあればイオンハブスは崩壊する。暗殺計画の情報はなかったが、常に警戒していた。だがバレーナによる襲撃が意外なものであったとはいえ、あの体たらくである……実際自分が役に立っているとは言い難い。だからこそ強さを求めるのだが―――

「剣の他に、自分ができることがあるのか……とまあ、今そんな風に考えてるだろ」

「…その通りだ。私は貴族出身とはいえ、没落寸前の貧乏貴族だ。金も力もないし、有力者の伝手など当然ない。死んだ父も欲のない人だったしな…」

「だったらコネを作ればいい―――ここで」

「ここで……この花街で!?」

「違う…! この国で、だ」

「エレステルで!? 私個人がエレステルの有力者とコネを作れと言ってるのか? 相手にされるわけないだろ、バカバカしい」

「バカはお前だ。イオンハブスではお前はアルタナの金魚のフンくらいにしか思われてないかもしれないが、ここでは違う。演習初日で良くも悪くも有名になり、イオンハブス軍で唯一といっていい女剣士であり、それなりに腕が立ち、実際戦場でそれなりに活躍し―――何より女王に最も近い、第一の騎士である。ついでに言えば、バカっぽくてつけ入りやすそうだ」

「何だと!」

「だがそこに旨みがある。お前と組みすれば、女王と直通のルートができるかもしれないからな」

「なっ……!」

 カリアはそんなこと考えてもいなかった。自分はアルタナディアを守る役目である。パイプ役など……

「…いやいや、私は一兵士だぞ。そんなの、越権行為だ!」

「顔を売っとけばいいんだよ。非公式でもお前個人が会見を申し込んで、どう応じるかによってそいつがお前を、その先のアルタナディアをどう見ているかがわかる。案外大事だぞ? こういうことは。そんでもってここでいくらかでも繋がりを作っておけば、イオンハブスに帰ってから役に立つかもしれん。挑戦するなら、もちろんあたしの紹介ということで連れてってやるぞ」

「でもなぁ…」

 ぐずるカリアの首根っこを掴んで引き寄せ、アケミは妖しい声で耳打ちする…。

「アルタナはせいぜい武者修行して帰ってくるくらいしか期待してねぇよ。そこでお前が独自のコネを作って帰ったらどうだ? きっとお前を見る目が変わるぞ」

「そ、そう……かな?」

 カリアは思わず顔がニヤけてしまう―――

「…って待て。どうしてお前は私にそんなことをさせようとする? お前の目的は何だ!?」

「ふん、いい質問だ。疑うことを忘れないのは大事だが、目的ってほどのことはないな。あたしはあたしで、お前がいた方がいろんなヤツに会いやすいってだけだ。お前はこの国の客人だからな、無下に断って門前払いはせんだろう」

「私を利用するのか!?」

「尖がんな。行く先が同じで、それぞれやることがある。それだけだ」

 ―――本当はカリアと並んで行くことでアルタナディアとの親密さをアピールすることも狙いだが、それは言わないでおく。

 カリアは渋々だが「わかった」と了承した。

「…ところで、なんか注目されてないか?」

 カリアが周りを振り返る。通りにポツン、ポツンとしかいなかった人影がいつの間にか増え、みんな自分達を見ているような気がする―――…。

「あ、そうか。あたしがここで女にこんな風にくっついてたら、そりゃそんな風に見られるわな――」

「!! 離れろよ変態!!」

「うぉ!? いや、おまっ……ええ…?」

 アケミを突き飛ばし、最警戒で触られないように防御姿勢をとるカリア。普段の行動も褒められたものではないし、先程情事を見られた事もあるとはいえ………もう少し信用があってもいいのにと、長刀斬鬼は内心かなり凹んだ……。









「全く……君主の予定に捻じ込んでくるのはお前くらいだぞ」

「そういうなよ。最初に高いとこから攻めていけば後がスムーズになるんだから」

 カリア&アケミナの訪問先一件目はまさかの王室。バレーナ(ミオ付き)との昼食会である。

 ミオがアケミの前で不機嫌面なのはいつものこととして、カリアは見るからに緊張して、バレーナも表情が硬い。皆、黙々と料理を口へ運んでいく…。

「無理言ったのは悪かったけど、もうちょっと何か会話してもいいだろ……せっかく人払いまでしたんだし」

「ああ…」

 バレーナは目線を上げずに生返事だ。

「なんだお前ら、仲悪いのか?」

 茶々入れるように冗談半分でアケミが切り出すが、誰も答えない……。アケミはフンと溜め息を吐き、グラスのワインをくいっと飲み干すと、

「バレーナ、妬いてるのか? コイツがアルタナと寝たから」

 ガチャン―――。

 バレーナの握っていたフォークが皿の上に音を立てて落ちる。

「ち、違います! あれはアルタナディア様の看病をする流れで、アルタナディア様の方から半ば命じられたことで、そんな、別に、やましいことは――…!」

 慌ててカリアが弁明するが、ようやく顔を上げたバレーナは驚愕の顔で目を見開き、どんどん血の気が引いていく―――。

「アケミ!! お前が言うとなんか違う風に聞こえるだろ!!」

「でも夜中モゾモゾする音が聞こえた――」

「うるさいな! そういうのじゃないんだって! ただの添い寝…!」

 喚くカリアと固まるバレーナを見比べてゲラゲラ笑うアケミ。ミオは席を立って「何でもない」と外に伝えると、戻り際に思い切り姉を睨みつける。

「全く……我が姉ながら情けないです。食事時に下品な話を……!」

「確かに食事時にする話じゃなかったが、下品ではないぞ。想い合ってるなら愛し合って当然。お前はまだガキだからわからんのさ」

「一応、形としては公式の場ではないのですか? 公式の会食の席で猥談してはいけないことくらい、子供でもわかります!」

「そりゃそうだ」

 牙を剥くミオをアケミはまるで相手にしない。この姉妹はこの姉妹で言い争いが絶えないらしい。

「そうか……アケミがふざけるから頭になかったけど、ここは公式の場なんだな。だったら……」

 唐突に立ち上がったカリアは背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。

「先日は我が国の女王を救って頂き、ありがとうございました。女王陛下にお仕えする一家臣として、感謝の念に堪えません。バレーナ様の御前に立つには不相応な身分ではありますが、イオンハブスの臣民の声を代表して、御礼申し上げます」

 …嫌味ではなかった。バカ正直な眼差しと真摯な姿勢に、バレーナもつい引き込まれてしまっていた。

「……それでは及第点とは言えんな」

 バレーナはフォークとナイフを握り直し、カリアに座れと促す。

「そもそもは私が口火を切ったのだ。原因はエレステル側にある」

「でもそれは、サジアートたちが反乱を企てようとしたからで……」

「イオンハブスには関係ないことだ。貴様がアルタナに近しい立場ならば、簡単に頭を下げるべきではない。カリア=ミート―――貴様の首には貴様自身が思う以上に大きな意味があると知ることだ」

「お言葉ですが―――私にはアルタナディア様以上に重要なものなどございません」

 きっぱりと言い放つカリアにバレーナは言葉を失う。カリアの答えはまるで的外れなのだが、こうも堂々と宣言されると、かなり悔しい。

「お前……礼を言うのか、口答えするのかどっちだ」

「それはそれ、これはこれだ」

 ミオが睨み、カリアも見返す。

「……フッ、なるほどな。私がアルタナなら、お前を欲しくなるのもわかる。だが危ういな。足元を掬われないように留意することだ。一応、貴様をアルタナの側近として認めてやる……アルタナの部下としてはな。これまでお互い色々あったが、私個人としては水に流そうと思う。貴様もそれでいいか?」

 バレーナが柔和な表情で提案し、カリアがコクンと頷く―――

「――だが、アルタナと同衾したことは覚えておくからな」

 これを聞いてアケミは口に含んでいたワインを噴き出してしまった。

「くくく……お前、今、水に流すって…!」

「それはそれ、これはこれだ」

 アケミはいよいよ腹を抱えて笑いだす。そんな姉をじとりと睨むミオ。歓談は、和やかな空気のまま終わった。



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